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「731・100部隊展」実行委員会のブログ


731部隊について


NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」

※1949年のハバロフスク裁判の録音テープが見つかった!!

「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験」起こし
ナレーション
そして、戦争末期の1945年8月9日、ソ連が満州に侵攻。

731部隊は直ちに撤退を始めます。部隊は証拠隠滅のため、すべての囚人を殺害。実験施設を徹底的に破壊しました。医学者たちには特別の列車が用意され、いち早く日本へ帰国しました。
部隊のことは一切口外するなと言われた三角さん。この時、死体の処理を命じられました。

三角さん
死体の処理に少年隊来いって引っ張られて行って、死体の処理を各独房から引っ張り出して、中庭で鉄骨で井桁組んで、ガソリンをぶっかけて焼いたわけ。
焼いてね。全部焼き殺して骨だけにして、こんど骨を拾う。いや、戦争っていうものはこんなものかと、戦争ってものは絶対するもんじゃないと……つくづくそう思いましたね。ほんとにね。一人で泣いた……。

ナレーション
人体実験を主導し、日本へいち早く帰国した医学者たち。戦後、その行為について罪に問われることはありませんでした。アメリカは人体実験のデータ提供と引き換えに隊員の責任を免除したのです。
多くの教え子を部隊に送ったとみられる戸田正三は金沢大学の学長に就任。部隊とのかかわりは語らないまま医学界の重鎮となりました。

チフス菌の爆弾を開発していた田部井和(たべい・かなう)。

京都大学の教授となり、細菌学の権威となりました。
凍傷研究の吉村寿人も教授に就任。自分は非人道的な実験は行っていないと生涯否定し続けました。


吉村寿人の回想 『喜寿日記』 
私は軍隊内において、凍傷や凍死から兵隊をいかにして守るかについて、部隊長の命令に従って研究したのであって、決して良心を失った悪魔になったわけではない。


※731部隊員であった金子純一が戦後、東大に出した論文には、中国の6か所の地名が細菌戦の行われた場所として、書かれている。
また、戦後アメリカのフェル博士が731部隊員を尋問して作成したフェルレポートには、12か所で、細菌戦が行われたとある。

※日本軍は、国際条約違反の細菌戦を大規模に行なった。しかし、日本政府は、731部隊での人体実験、細菌戦等の証拠をすべて隠蔽し、この事実を認めようとしない!!

※中国の人たちは、日本軍に土地や住宅を強制的に奪われたから、日本軍に反発するのは当然だ!!匪賊とは日本人が勝手に付けた蔑称だ!!

※番組では、川島清を第一部(細菌研究)部長としているが、第4部 細菌製造部部長(軍医少将)の時もあった。


※勿論731部隊の支部や他の防疫給水部に送られ、人体実験に関わった多くの医学者がいた!!
中国にあった日本軍の陸軍病院の軍医等も、生体手術演習と称して、生体解剖をしていた。場合によっては、日本人も実験材料にされた。
※この731部隊には、皇族の竹田宮が関わっていた。そして、研究費などの予算は昭和天皇の裁可がなければ出なかった。
天皇の弟・秩父宮、三笠宮も視察に来たし、もしかしたら昭和天皇も来たのではないか??
unit731

※731部隊へは当時製薬会社等からの寄付もあった!!(大正製薬・・・・)
※ロ号棟を建設したのは大林組、松村建設、特設監獄は鈴木組が作った。

黒い太陽731


国家戦略特区に獣医学部か、戦時中の100部隊や731部隊を想起してしまう!!
つまり、満州での人体実験や細菌兵器の開発は当時の総務司長であった岸信介の許可なしには行われなかったのであり、七三一部隊を率いていた石井四郎の背後で岸信介が実権を握っていた感がある。
「みんなが知るべき情報/今日の物語」より



日本は「皇道精神の具現化」のために、毒ガス兵器、細菌兵器を使い、多くの人々を虐殺した!!
目指したのは、天皇中心の世界帝国 「八紘一宇」

教えてゲンさんより
防疫給水部(細菌戦部隊)


* 韓蔚  日軍細菌殺人罪行的見聞録から
さらに前へ進むと、両側の部屋には大小様々な大きさの乾燥器が並べてあり、
別の1部屋の中はすべて化学薬品であった。
ほかの数ケ所もすべて見張りがいたばかりでなく、すべて立入禁止の札が掛けられていた。
中村によると、中の人員はすべて指定された仕事の範囲があり、勝手に歩き回ることは許されず、規律は特に厳格であった。
注:数年働いていた王慶有によれば、そばに立ってちょっと見るだけでも駄目で、日本兵に見つかったら直ちに撃ち殺された

100部隊の細菌生産能力は、年間で炭疽菌200キログラム、鼻疽菌100キログラム、赤痢菌2~30キログラムだと言われています。


黒い太陽731


731復元CG



・中国には、日本軍の行なった細菌戦の影響と思われる?、原因不明の病気に悩んでいる人々が今も数多くいる!!






●1941年に日本軍は大量のペスト菌で汚染されたノミ、米、綿を空中投下したため、常徳権県庁所在地及び郊外農村でペスト病の大規模な流行を引き起こした。


・「旧日本軍による細菌戦に関する中国民衆の戦争記憶」
東京女子大学教授:聶莉莉(にえりり)
常徳細菌戦


・日本軍は常徳だけでなく、農安、農安大賚(のうあんだいらい)や衢県(くけん)廣信(こうしん)、廣豊、玉山などでも細菌戦を行った。

細菌戦被害の人々



近藤昭二氏講演



●松村高夫さん(慶応大学名誉教授)
松村講演1



松村講演2











ヒルレポート(総論)





●奈須重雄さん(細菌戦資料センター理事):「731部隊による細菌戦を検証する」3.5公開学習会
細菌戦を検証する!







侵華日軍第731部隊罪証陳列館
【731部隊展実行委員会より】

731部隊とはどんな部隊だったのでしょう?
 日本政府は、中国東北地方にあったこの部隊の情報を隠し続けています!!
 731部隊展実行委員会では、最新の資料を元に新たにパネルを作成しました!! 
 ぜひ、この機会にあなたの町で「731部隊展」を開いてみませんか? 

●「731部隊展」開催のお願い
日本は731部隊の暴行について正式に認めてはいない。
日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア

夏草をふみしめてなおも歩き続ける
軒下にのぞく歴史に凌辱された眼光
住居を追われ悪魔に翻弄された暗黒の日々
長い年月に耐え声も叫びも枯れ果てた
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より


日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア


混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



第6回学習会《731部隊の国家犯罪を裁く》
「731細菌戦部隊と医師の戦争責任」
―いわゆるQレポートから見た金子順一論文の意義について―
講師 莇(あざみ)昭三さん
全日本民医連名誉会長
「15年戦争と日本の医学医療研究会」名誉幹事長

主催:NPO法人731部隊・細菌戦資料センター

・1992年アメリカで、731部隊の人体実験のレポートが見つかった!!

【司会】質問の時間ですが、質問・ご意見があれば、どうぞおっしゃって下さい。
(発言)初めて参加します。731部隊のお話を聞いて、自衛隊の中にこれとよく似た部隊があるなと思って、びっくりして聞いてたんですけれども、その部隊は埼玉県の大宮にあります。名前は化学学校、今現在も化学兵器である、毒ガス中でも神経ガス、窒息がス、糜爛(びらん)ガスなど、いろんな化学兵器を製造して、それを使って、いろんな実験をしています。その実験の中には、僕も何と名前をつけていいのか疑うような実験もこの目で見ました。若い隊員が、10名ぐらい、実験の内容は殆ど知らされず、研究員が教えないんですね。この部屋の半分位の大きさの部屋なんですけど、そこに研究員が正体不明の液体を撒いて、それを蒸発させるんですね。そうすると部屋がガスだらけになりますね。その中に当時開発中の一般にはガスマスクと言われていますけど、防衛省では防護マスクと呼んでいます。その新型防護マスクを装着させて、隊員を中に入れて、いろいろ運動させたりさせて、外に出た所で、東京の三宿に自衛隊の衛生学校ってあるんですけど、そこの研究員、お医者さんなんですけど、いろんな人が外で待機して、隊員からいろんなことを聞くんですね。僕は、そこで、何を聞いたか分からないんですけど、恐らく目とか皮膚とか、いろんな異常。それで僕この実験に参加したときに、不思議な実験するなあと思って、何ていう名をつければいいのかなと思って、普通は大体名前があるんですけれどもね。この実験も正式には、「新型防護マスクの実用試験」担当は、化学学校、衛生学校だったと記憶しています。それで僕は「人体実験モドキ」とつけたんですけれども、今現在も、今日も、毒ガスが合成され、いろいろな実験がされています。是非参考にしてください。
(司会)何年頃のことですか?
(発言者)実験に参加したのは、昭和57年です。ただ、次から次へと新しいものが開発されています。今は、当時よりも新しい防護マスク開発され、同じような実験がされています。最終的には隊員を使う実験が一番いい実験なんですね。実際に人間を使って、ガスの実験をする。実験が行なわれたとき、研究部の実験室の冷蔵庫にあった毒ガスはVX、サリン、タブン、それからBZ?かな。確か4種ぐらいあって、何のガスを使用したかは僕もラベルを見ていないので、疑わしいですね。それからBZというのは自衛隊で米軍から情報をもらって新しく開発したガスで、無能力化剤と言ってました。自衛隊では。そのガスを吸うと9時間ぐらい体がいうことを利かなくなるんですね。ただし死ぬことは無いんですね。そして9時間ぐらい経ったら元の健康な状態になるんですね。それで、防衛省では無能力化剤と呼んでました。BZと言いましたけ。終わります。



1992年のニュース










・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた??
実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。
1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)
1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。
紅白の殺戮者
1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか?
当時、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。
三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと
2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと
患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない)
市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること

(参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年)





・三井という会社
毒ガスを、戦前は大量に作り、戦後も枯葉剤を作っていた!!
ベトナム戦争の枯れ葉剤の原料を三井東圧が大

※枯葉剤の製造では、ネットには、こんな記述もある。
731部隊直系のミドリ十字を内部に組み込んだ三菱ケミカルホールディングスの前身である三菱化成は、ヴェトナム戦争における枯れ葉剤作戦の主役、モンサント社と組んでいたのである。


イタイイタイ病を究明した萩野医師に圧力をかけた三井財閥とそれに協力した医学界の権威者たち
萩野 昇 (※戦争中、軍医としてどんなことをやっていたのだろうか?)
2015年
偉人医 · 萩野昇
萩野昇(富山のシュヴァイツァー)
富山平野の中央部を流れる神通川は昔から「神が通る川」として地元の人たちから崇められていた。住民たちは神通川のサケやアユを食べ、神通川の水を農業用水として利用し、また水道が普及するまでは生活用水として住民たちの喉をうるおしていた。この北アルプスから流れ下る神通川が、いつしか「毒の通る川」に変わっていたのだった。イタイイタイ病はこの神通川上流にある神岡鉱山から排出されたカドミウムによって引き起こされた公害病であった。


初の公害裁判へ

厚生省がイタイイタイ病を神岡鉱業所の廃水による公害と認定したのに、なぜ裁判で争わなくてはいけないのか。それは被告側が長期裁判に持ち込み原告側の疲労と諦めを期待していたためだった。しかし裁判の過程で興味ある多くの証言が飛び出した。
吉岡金市博士は次のような証言を行った。イタイイタイ病発生地区の杉の木を切って年輪を調べると、大正末期から昭和18年頃まで年輪の幅が非常に狭くなっていて、ほとんど成長していない。それ以降は徐々に成長して昭和20年以降は回復している。この杉の生長が止まった時期は神岡鉱山がさかんにカドミウムを流していた時期と一致すること、さらにイタイイタイ病が発生していない他の地区の杉の年輪はそのような変化は見られないと証言した。


御用学者は、民衆の立場に付かず、国・大企業の側に立つ!!
細谷省吾
※軍医学校防疫研究室は731部隊に、実験などの指令を出していた。細谷省吾は戦争当時、東大伝染病研究所教授で防疫研究室の嘱託研究者だった。

※金沢は731部隊に縁が深い!!731部隊長の石井四郎、その右腕だった増田知貞、生体解剖を多く手がけた石川太刀雄は、金沢四高から京都帝国大学医学部へ進学した。
731部隊で性病や結核の研究をして、戦後『政界ジープ』という右派の時局雑誌を発行した二木秀雄は金沢医科大学出身である。

護衛艦などを作る!!軍需会社!!
三井造船が建造した船舶


三井造船、防衛省から新型潜水艦救難艦を受注 = 日本工業新聞

●日本軍が中国で行った細菌戦
・パネル展(731部隊のやった細菌戦)




※下記の“コラム”の記事にあるように、90名を裁判もかけずに捕まえ、30人をハルビンの731部隊で人体実験に供し、残りの60人は、孫呉で下車させられ、習志野学校(毒ガス部隊)と石井部隊(731部隊)の協同による毒ガス弾効能実験にあてられ、その特別演習用に供せられた。つまり、90人全員が生体実験され殺されたわけだ!!!!

『細菌戦資料センター会報10号』より





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