細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか? | 「731・100部隊展」

「731・100部隊展」

「731・100部隊展」実行委員会のブログ


日本の核開発(加藤哲郎さん
第4回 「戦争の加害」パネル展 2019 in 横浜
第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
NO MORE 化学兵器
帝銀事件と登戸研究所
石垣島の自衛隊!!
元731部隊軍医と強制不妊手術
731部隊・100部隊と戦後の流れ
細菌戦部隊員の戦後

日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


今につながる問題!!
細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?

731部隊全景

100部隊の煙突
1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。

細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。
また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。

中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。
中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。
「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。

日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。
皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。   
― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―

731部隊のパネル(A2版)
1 序章 薬害エイズと731部隊
2 HIVとAIDS
3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか
4 731部隊の影
5 第1章 731部隊の創設
6 「満州国」
                
7 部隊全景

8 731部隊の始まり                  
9 731部隊組織表(横向)
10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク
11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会
12 第2章 「マルタ」
13 憲兵隊と「特移扱」
14 「マルタ」と「特移扱」
15 朱玉芬の父と叔父
16 第3章 731部隊の人体実験     
17 ペスト(黒死病)
18 炭疽(Anthrax)
19 流行性出血熱
20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ
21 毒ガス野外実験
22 赤ん坊への凍傷実験

23 医学者たちの独走
24 人体実験が結ぶもの
25 細菌戦は行われた
26 ペストノミによる細菌戦
27 細菌の大量生産
28 第4章 731部隊の戦後
29 軍事裁判と戦後処理(横向)
30 細菌戦部隊医学者の戦後
31 細菌戦医学者の博士論文

32 陸上自衛隊の博士論文
33 第5章 731部隊を告発する
34 戦争の語り部 篠塚良雄

35 戦争の語り部 三尾 豊
36 家永教科書裁判第3次訴訟
37 軍医学校で発見された人骨
38 731部隊国家賠償請求裁判
39 細菌戦国家賠償請求裁判
40 終わりに 731部隊を世界遺産に

100部隊のパネル(A2版)
1 はじめに
2 「はじめに」
3 「日中戦争における人と馬」
4 「戦争とは」
5 「ジュネーブ議定書」
6 「731部隊」と「100部隊」
7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」
8 「僞満皇宮博物院」
9 「日中15年戦争」
10 「植民地支配」
11 「外地」での戦争犯罪
12 第1章 軍 馬

13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」
14 「軍馬の徴発」
15 「愛馬の見送り」
16 「軍馬の位」
17 「軍馬の改良」
18 「軍馬の名前」
19 「軍馬の訓練」
20 「テッチン」
21 「軍馬の世話・蹄手入れ」
22 「馬の寿命と病気」
23 「馬の伝染病」炭疽菌
24 「馬の伝染病」鼻疽菌
25 「馬学・獣医学の本」
26 「麻布連隊と白雪号」

27 「敗戦後の軍馬①」

28 「敗戦後の軍馬②」
29 第2章 100部隊
30 「細菌戦兄弟部隊」
31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」
32 「関東軍軍馬防疫廠」
33 「100部隊所在地」
34 「100部隊の隊長」
35 「100部隊の細菌研究」

36 「100部隊の細菌製造部」
37 「100部隊2部1科23号室」
38 「関特演」と「100部隊」
39 「三河夏季演習」
40 「細菌戦 第6科新設」
41 「100部隊での人体実験」
42 「人体実験の犠牲者数」
43 「アヘン・ヘロイン」
44 「陸軍獣医学校」
45 「100部隊」の終焉
46 「100部隊」敗戦後の犯罪
47 「ハバロフスク裁判」
48 第3章 現代の課題

49 「戦前・戦中の獣医」
50 「現代の獣医師養成」
51 「熊本サンクチュアリ」
52 「加計学園獣医学部」
53 「何故 四国に?」
54 「加計学園獣医学部」資料
55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません)
56 「100部隊」の亡霊
57 おわりに

58 「学習と謝罪」
59 「前事不忘」
60 「100部隊」の新研究
61 「100部隊」の新史料

62 「100部隊」の新展示
63 おわりに




(付録パネル)
1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ
(A3版7枚) 


2、細菌戦部隊の戦後
(A3版12枚)


3、元731部隊軍医と強制不妊手術
(A3版10枚)



4、731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真



5、タイトルパネル
1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地

2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地
3 731部隊 A4×5 黄地
4 100部隊 A4×6 桃地
5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地
6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地
7 前事不忘後事之師 A4×8 青地

6、軍馬補助パネル(付録)
1 馬術教範 B4×8 黄地
2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8
3 馬事提要 B4×12 桃地

貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!)
1、パネル(A2版)
①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円)
②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)
2、付録パネル
① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ
② 細菌戦部隊員の戦後                                                
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術
④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真
⑤ タイトルパネル

⑥ 馬具補助パネル

※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚)
「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります。


3、模型・・・貸出料1台7日以内(5000円)
①生体解剖(62×82×高さ59)/cm
②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm
③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm
④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝

※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。
※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。
※送料は、主催者団体でご負担お願いします。
※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。
※お問い合わせは、080-4407-9554(五井信治)、nobu51@jcom.zaq.ne.jp




●横浜「戦争の加害展」感想
2月10日
・731部隊と毒ガス以外については、前からよく聞いていましたが改めて日本人であることに怒りを覚えます。今の日本の立ち位置を考えると、もっと若い人がどう考えているのかひどく心配です。日本人も被害者だったから云々ではなくて、「だからこそ戦争をしない」という心意気がどうしてないのか、すべての人々の人生をだいなしにすることに対してどうして何も考えないのか.本当におかしいと思います。
私がかかわっているのは「慰安婦」問題ですが、「なんで「今度連れて行かれるのが(も)日本人だ」と分からないのかとてもギモンです。
これから中華街に買い出しに行きますが中華街の大家が公明党だそうで、ポスターをベタベタはっております。すっかり戦争の党に変わり果て、中国人に何するか分からない。人間のクズのいうことを聞くのかと思うと人間としてうたがいたくなります。(50代町田市女性)



「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

第2部
英霊安置所にて
英霊安置所は総務部正面玄関の真上にあった。防疫給水部当時からの戦死者や研究中に感染罹病して死んだ3百数十名の犠牲者をまつってある。広さは、4、50坪もあろうか、ひな壇のように作られた正面と両側面に黒枠の写真がぎっしりと並んでいた。
自殺者というせいか、経を唱えたり弔辞を読んだりはしない。私達はしめやかに焼香しながら、同僚の初めての死ということで一層生の恐怖を身近に感じて固くなっていた。だがそれは死者を悼む悲嘆の念とは少しばかり違い、底に、やむを得ないのだという諦めが深くわだかまっている。代わる代わる礼拝する同僚たちの顔も皆乾いた無表情さであった。
葬儀が終って私達が礼拝所を出たのは11時頃であった。廊下に出ると、そこにまでねずみの臭いが漂っている。飼育所で足りなくて総務部の階段の下にもねずみを飼うほどで、部隊内はどこへ行ってもねずみの糞の臭いがした。もっとも私達は次第に馴れて、かなり感じなくなってはいたが。―
午後の作業は1時からとなっていたので、私は昼食までの間に負傷した同僚の佐々を見舞いに行こうと思っていた。礼拝は一応以前の教育班に加わって行ったのだから、終ってしまえばもう別れてもいいのだというのが私の考えであった。
すると、引率者の近江属(教育部付、曹長相当軍属)が、
「昼食までの時間、教練を行う」
と言い出した。
私は慌て気味になって、総務部の建物を出ると、近江属に申し出た。
「自分は、これから見舞いのため病院に参ります」
「何!病院?誰の許可を得たのだ」
近江属は額を突き出して私を見下ろすようににらんだ。


・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り




京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
(京都大学から回答があったようです)
テーマ 京都大学の「学位論文における研究活動上の不正行為に関する調査結果について(通知)」に対する異議申し立て

京都大学は、満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会の要請「旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます」(2018年7月26日)について、2018年9月18日に予備調査を京都大学の規程・要項を準用して行うとのメール通知を当会に行いました。当該要項の所定予備調査期間を大幅に超えて、この度2019年2月8日付で表記の通知が当会に届けられました。

当会は2月18日に役員会を開催し、同通知の審議に基づき、異議申し立て期限の2月20日に提出した異議申し立て文書は京都大学により受け付けられました。

そこで、同通知を配布するとともに、異議申し立ての内容を報告し、質疑応答、意見交換を行います。




「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」





日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第5章 陸軍習志野学校

秘密の軍事学校
1933年3月、アイルランドの著名な劇作家、バーナード・ショウが日本を訪問した。正義感のある彼は、力を込めて日本の対外拡張を批判し、日本政府と軍隊は大変ばつが悪かった。3月8日、当時の陸軍大臣荒木貞夫は彼と2時間の会見を行ない、日本の外交と軍事政策を釈明した。荒木は先手をとって「ヨーロッパの国家は戦争に細菌を使う事を研究しているそうだが、我々日本は先進的な武器を製造する資金がない。したがって我々は、戦争を遂行する最も経済的な方法としては、竹槍を使って6000万の大軍と戦うに勝るものは無いと思っている」と言った。もし内情を知らなければおそらく、この時の荒木の話の真意を理解するのは難しいだろう。事実は、ヨーロッパが細菌兵器を研究しているということで荒木は、日本が進めている細菌実験を隠蔽して相手の目を眩まそうとしていたのだ。




●登戸研究所資料館
レストスペース

焦土化した街

1944年以降、日本国内の空襲が激しさを増し、神奈川県下では横浜・川崎・平塚などが大きな被害を受けました。
1945年4月15日の川崎大空襲では、200機余のB29による大規模な爆撃があり市中心部と工場が集中している南武線沿いの地域は焦土と化してしまいました。
明治大学生の防空訓練の様子
(写真:1940年10月16日付第138号『写真週報』、新聞題字:1943年10月21日付『朝日新聞』より、文:1943年9月17日付『明治大学新聞』より)
1945年4月川崎六郷橋付近から第1京浜国道1号線を撮影(写真:川崎市平和館所蔵、新聞題字:1945年4月17日付「朝日新聞」より)

紙透(かみすき)和子(国鉄職員 当時18歳)の証言
4月15日、川崎に大規模な空襲があった。自分の命は何とか助かったが家族は無事だろうか。陸橋に横たわる死体を無心でまたいで、家に帰った。川崎の景色は一変していた。



●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

■「医学犯罪」検証のとりくみ

本誌では、一2007年9月号特集「戦争体験をどう継承するか」において、莇(あざみ)昭三(城北病院名誉院長・全日本民医連名誉会長・15年戦争と日本の医学医療研究会名誉幹事長)先生に「15年戦争中の『医学犯罪』と私たちの今日の課題」を執筆していただきました。一昨年、政府与党は安保法制の採決を強行しました。
防衛省では、安全保障技術研究推進制度が導入され、一昨年(2015年)には3億円の予算の配分が開始され、昨年は6億円、今年は110億円と急激に拡大されました。
敗戦を契機として、まき起こった学術体制の民主的改革を求める運動の中で1949年に創立された日本学術会議では、1950年の「戦争のための科学研究には従わない声明」、1967年の「軍事目的のための科学研究を行わない声明」と、2度にわたって戦争や軍事目的のための研究を拒否する誓いの見直しの動きが出るなど、軍事研究復活の動きが風雲急を告げています。



●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)



復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月

昭和20年の頃

2、衛生の教育
教育の項では、衛生部将校に補備教育による錬成を、兵科将校下士官に保育及び防疫に関する識能の向上を、そして兵に対しては救急法、止血法の徹底を強調した。治療については、迅速な回復を期するために、一層科学的合理的な診療を実施せよと要求し、また患者は発生した軍管区内で初療から最後の転帰までを取り扱ういわゆる独立した診療体系をとり、現地治癒主義を指示したのであった。指示の文章はいつも抽象的な字句を並べてあるので、勤務に慣れない速成の軍医には了解できない事柄も多く、師団の高級軍医は隷下部隊の衛生部員に一層具体的な説明と例示を行う必要があった。しかし各作戦区域の中核となる陸軍病院には、当時としては最新の機能を持つ器材を整備し、軍医も現役応召共に専門家を備えて、完璧な陣容を誇ったのであった。


兒嶋俊郎さんを偲ぶ




●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年

第7章 満州事変



〔陸軍士官学校幹事〕東条少将は、「近代の国防戦争は、非常に広汎な部門に亘つて来た」と断言した。それは武力、経済、思想政略のあらゆる戦争の形態について「一元的に統制する国家」の建設を必要とする。反西洋の憤慨を込めて、東条は第1次世界大戦に戦勝した民主主義諸国がいかに日本に敵対してイデオロギー戦争を挑んできたかを詳しく述べた。これからの日本は、自立しなければならず、「皇道文化思想聖戦」のために「真の道義を世界に恢弘(かいこう)する」ことがまさに始まろうとしているというわけである。他の寄稿者たちも、「総力戦のための国家総動員」が、自給自足のための「資源問題と短絡」する傾向にあった。これら軍指導者の思考を占めていたものは、アジア大陸の領土的な支配という考えであり、英米との戦争の可能性だった。

憲法9条を生かそう!!