あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか? | 「731・100部隊展」

「731・100部隊展」

「731・100部隊展」実行委員会のブログ


7.7.集会 中国全面侵略戦争 80年と東京裁判(衆議院第1議員会館)


1937.7.7集会 ノーモア7.7



731部隊について

国家戦略特区に獣医学部か、戦時中の100部隊や731部隊を想起してしまう!!
現に安倍のおじいさん岸信介は、1936年当時、満州国国務院総務司長であり、軍馬や家畜に対する細菌兵器の開発を担当していた。


日本は「皇道精神の具現化」のために、毒ガス兵器、細菌兵器を使い、多くの人々を虐殺した!!
目指したのは、天皇中心の世界帝国 「八紘一宇」

教えてゲンさんより
防疫給水部(細菌戦部隊)


教えてゲンさんより
防疫給水部(細菌戦部隊)


生体実験の証拠資料
細菌部隊については国として正式資料等を残しているわけではありません。、
現在の調査はすべて周辺の状況証拠を集めて組立て判断しています。
しかしわずかながら発見されている資料もあります。
1983年秋に神田の古本屋に売りに出た資料です。
兒嶋俊郎氏が入手し慶応大学図書館が購入したものです。
発見された資料は次の3つです。
きい弾射撃ニ因ル皮膚障害並一般臨床的症状観察
破傷風毒素並びに芽胞接種時に於ける筋クロナキシ-に就て
関東軍防疫給水部研究報告
これらの資料を少し見てみます。
* きい弾射撃に因る皮膚障害並びに一般臨床的症状観察(原文カナ)
加茂部隊      池田少佐担当
1940年9月7日から10日にかけて実施された、
毒ガスのイペリット弾を発射させたり、イペリットやルイサイトの水溶液を飲ませた5種類の実験結果報告書です。
恐らくは毒ガス部隊である第516部隊と協力した実験だと思われます。
イペリットはマスタ-ドガスとも言われ糜爛性で致死性の毒ガスです。
ルサイトはより即効性のある致死性毒ガスです。
その両方とも砲弾に黄色い印を付けた為きい弾といわれました。
被験者は捕虜で柱に括り付けられ、すべて番号で呼ばれました。
報告書表紙の加茂部隊とは731部隊の秘匿名です。
原文はカナですが読みやすく直します。
読み取り不明は?とします

第二章 症例
第一地域陣地内被験者の症状およびその後の経過
287号
(注:731部隊の捕虜・マルタで番号で呼ばれます)
9月7日き弾射撃後4時間全身倦怠、口囲発赤を認め、
翌8日1時頃より全身倦怠、脱力感を覚え頚部発赤、顔面浮腫、眼瞼浮腫状、前臍背面部発赤、
22時頃より口囲に粟粒大水疱発生あり
9日22時頃より口囲に多粟粒大ないし米粒大の水泡発生、10日17時発熱37度、
・・・・・以下省略
280号
攻撃後4時間頃全身倦怠、不機嫌となる、
皮膚は顔面、頚、前胸、肩甲、陰嚢に潮紅を呈す、
眼は羞明、流涙多量、結膜充血す。
8日6時頃より嗜眠顔面浮腫脈拍亢進す。
皮膚は頚、前胸、肩甲発赤、顔面
特に口唇と陰嚢に粟粒大の水疱発生し亀頭発赤腫脹を認む。
眼は流涙多量、眼瞼浮腫、結膜浮腫並びに充血角膜混濁す。
鼻汁咳を訴ふ8日18時頃体温37度皮膚は顔面頚部に米粒大の水泡散在す。
両眼瞼浮腫、結膜充血、開眼困難なり、しわがれ声呼吸困難を訴ふ
・・・・以下省略
(・・・・その後296号、294号、376号
第二地域陣地内
265号、464号468号、499号、513号
(内容省略)
第三地域陣地内
303号、485号、486号、372号、358号
(内容省略)
[持続効力ならびに原水攻撃効力観察]
持久効力観察は,き弾射撃中止後約2時間半にして
被験物(人のこと)を配置し10日22時より11日4時半まで放置して後観察す。
359号
11日9時食思不振脱力感を訴ふ。
皮膚は顔面特に眼瞼、鼻、口周囲、頂、腋、頚、背、腰、右前脛、両大腿発赤潮紅す。
眼は羞明流涙、眼瞼浮腫、結膜充血、角膜混濁す。
鼻汁、頚内掻破感まらびに灼熱痛、咳、咽喉発赤す
・・・・以下省略
[原水攻撃効果観察] (毒ガス液を直接飲ませるひどい試験です)
479号
9月7日 原水飲用(攻撃)セシム
同10日 20時右眼に原水点眼す
同11日 右眼結膜発赤充血を認むる
同8日  (攻撃後12時間)嘔吐、下痢、????、粘血便を排出す
以下省略
287号
9月9日 原水を木炭にて除毒せる水300竓飲用(攻撃)せしむ
原水イペリット  15mg/L
ルイサイト    15mg/L
同10日 10日中には著変なし
10昼9日の原水を活性炭にて除毒せる水600竓飲用(攻撃)せしむ
以下省略
464号
9月9日の朝原水(イペリット148mg/L ルイサイト26mg/L)を
10日昼より飲用せしむるに
12時間後、食思不振、悪心嘔吐を訴ふ
11日食思不振17時頃嘔吐3回悪心腹部圧痛あり  
以下省略


黒い太陽731


731復元CG



・中国には、日本軍の行なった細菌戦の影響と思われる?、原因不明の病気に悩んでいる人々が今も数多くいる!!






●1941年に日本軍は大量のペスト菌で汚染されたノミ、米、綿を空中投下したため、常徳権県庁所在地及び郊外農村でペスト病の大規模な流行を引き起こした。


・「旧日本軍による細菌戦に関する中国民衆の戦争記憶」
東京女子大学教授:聶莉莉(にえりり)
常徳細菌戦


・日本軍は常徳だけでなく、農安、農安大賚(のうあんだいらい)や衢県(くけん)廣信(こうしん)、廣豊、玉山などでも細菌戦を行った。

細菌戦被害の人々



近藤昭二氏講演



●松村高夫さん(慶応大学名誉教授)
松村講演1



松村講演2











ヒルレポート(総論)





●奈須重雄さん(細菌戦資料センター理事):「731部隊による細菌戦を検証する」3.5公開学習会
細菌戦を検証する!







侵華日軍第731部隊罪証陳列館
【731部隊展実行委員会より】

731部隊とはどんな部隊だったのでしょう?
 日本政府は、中国東北地方にあったこの部隊の情報を隠し続けています!!
 731部隊展実行委員会では、最新の資料を元に新たにパネルを作成しました!! 
 ぜひ、この機会にあなたの町で「731部隊展」を開いてみませんか? 

●「731部隊展」開催のお願い
日本は731部隊の暴行について正式に認めてはいない。
日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア

夏草をふみしめ引込み線を歩いた
視界が不意に三角形に切り取られ
やがて歴史の暗渠(あんきょ)に足を踏み入れる
見上げれば天を突く巨大な残骸
ただれ崩れ落ち、悲しみの肉塊のように
灰色の空の下で泣いている
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より


日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア


混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



第6回学習会《731部隊の国家犯罪を裁く》
「731細菌戦部隊と医師の戦争責任」
―いわゆるQレポートから見た金子順一論文の意義について―
講師 莇(あざみ)昭三さん
全日本民医連名誉会長
「15年戦争と日本の医学医療研究会」名誉幹事長

主催:NPO法人731部隊・細菌戦資料センター

・1992年アメリカで、731部隊の人体実験のレポートが見つかった!!

【近藤】 これは「死の工場」という私が翻訳したシェルダン・ハリスという向うの学者の本なんですが、アメリカの生物戦計画の経緯がこの本の12章詳しく書かれておりますので、ご関心がある方は是非読んでいただくと詳しく載っております。
そのアメリカにできたキャンプ・デトリックについても、「カッティング・エッジ」?これはフォート・デトリックの広報部長だったノーマン・ポバーツという人が、フォート・デトリックの歴史についてまとめて書いた本です。
それから、フォート・デトリックの施設そのもので出しているこういうガイドブックみたいなものもあります。
そのノーマン・ポバーツさんに直接聞いたんですが、今フォート・デトリックには日本軍の731部隊などの生物戦関連の資料はコピーしか残ってないんですよ。それでフェル・レポートやヒル・レポートなどもあるんですがそれはみんなコピーで、その元はどうなったかと言うと、先ほど申しました米ソの間で禁止条約できた1982年にそういうことで研究を止めるんだからということで、フォート・デトリックにあった日本軍の資料を一切、ユタのダグウェイ基地にそこへそっくり移したということです。そのノーマン・ポバーツさんも言ってますし、「死の工場」の著者のシェルダン・ハリスさんが先ほどの番組を制作している時にですね、アメリカにいるNHKのリサーチャーの野口さんに「ダグウェイに残っているよ。」と教えてくれたんですね。それで私達がユタへ行ったわけですけれども。


1992年のニュース










・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた??
実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。
1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)
1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。
紅白の殺戮者
1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか?
当時、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。
三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと
2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと
患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない)
市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること

(参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年)



・三井という会社
毒ガスを、戦前は大量に作り、戦後も枯葉剤を作っていた!!
ベトナム戦争の枯れ葉剤の原料を三井東圧が大

イタイイタイ病を究明した萩野医師に圧力をかけた三井財閥とそれに協力した医学界の権威者たち
萩野 昇 (※戦争中、軍医としてどんなことをやっていたのだろうか?)
2015年
偉人医 · 萩野昇
萩野昇(富山のシュヴァイツァー)
富山平野の中央部を流れる神通川は昔から「神が通る川」として地元の人たちから崇められていた。住民たちは神通川のサケやアユを食べ、神通川の水を農業用水として利用し、また水道が普及するまでは生活用水として住民たちの喉をうるおしていた。この北アルプスから流れ下る神通川が、いつしか「毒の通る川」に変わっていたのだった。イタイイタイ病はこの神通川上流にある神岡鉱山から排出されたカドミウムによって引き起こされた公害病であった。


他分野の協力者出現

さらに力強い味方が現れた。昭和34年、岡山大学教授の小林純博士から「神通川の水質を調べたい」と依頼の手紙が突然届いたのである。小林はかつて農林省農事試験場技師として戦時中の昭和17年に婦中町の稲作被害の調査を命じられ、「これは冷害による被害ではなく、上流の神岡鉱山から流れた亜鉛、鉛などによる鉱毒である」と農林省に報告した人物である。この報告書は戦争中であったことから曖昧に処理され、農民には補償金は出されなかった。その後、小林は岡山大学の教授となり、河川の水質検査の専門家となっていた。そしてスペクトログラフという最新の機器を岡山大学の研究所に備えたばかりであった。


御用学者は、民衆の立場に付かず、国・大企業の側に立つ!!
細谷省吾
※軍医学校防疫研究室は731部隊に、実験などの指令を出していた。細谷省吾は戦争当時、東大伝染病研究所教授で防疫研究室の嘱託研究者だった。

※金沢は731部隊に縁が深い!!731部隊長の石井四郎、その右腕だった増田知貞、生体解剖を多く手がけた石川太刀雄は、金沢四高から京都帝国大学医学部へ進学した。
731部隊で性病や結核の研究をして、戦後『政界ジープ』という右派の時局雑誌を発行した二木秀雄は金沢医科大学出身である。

護衛艦などを作る!!軍需会社!!
三井造船が建造した船舶


三井造船、防衛省から新型潜水艦救難艦を受注 = 日本工業新聞

・パネル展(731細菌戦)


※下記の“コラム”の記事にあるように、90名を裁判もかけずに捕まえ、30人をハルビンの731部隊で人体実験に供し、残りの60人は、孫呉で下車させられ、習志野学校(毒ガス部隊)と石井部隊(731部隊)の協同による毒ガス弾効能実験にあてられ、その特別演習用に供せられた。つまり、90人全員が生体実験され殺されたわけだ!!!!

『細菌戦資料センター会報10号』より





731部隊展のホームページです。
ご覧下さい!!
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