あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか? | 「731・100部隊展」

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「731・100部隊展」実行委員会のブログ


7.7.集会 中国全面侵略戦争 80年と東京裁判(衆議院第1議員会館)


ノーモア7.7集会




731部隊について


NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」

※1949年のハバロフスク裁判の録音テープが見つかった!!
NHKの「731部隊」ドキュメンタリー、日本で衝撃広がる―中国メディア

NHK「731部隊」ドキュメントに反響 中国外務省が異例の論評

NHKスペシャル「731部隊の真実」について。The truth of Unit731


京大・東大の教授たちが731部隊の研究を推し進めた!!バックは日本国家
京大:戸田正三:当時京大医学部長
東大:長與又郎:当時東大総長
※京大は、きちんと文部省とのやり取りの文書を公開したのに、なぜ東大は文書をきちんと公開しない??
東大のコメント:「組織として積極的に関わったとは認識していない。」
※総長自らが石井と会って、話をし、総長退任後の1940年に731部隊の本部を視察している!!1938年には、国家総動員法が施行されている!!
東大は、きちんと説明せよ
731部隊本部に送り込んだ技師の数(現在までの調査では)、京大11名、東大6名、慶応2名・・・・


※勿論831部隊の支部や他の防疫給水部に送られ、人体実験に関わった多くの医学者がいた!!
軍医等も、生体手術演習と称して、生体解剖をしていた。
※この731部隊には、皇族の竹田宮が関わっていた。また、研究費などの予算は昭和天皇の裁可がなければ出なかった。
天皇の弟・秩父宮、三笠宮も視察来たし、もしかしたら昭和天皇も来たのではないか??
unit731

※731部隊へは当時製薬会社等からの寄付もあった!!(大正製薬・・・・)
※ロ号棟を建設したのは大林組、松村建設、特設監獄は鈴木組が作った。

黒い太陽731


国家戦略特区に獣医学部か、戦時中の100部隊や731部隊を想起してしまう!!
つまり、満州での人体実験や細菌兵器の開発は当時の総務司長であった岸信介の許可なしには行われなかったのであり、七三一部隊を率いていた石井四郎の背後で岸信介が実権を握っていた感がある。
「みんなが知るべき情報/今日の物語」より



日本は「皇道精神の具現化」のために、毒ガス兵器、細菌兵器を使い、多くの人々を虐殺した!!
目指したのは、天皇中心の世界帝国 「八紘一宇」

教えてゲンさんより
防疫給水部(細菌戦部隊)


* 篠塚良雄     731部隊少年隊   1923年生    1994年10月証言から
・・・・柄沢班でも、生体実験、生体解剖を毒力試験の名のもとに行ないました
・・・・私は5名の方を殺害いたしました。
5名の方々に対してそれぞれの方法でペストのワクチンを注射し、
あるいはワクチンを注射しないで、それぞれの反応を見ました。
ワクチンを注射しない方が1番早く発病しました。
その方はインテリ風で頭脳明晰といった感じの方でした。
睨みつけられると目を伏せる以外に方法がありませんでした。
ペストの進行にしたがって、真黒な顔、体になっていきました。
まだ息はありましたが、特別班の班員によって裸のまま解剖室に運ばれました
・・・・2ケ月足らずの間に5名の方を殺害しました。
特別班の班員はこの殺害したひとたちを、灰も残らないように焼却炉で焼いたわけであります。


黒い太陽731


731復元CG



・中国には、日本軍の行なった細菌戦の影響と思われる?、原因不明の病気に悩んでいる人々が今も数多くいる!!






●1941年に日本軍は大量のペスト菌で汚染されたノミ、米、綿を空中投下したため、常徳権県庁所在地及び郊外農村でペスト病の大規模な流行を引き起こした。


・「旧日本軍による細菌戦に関する中国民衆の戦争記憶」
東京女子大学教授:聶莉莉(にえりり)
常徳細菌戦


・日本軍は常徳だけでなく、農安、農安大賚(のうあんだいらい)や衢県(くけん)廣信(こうしん)、廣豊、玉山などでも細菌戦を行った。

細菌戦被害の人々



近藤昭二氏講演



●松村高夫さん(慶応大学名誉教授)
松村講演1



松村講演2











ヒルレポート(総論)





●奈須重雄さん(細菌戦資料センター理事):「731部隊による細菌戦を検証する」3.5公開学習会
細菌戦を検証する!







侵華日軍第731部隊罪証陳列館
【731部隊展実行委員会より】

731部隊とはどんな部隊だったのでしょう?
 日本政府は、中国東北地方にあったこの部隊の情報を隠し続けています!!
 731部隊展実行委員会では、最新の資料を元に新たにパネルを作成しました!! 
 ぜひ、この機会にあなたの町で「731部隊展」を開いてみませんか? 

●「731部隊展」開催のお願い
日本は731部隊の暴行について正式に認めてはいない。
日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア

夏草をふみしめ引込み線を歩いた
視界が不意に三角形に切り取られ
やがて歴史の暗渠(あんきょ)に足を踏み入れる
見上げれば天を突く巨大な残骸
ただれ崩れ落ち、悲しみの肉塊のように
灰色の空の下で泣いている
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より


日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア


混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



第6回学習会《731部隊の国家犯罪を裁く》
「731細菌戦部隊と医師の戦争責任」
―いわゆるQレポートから見た金子順一論文の意義について―
講師 莇(あざみ)昭三さん
全日本民医連名誉会長
「15年戦争と日本の医学医療研究会」名誉幹事長

主催:NPO法人731部隊・細菌戦資料センター

・1992年アメリカで、731部隊の人体実験のレポートが見つかった!!

【莇】
次は、陸軍病院のデング熱の患者さんにマラリアの予防注射の実験をしていることが書かれ、その下はデング熱病原体及び免疫に関する研究で、本学学生11名に接種、その下は陸軍軍医学校T種学生20名25歳前後にワクチンのテストをしたと書いてあります。

その当時の日本の陸軍の行なった人体実験はこの程度なんですね。そういうことを考えますと、A報告・G報告はこれに比べるととてつもなく無謀な人権を無視した残酷な実験であるかということが分かります。




1992年のニュース










・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた??
実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。
1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)
1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。
紅白の殺戮者
1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか?
当時、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。
三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと
2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと
患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない)
市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること

(参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年)



・三井という会社
毒ガスを、戦前は大量に作り、戦後も枯葉剤を作っていた!!
ベトナム戦争の枯れ葉剤の原料を三井東圧が大

イタイイタイ病を究明した萩野医師に圧力をかけた三井財閥とそれに協力した医学界の権威者たち
萩野 昇 (※戦争中、軍医としてどんなことをやっていたのだろうか?)
2015年
偉人医 · 萩野昇
萩野昇(富山のシュヴァイツァー)
富山平野の中央部を流れる神通川は昔から「神が通る川」として地元の人たちから崇められていた。住民たちは神通川のサケやアユを食べ、神通川の水を農業用水として利用し、また水道が普及するまでは生活用水として住民たちの喉をうるおしていた。この北アルプスから流れ下る神通川が、いつしか「毒の通る川」に変わっていたのだった。イタイイタイ病はこの神通川上流にある神岡鉱山から排出されたカドミウムによって引き起こされた公害病であった。


いわれなき中傷

イタイイタイ病はカドミウムによって腎障害をきたす骨軟化症の一種で、医学的な診察基準も確立していた。しかしながら神岡鉱業所の肩を持つ医師が多くいた。岐阜大学と金沢大学医学部の有力教授は、イタイイタイ病との関連性を否定し、産業医学の権威者は萩野の研究に難癖をつけた。ネズミにカドミウムを投与する動物実験ではイタイイタイ病の発現はなかったと断言する医師もいた。このように三井財閥に有利な発言をする学者ばかりだった。患者の体内に大量のカドミウムが集積していることを数値で示し、それゆえにカドミウムが原因としたのは萩野だけであったが、学会では孤立無援の状態となった。


御用学者は、民衆の立場に付かず、国・大企業の側に立つ!!
細谷省吾
※軍医学校防疫研究室は731部隊に、実験などの指令を出していた。細谷省吾は戦争当時、東大伝染病研究所教授で防疫研究室の嘱託研究者だった。

※金沢は731部隊に縁が深い!!731部隊長の石井四郎、その右腕だった増田知貞、生体解剖を多く手がけた石川太刀雄は、金沢四高から京都帝国大学医学部へ進学した。
731部隊で性病や結核の研究をして、戦後『政界ジープ』という右派の時局雑誌を発行した二木秀雄は金沢医科大学出身である。

護衛艦などを作る!!軍需会社!!
三井造船が建造した船舶


三井造船、防衛省から新型潜水艦救難艦を受注 = 日本工業新聞

・パネル展(731細菌戦)



※下記の“コラム”の記事にあるように、90名を裁判もかけずに捕まえ、30人をハルビンの731部隊で人体実験に供し、残りの60人は、孫呉で下車させられ、習志野学校(毒ガス部隊)と石井部隊(731部隊)の協同による毒ガス弾効能実験にあてられ、その特別演習用に供せられた。つまり、90人全員が生体実験され殺されたわけだ!!!!

『細菌戦資料センター会報10号』より





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