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「731・100部隊展」実行委員会のブログ


731部隊について


NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」

※1949年のハバロフスク裁判の録音テープが見つかった!!

「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験」起こし



ナレーション
いま、私たちに問いかける医学者と731部隊の真実。それは戦争へと突き進む中で、いつの間にか人として守るべき一線を越えていったこの国の姿でした。
今回発見された音声記録。その最後には被告たちが自らの心情を語った発言が残っていました。医学者・柄沢十三夫、人体実験に使われた細菌を培養した責任者でした。戦争が終わってから初めて罪の重さに気づいたと語っています。

ハバロフスク裁判のテープ音声 731部隊軍医・柄沢十三夫の証言
自分は現在平凡な人間といたしまして、自分の実際の心の中に思っていることを少し申してみたいと思います。
私には現在日本に……82になります母と妻、並びに2名の子どもがございます。なお、私は自分の犯した罪の非常に大なることを自覚しております。そうして終始懺悔をし、後悔をしております。私は将来生まれ変わってもし余生がありましたならば(泣き声)自分の行いました悪事に対しまして、生まれ変わった人間として人類のために尽くしたいと思っております。


文字
この医学者は刑に服した後、帰国直前に自殺したと伝えられている。
(終わり)




吉村寿人

※戸田正三はじめ、京大・東大の医学者の多くが731の仕事に係わった。その後の日本医学界にも大きな影響を与えた。
しかし、国家機密の壁があったのか、誰一人声高に叫べず、自責の念のあるものは、自殺した。日本政府・医学界は、731部隊の罪業を、いまだに反省・謝罪していない!!
今の医学界に、この影響がないのだろうか???

戸田正三
東大・京大総長も石井四郎に、協力した!!
長與又郎

石井四郎の嫁は、京大総長(第7代1915年~1929年)荒木寅三郎の娘、
荒木は、学習院長や枢密顧問官を歴任する。





※1938年には国家総動員法が制定され、科学者も、戦争に協力しなければならなくなった。優秀な医学者も、戦争は加害者にしてしまう!!

※731部隊で実験材料にされた人たちは、囚人ではない!!裁判にもかけられず、微罪で逮捕された人がほとんどだ!!中国は日本に侵略されたのだから、反発するのは当然だ!!
当時の日本の教育は、日本国民は1等国民、他は2等国民、とか3等国民とか呼び蔑視していた!!中国人はチャンコロと呼び、非人道的な扱いをしていた!!


※笠原十九司著『日中戦争戦争全史』(下)には以下の記述が見られる。
「日本軍が華北で使用した生物兵器は華北の民衆に深刻な犠牲をもたらした。細菌兵器使用の実態が判明しにくいので、統計は不完全であるが、日中戦争以後8年間で70回以上細菌兵器を使用したと推定され、そのうち具体的な死亡者がわかる25件では、兵士・民間人47万人以上が感染して死亡した。山西省孟県における調査では、1942年から45年の間、日本軍が発射した糜爛性(びらんせい)毒ガス弾とチフスなどの細菌兵器により、全県16万人のうち、95%が感染して病気になり、1万1千人が日本軍に殺害され、3万人近くが病死した。」

※731部隊員であった金子順一が戦後、東大に出した論文には、中国の6か所の地名が細菌戦の行われた場所として、書かれている。
また、戦後アメリカのフェル博士が731部隊員を尋問して作成したフェルレポートには、12か所で、細菌戦が行われたとある。


※日本軍は、国際条約違反の細菌戦を大規模に行なった。しかし、日本政府は、731部隊での人体実験、細菌戦等の証拠をすべて隠蔽し、この事実を認めようとしない!!

※番組では、川島清を第一部(細菌研究)部長としているが、第4部 細菌製造部部長(軍医少将)の時もあった。



※勿論731部隊の支部や他の防疫給水部に送られ、人体実験に関わった多くの医学者がいた!!
中国にあった日本軍の陸軍病院の軍医等も、生体手術演習と称して、生体解剖をしていた。場合によっては、日本人も実験材料にされた。
※この731部隊には、皇族の竹田宮が関わっていた。そして、研究費などの予算は昭和天皇の裁可がなければ出なかった。
天皇の弟・秩父宮、三笠宮も視察に来たし、もしかしたら昭和天皇も来たのではないか??昭和天皇の責任は無いのか???
unit731


※731部隊へは当時製薬会社等からの寄付もあった!!(大正製薬・・・・)

※ロ号棟を建設したのは大林組、松村建設、特設監獄は鈴木組が作った。

ロ号棟の建設について設計図を出してください!!
リニア不正入札、「名城非常口」巡る容疑 大林組を捜索

黒い太陽731


国家戦略特区に獣医学部か、戦時中の100部隊や731部隊を想起してしまう!!
つまり、満州での人体実験や細菌兵器の開発は当時の総務司長であった岸信介の許可なしには行われなかったのであり、七三一部隊を率いていた石井四郎の背後で岸信介が実権を握っていた感がある。
「みんなが知るべき情報/今日の物語」より



日本は「皇道精神の具現化」のために、毒ガス兵器、細菌兵器を使い、多くの人々を虐殺した!!
目指したのは、天皇中心の世界帝国 「八紘一宇」

教えてゲンさんより
防疫給水部(細菌戦部隊)


同仁会
少しの間細菌戦部隊直接ではなく、周辺で部隊を支えたり協力した組織を書いていきます。
まず同人会ですが、古く歴史ある組織なので書き出したらきりがなく、
私自身それほど詳しくないので簡単に整理します
[同仁会]
1902年(明治35年)、日清戦争に勝利してアジアで優越感を持った日本は、アジアで医学的啓蒙をするために同仁会を組織しました。
前年に出来た東亜同文医会が母体になっています。

* 1939年当時の同仁会の役職
会長 近衛文磨
副会長  宮川米次
理事(全13人)小泉親彦(軍医学校本部医監,陸軍省軍務局長) その他
*小泉は1944に崩壊した東条内閣で厚生大臣をしていた。
1945年9月13日自殺した。
評議員(全67人)戸山正三(京大医学部、第1期南極特別委員、金沢大学学長)
田宮猛雄(東大医学部伝研所長、日本医師会会長、国立ガンセンタ-所長)
小林六造(慶応大学医学部、軍医学校嘱託、国立予防衛生研究所所長)
三木良英(陸軍省医務局長)


黒い太陽731


731復元CG



・中国には、日本軍の行なった細菌戦の影響と思われる?、原因不明の病気に悩んでいる人々が今も数多くいる!!






●1941年に日本軍は大量のペスト菌で汚染されたノミ、米、綿を空中投下したため、常徳権県庁所在地及び郊外農村でペスト病の大規模な流行を引き起こした。


・「旧日本軍による細菌戦に関する中国民衆の戦争記憶」
東京女子大学教授:聶莉莉(にえりり)
常徳細菌戦


・日本軍は常徳だけでなく、農安、農安大賚(のうあんだいらい)や衢県(くけん)廣信(こうしん)、廣豊、玉山などでも細菌戦を行った。

細菌戦被害の人々



近藤昭二氏講演



●松村高夫さん(慶応大学名誉教授)
松村講演1



松村講演2











ヒルレポート(総論)





●奈須重雄さん(細菌戦資料センター理事):「731部隊による細菌戦を検証する」3.5公開学習会
細菌戦を検証する!







侵華日軍第731部隊罪証陳列館
【731部隊展実行委員会より】

731部隊とはどんな部隊だったのでしょう?
 日本政府は、中国東北地方にあったこの部隊の情報を隠し続けています!!
 731部隊展実行委員会では、最新の資料を元に新たにパネルを作成しました!! 
 ぜひ、この機会にあなたの町で「731部隊展」を開いてみませんか? 

●「731部隊展」開催のお願い
日本は731部隊の暴行について正式に認めてはいない。
日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア

夏草をふみしめ引込み線を歩いた
視界が不意に三角形に切り取られ
やがて歴史の暗渠(あんきょ)に足を踏み入れる
見上げれば天を突く巨大な残骸
ただれ崩れ落ち、悲しみの肉塊のように
灰色の空の下で泣いている
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より


日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア


混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

クリスチアン・ブロス
ゲッツ・アリ
[タイトルの「人間の価値」については本書の表紙および後出の「フォスの日々」などのナチスの人体実験に関する記述を参照されたい。表紙は人間の身体の部分が実験用に売られた記録である。一番左の欄は売られた日付が、次にその個数が、次に身体・骸骨がどの部分であるかが(ときには送り先が誰であるかが)、一番右はその値段が記録されている。たとえば一番上の行は、1943年3月29日に頭蓋骨が1個フォス教授に引き渡され、その値段は5.0ライヒスマルクで支払い済みであることが記録されている。こうしてナチスの医師たちによって人間は価値を評価されたのである。]



※なぜ、日本人は731部隊の犯罪、日本精神医学会の犯罪を問わない???
不妊手術強制で国を提訴へ 宮城の女性「旧優生保護法は違憲」



1992年のニュース










・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた??
実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。
1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)
1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。
紅白の殺戮者
1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか?
当時、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。
三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと
2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと
患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない)
市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること

などが分かっている。
当時の時代背景として、2ヶ月前には満州事変が勃発して戦下の色が濃くなってきており、事実この工業所では枯葉剤、合成染料など軍需製品の製造を行なっていた。このため、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。
しかし、仮にクシャミ性毒ガスの製造工程で爆発事故があったことが原因としても、住民の便から赤痢菌が検出されており、また調査に参加した各大学が患者の便から検出した赤痢菌がそれぞれ異なった種類であったことが分かっており、疑問が呈されている。
一方こんな説もある。毒ガス爆発をカモフラージュするため、軍医学校が、赤痢予防錠を配ったというもの??

(参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年)



『陸軍軍医学校50年史』(1936年)より

大牟田「爆発赤痢」事件

日本軍の毒ガス戦を支えた軍需化学企業

小島三郎

紅白の殺戮者 昭和十一年浜松一中 毒大福もち事件
作者:久保 親弘
紅白の殺戮者                くぼちかひろ

第八章
そのころ市内では,一中生と同じような食中毒症状を示す患者も,続々と発見されていた。いずれも日曜日に三好野の菓子を食べた者であり,市内の中学生,高等女学校生徒,小学校児童などを中心にして,各校とも数名から数十名におよぶ,生徒の罹患を確認した。
特に浜松師範学校附属小学校では,訓導三名,生徒六〇名が罹患して,臨時休校が決定された。浜松市内の織物工場でも,一〇日の行楽で三好野の大福餅を食べたところ,六〇名を越える女工が罹患する事件が発生した。浜松市役所でも,収入役をはじめ吏員やその家族,三〇名あまりが罹患していた。いずれも三好野で大福餅を購入した者か,一中生からのおすそ分けを貰った者であった。
また,罹患した母親から授乳されていた乳児二人にも,食中毒症状が発見され,母乳を媒介とした二次感染が疑われた。



※この食中毒のすごさから言って、普通では全くない!!軍医学校の関与が無かったのか?1936年にはハルピンニ正式に関東軍防疫部(731部隊)が設立される。

小島三郎の記述


小島三郎(ウキペディア)
小島 三郎(こじま さぶろう、1888年(明治21年)8月21日 - 1962年(昭和37年)9月9日)は、日本の医師。医学博士。
岐阜県各務原(かかみがはら)市出身。

『医学者たちの組織犯罪』(常石敬一著)より
メリットと業績
小島はその回顧録で、率直に「・・・ 驚天動地の業績は、何にもない。何等鮮や(か)な、決め手のない、只判定勝ちの審判を持(待)っても、何も大したものはない」と述べている(『日本衛生学雑誌 第17巻)。小島のおもな業績は、日本で発生する食中毒の多くの原因であったサルモネラ系の細菌と赤痢菌の分類だった。サルモネラ系の細菌としては腸チフス菌とパラチフス菌をあげることができるが、この他に多様の菌がこの系統に合まれる。サルモネラ系の菌は通常人には飲食物を経由して感染する。おもに食肉、ネズミの排泄物が感染源だが、近年はペットのミドリガメなども感染源となっている。小島が食中毒の問題に取り組むきっかけとなったのが、浜松の集団食中毒事件だったようである。浜松の食中毒の原因となったゲルトネル菌も、サルモネラの一種である。




※731部隊の前身である背陰河の部隊では、結核予防注射の人体実験が柳沢謙によって行われていた!!
結核予防接種と人体実験

※日本は、731部隊での研究を白日の下にさらすべきである。

※1936年に起きた浜松の大福もち事件の経過
1936年5月10日 浜松一中で運動会が開かれる。
5月11日午後、食中毒発病
軍医学校では5月12日午後から北野や防疫学教室で研修中の西俊英軍医大尉(当時)らが原因究明に取り組んでいた。軍医学校の発表は次の通りだった。
「・・・患者4例の糞便中よリゲルトネル氏菌と認むべき菌を証明し、之に因る中毒の疑濃厚となり・・・・尚細菌以外の毒物は目下の所証明し得ず」。

※本当に素早い軍医学校の対応ではないか??東京から浜松は当時列車でも時間はかかっただろう。
※小島三郎は食中毒発生の前年、1935年9月に東京大学伝染病研究所の助教授から教授に昇任したところだった。同じ頃、防研の嘱託に就任したものと推測できる。
※前年の1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)小島が防研の嘱託になった年。
※果たしてこの食中毒はどのように発生したのだろうか?防疫研究室は関係していないのか??不思議なことに軍の関係者の感染者からは誰一人死亡したものが出ていない!!軍の謀略ではないのか??
※陸軍飛行第七聨隊が新たに浜松に開隊し,ついで高射砲第一聨隊も設置された。昭和八年になると浜松陸軍飛行学校が開校し,浜松は陸軍航空部隊のメッカとして,知られるようになった。浜松陸軍衛戍病院の場合,ほとんどの軍医は,飛行第七聨隊附か陸軍飛行学校附,もしくは高射砲第一聨隊附であった。
※小島三郎が、防疫研究室の嘱託になり、お金をもらって研究したという事は、細菌戦に大きくかかわっていたという事だろう!!
※ゲルトネル菌は、広東の8604部隊部隊で使用されたようだ。
8604部隊南支那派遣軍の防疫給水部の1課の丸山茂証言に、同僚がお粥にそれを混入して、多くの難民の中国人を殺害したという証言をしている。




・三井という会社
毒ガスを、戦前は大量に作り、戦後も枯葉剤の原料を作ってニュージランドのメーカーを通じてアメリカ軍に提供されていた。アメリカの枯葉剤の3分の1は日本製だと言われている??
ベトナム戦争の枯れ葉剤の原料を三井東圧が大

横浜マンション傾き問題、施工3社を提訴 三井不動産系

護衛艦などを作る!!軍需会社!!
三井造船が建造した船舶

※枯葉剤の製造では、ネットには、こんな記述もある。
731部隊直系のミドリ十字を内部に組み込んだ三菱ケミカルホールディングスの前身である三菱化成は、ヴェトナム戦争における枯れ葉剤作戦の主役、モンサント社と組んでいたのである。


イタイイタイ病を究明した萩野医師に圧力をかけた三井財閥とそれに協力した医学界の権威者たち
萩野 昇 (※戦争中、軍医としてどんなことをやっていたのだろうか?)
2015年
偉人医 · 萩野昇
萩野昇(富山のシュヴァイツァー)
富山平野の中央部を流れる神通川は昔から「神が通る川」として地元の人たちから崇められていた。住民たちは神通川のサケやアユを食べ、神通川の水を農業用水として利用し、また水道が普及するまでは生活用水として住民たちの喉をうるおしていた。この北アルプスから流れ下る神通川が、いつしか「毒の通る川」に変わっていたのだった。イタイイタイ病はこの神通川上流にある神岡鉱山から排出されたカドミウムによって引き起こされた公害病であった。



予期せぬアメリカの評価

岡山大学の小林教授の実験室でも、ネズミを用いた実験が平行して行われていた。そしてついに成功した。カドミウムを混ぜた餌を与えたネズミでは、食べた以上のカルシウムが尿から排出され、骨が薄くなることが証明されたのである。1年間でネズミの骨の30%以上が溶け出し、225匹のネズミがイタイイタイ病と同じ症状を示した。この実験結果は昭和42年の日本医学会総会で発表され、逆もまた真なりを証明したのだった。イタイイタイ病のカドミウム説の一番の弱点であった動物実験に成功したのである。アメリカが萩野の研究を認め、研究費を与えたことがイタイイタイ病の原因としてのカドミウム説を証明したのだった。この研究により日本の研究者たちも萩野の学説を支持し、萩野は地元住民たちからも認められるようになった。



御用学者は、民衆の立場に付かず、国・大企業の側に立つ!!この人は細菌戦にどのように関わったのだろう??
細谷省吾
※軍医学校防疫研究室は731部隊に、実験などの指令を出していた。細谷省吾は戦争当時、東大伝染病研究所教授で防疫研究室の嘱託研究者だった。

※金沢は731部隊に縁が深い!!731部隊長の石井四郎、その右腕だった増田知貞、生体解剖を多く手がけた石川太刀雄は、金沢四高から京都帝国大学医学部へ進学した。
731部隊で性病や結核の研究をして、戦後『政界ジープ』という右派の時局雑誌を発行した二木秀雄は金沢医科大学出身である。


三井造船、防衛省から新型潜水艦救難艦を受注 = 日本工業新聞

●日本軍が中国で行った細菌戦
・細菌戦パネル展(731部隊のやった細菌戦)



・細菌戦被害地(中国)の旅


・細菌戦被害地(中国)の旅



・細菌戦被害地(中国)の旅


※下記の“コラム”の記事にあるように、90名を裁判もかけずに捕まえ、30人をハルビンの731部隊で人体実験に供し、残りの60人は、孫呉で下車させられ、習志野学校(毒ガス部隊)と石井部隊(731部隊)の協同による毒ガス弾効能実験にあてられ、その特別演習用に供せられた。つまり、90人全員が生体実験され殺されたわけだ!!!!

『細菌戦資料センター会報10号』より





731部隊展のホームページです。
ご覧下さい!!
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