●小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
●ABC企画委員会パネル展
●『主戦場』上映会のお知らせ!!
●黒岩知事に抗議!!
●第5回 三多摩平和交流会
●旧日立航空機(株)変電所ほかフィールドワーク
●脱原発!!
●もっと知りたい、見つけたい(peace8)八王子
●前川喜平講演会
●「日本の毒ガス戦と遺棄毒ガス」展
●「医学者たちの戦争犯罪ー731部隊・100部隊」展
●「731部隊犠牲者遺族の声を聞け!①のご案内
●沖縄と枯葉剤
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
●京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
●北支那防疫給水部留守名簿
●平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
現在の課題
4、福島原発事故による子どもの甲状腺がんの多発を隠蔽!
福島の子ども甲状腺がん検診「縮小」にノーベル賞の益川教授らが怒りの反論! 一方、縮小派のバックには日本財団
「甲状腺検診は「自主参加」による縮小でなく、拡大・充実すべきです」
福島県で増え続ける子どもたちの甲状腺がんについて、12月20日、ノーベル賞受賞者の益川敏英氏や、物理学者の沢田昭二・名古屋大学名誉教授らが福島県にこんな緊急の申し入れを行った。(16/12/26 LITERA)
10月19日(土)の感想
・学校や、普通の生活をしているだけでは、習えないことを知ることができた。
日本の加害者意識が薄く、教えてこられないが、日本が加害者だという事実は存在しているので、それは将来に伝えていかなければならない。(男性、20代、市内)
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
人体実験疑い 京大調査継続せず
今につながる問題!!
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
※展示会の前後は搬入・搬出のため、ご利用できません

731部隊全景
100部隊の煙突
1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。
細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。
また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。
中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。
中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。
「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。
日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。
皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。
― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―
731部隊のパネル(A2版)
1 序章 薬害エイズと731部隊
2 HIVとAIDS
3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか
4 731部隊の影
5 第1章 731部隊の創設
6 「満州国」

7 部隊全景

8 731部隊の始まり
9 731部隊組織表(横向)
10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク
11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会
12 第2章 「マルタ」
13 憲兵隊と「特移扱」
14 「マルタ」と「特移扱」
15 朱玉芬の父と叔父
16 第3章 731部隊の人体実験
17 ペスト(黒死病)
18 炭疽(Anthrax)
19 流行性出血熱
20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ
21 毒ガス野外実験
22 赤ん坊への凍傷実験

23 医学者たちの独走
24 人体実験が結ぶもの
25 細菌戦は行われた
26 ペストノミによる細菌戦
27 細菌の大量生産
28 第4章 731部隊の戦後
29 軍事裁判と戦後処理(横向)
30 細菌戦部隊医学者の戦後
31 細菌戦医学者の博士論文

32 陸上自衛隊の博士論文
33 第5章 731部隊を告発する
34 戦争の語り部 篠塚良雄

35 戦争の語り部 三尾 豊
36 家永教科書裁判第3次訴訟
37 軍医学校で発見された人骨
38 731部隊国家賠償請求裁判
39 細菌戦国家賠償請求裁判
40 終わりに 731部隊を世界遺産に
100部隊のパネル(A2版)
1 はじめに
2 「はじめに」
3 「日中戦争における人と馬」
4 「戦争とは」
5 「ジュネーブ議定書」
6 「731部隊」と「100部隊」
7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」
8 「僞満皇宮博物院」
9 「日中15年戦争」
10 「植民地支配」
11 「外地」での戦争犯罪
12 第1章 軍 馬

13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」
14 「軍馬の徴発」
15 「愛馬の見送り」
16 「軍馬の位」
17 「軍馬の改良」
18 「軍馬の名前」
19 「軍馬の訓練」
20 「テッチン」
21 「軍馬の世話・蹄手入れ」
22 「馬の寿命と病気」
23 「馬の伝染病」炭疽菌
24 「馬の伝染病」鼻疽菌
25 「馬学・獣医学の本」
26 「麻布連隊と白雪号」

27 「敗戦後の軍馬①」

28 「敗戦後の軍馬②」
29 第2章 100部隊
30 「細菌戦兄弟部隊」
31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」
32 「関東軍軍馬防疫廠」
33 「100部隊所在地」
34 「100部隊の隊長」
35 「100部隊の細菌研究」

36 「100部隊の細菌製造部」
37 「100部隊2部1科23号室」
38 「関特演」と「100部隊」
39 「三河夏季演習」
40 「細菌戦 第6科新設」
41 「100部隊での人体実験」
42 「人体実験の犠牲者数」
43 「アヘン・ヘロイン」
44 「陸軍獣医学校」
45 「100部隊」の終焉
46 「100部隊」敗戦後の犯罪
47 「ハバロフスク裁判」
48 第3章 現代の課題

49 「戦前・戦中の獣医」
50 「現代の獣医師養成」
51 「熊本サンクチュアリ」
52 「加計学園獣医学部」
53 「何故 四国に?」
54 「加計学園獣医学部」資料
55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません)
56 「100部隊」の亡霊
57 おわりに

58 「学習と謝罪」
59 「前事不忘」
60 「100部隊」の新研究
61 「100部隊」の新史料

62 「100部隊」の新展示
63 おわりに
(付録パネル)
1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ
(A3版7枚)

2、細菌戦部隊の戦後
(A3版12枚)

3、元731部隊軍医と強制不妊手術
(A3版10枚)

4、731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真


5、タイトルパネル
1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地
2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地
3 731部隊 A4×5 黄地
4 100部隊 A4×6 桃地
5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地
6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地
7 前事不忘後事之師 A4×8 青地
6、軍馬補助パネル(付録)
1 馬術教範 B4×8 黄地
2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8
3 馬事提要 B4×12 桃地
貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!)
1、パネル(A2版)
①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円)
②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)
2、付録パネル
① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ
② 細菌戦部隊員の戦後
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術
④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真
⑤ タイトルパネル
⑥ 馬具補助パネル



※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚)
「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります。



3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)
①生体解剖(62×82×高さ59)/cm
②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm
③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm
④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝
※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。
※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。
※送料は、主催者団体でご負担お願いします。
※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。
※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu51@jcom.zaq.ne.jp




●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●横浜「戦争の加害展」感想
2月16日
14.改めて「普通の人」のこわさを知った。私もまた「普通の人」普段は、良き「普通の人」の強気。(男性、60代)
●(「琉球処分」から140年、今の沖縄を考える)パネル展感想
114.東京生まれかながわ育ちですが、演劇(燐光群という劇団をひいきにしています)等により、沖縄問題に関心を持つようになりました。あまり時間がないのでじっくり見られなかったんですが、沖縄の地方紙の展示に胸をうたれました。「一般人」も当事者として考えるべき問題だと思います。これからも注視していきます。(XG.50.市内.会場で)
●日中戦争(『三光』より
小美野義利
戦務班長 憲兵曹長
〈旧部隊名〉
関東軍特別警備隊2大隊本部
咳一つしない、不気味な静けさの中にグチャグチャと内臓の動く音だけが聞こえる。ゴムの手袋が、はたと止まった。同時に軍医のうわずった甲高い声が震えながら、「生きている」と叫んだ。小美野はドキーッとして、思わず穴の中をのぞき込んだ。
だが、血の海と化した穴の中には、2つの惨死体と骸骨が4つ青白い月の光に照らし出されて転がっているだけだ。ゾーッとした小美野の耳に、「生きているなんて馬鹿な」と、おろおろした小林少尉の声が聞こえてきた。突然、「アハハ・・・・」うつろな笑いを太田曹長が上げた。
「軍医殿、息が切れてから20分もなるのに、そんな馬鹿なことがあるもんですか」と無理に怒鳴るように叫んだ。「僕もそう思うんだ・・・・しかし、確かにまだ生きているんだ、それ」と、切り取った心臓を掌(てのひら)の上にのせてつき出した。「オッ、確かに動いている」14の眼は恐怖におののいている。朝鮮や東北に20年も侵略憲兵として生きてきて、多くの人々の血がにじみこんでいる小林少尉の顔も、どす黒く全く血の気が無い。7人は目に見えぬ中国人の反抗と圧力をひしひしと感じながら、声も立てず、憑かれたようにそれを見つめていた。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第8章 無辜の被害者
河北叩崗(コウカン)毒殺事件
小屋の中の煙が少しずつ消えていくにつれ、広場は凄惨な、怒りと悲しみの泣き声に覆われた。日本兵は小屋の中の倒れた人々を1人ずつ引き出し、地面に放り出した。小屋の前は黄色の泡沫を口から吹き出した被毒者でいっぱいになった。人々の中から、悲痛な泣き声、叫び声があがった。

●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
田村良雄自筆供述書(1954年9月30日)
2、第1部 部長は軍医大佐、川島清。研究部である。所属の班、室は以下の通り
碇班 責任者は軍医中佐、碇常重。脾脱疽菌研究。
貴宝院班 責任者は陸軍技師、貴宝院。結核菌研究。
降籏班 責任者は軍医少佐、降籏武臣。ペスト菌研究。
吉村班 責任者は陸軍技師、吉村寿人。人体生理の研究。
特別班 責任者は陸軍嘱託、石井。実験用中国愛国者の監禁及び供給。
鈴木班 責任者は軍医中佐、鈴木啓之。任務不詳。
堀口班 責任者は陸軍嘱託、堀口。ガラス器材担当。
湊班 責任者は陸軍嘱託、湊。任務不詳。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■医療の根本的変化
ヴェンツラーは、この改革プログラムを進めていたとき、同時に鑑定医として何千人もの障害者児童の殺戮を決定していた。彼の代理者のブラックは総統官房において「安楽死」計画を組織し、「最終的決意」に指導的な役割を担っていた。
今日わたしたちにナチズムの矛盾と見えるものは、かつてナチズムの成功の条件をつくるものであった。
つまり、大量殺戮と近代化の組み合わせである。一部の人々の絶滅が他の人々の社会的保証を可能にしたのである。
●自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 11月13日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
防衛省は、次のように主張する。「昭和35年4月以降は、編集は化学学校が行うものの、発行は大宮修親会業務とされている。昭和43年以後の「化学学校史」には学校記事の記載は無いものの、廃刊に関する記載は無く、化学学校記事が発行されていなかったことは確かであるが、昭和42年発効の第12号が最終号であるかは不明であると。」
何で、自分の所が出している機関誌がいつ廃刊したのか分からないのか?
こんなことでは、税金の無駄遣いである。
それ以後の「化学学校記事」16号は存在しているのである!!
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
12月12日(木)14:00~419法廷
金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より
3、沖縄―核だけなく毒ガスも
秘密の中のBC兵器
ごく最近でも、例えば、1968年7月21日に、具志川小学校裏海岸で夏休みを利用して水泳教室を開いていた那覇市内開南小学校の6年生237人が、水泳中目がヒリヒリと痛み出し、首筋や下腹部などが赤く腫れ上がり、、次々に痛みを訴えた。その時診断に当たった医師は原因不明のまま応急手当をし、「症状から化学薬品のような強い刺激物が海に流出している」と語り、厚生局をはじめ、原水協などの民主団体が追及を始めたが原因が分からなかった。当時、この事件前後に辺野古岬沖合で漁労中の漁夫が海水で炎症を起こし、また屋嘉ビーチではボート遊びの米人2人が同じような炎症を起こしたことが地元から報告され、「7月8日から約1週間にわたって具志川市から金武湾にかけての20キロにわたる海岸がある種の毒物によって汚染された」と漠然と指摘されたにとどまった。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第10章 戦争の泥沼化と拡大
Ⅲ
1940年9月27日、ベルリンで日本代表団がドイツ、イタリアの独裁者と三国同盟に調印した。ルーマニア、ハンガリーのファシズム政権もこれに続いた。条約の条文では、日本はドイツ・イタリアによる「欧州に於ける新秩序」の指導的地位を承認し、独伊は日本の「大東亜」支配を承認した。三強国は、もし「欧州戦争又は日支紛争に参入し居らざる一国に依て攻撃せられたる」場合には「政治的、経済的及軍事的方法に依り相互に援助すべきこと」を誓約した。この最後の条文は、イギリスを牽制し、アメリカ合衆国を戦争の局外に立たせることを意図していた。