あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか? | 「731・100部隊展」

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「731・100部隊展」実行委員会のブログ


731部隊について
ビデオ証言が731部隊建設班に所属していた鈴木進さんご夫妻になりました!!


国家戦略特区に獣医学部か、戦時中の100部隊や731部隊を想起してしまう!!
現に安倍のおじいさん岸信介は、1936年当時、満州国国務院総務司長であり、軍馬や家畜に対する細菌兵器の開発を担当していた。


日本は「皇道精神の具現化」のために、毒ガス兵器、細菌兵器を使い、多くの人々を虐殺した!!
目指したのは、天皇中心の世界帝国 「八紘一宇」

教えてゲンさんより
防疫給水部(細菌戦部隊)


教えてゲンさんより
防疫給水部(細菌戦部隊)


特移扱証拠文書

特移扱と言う言葉は分かりました。
では具体的に一人一人の人間をどのようにして特移扱にしたのでしょうか?
敗戦時に日本軍は全ての書類を焼却したので資料はないとされていました。
しかし焼却の焼け跡から焼け残りの貴重な憲兵隊の特移扱文書が発見されて中国に保存されていました。
黒龍江省档案館は1999年8月2日、保存していた資料の一般公開に踏み切りました。
その後2001年に吉林省档案館でも資料が発見されました。
その2つの資料から実際の憲兵隊の特移扱文書を転記します。
原資料はカナで縦書きです。
見やすく手直ししました。

表の右側に「特機移牒」とか「特移送」と書かれている人が
731部隊に送られて、氏名を消されて単に番号で呼ばれて生体実験にあった人です。
* 東憲高第613号
整理諜者第1次抑留者の処置等に関する件報告
7・4東憲作命第15号参照
7・14東件高第532号参照
昭和16年7月25日    東安憲兵隊長 白濱重夫
関東憲兵隊司令官 原守殿
6月28日関憲高第625号に基き第1次抑留せる諜者並仝容疑者は
・・・・各隊所に於いて誠意真相究明に努め夫々別表の如く処置したるに付報告す 




黒い太陽731


731復元CG



・中国には、日本軍の行なった細菌戦の影響と思われる?、原因不明の病気に悩んでいる人々が今も数多くいる!!






●1941年に日本軍は大量のペスト菌で汚染されたノミ、米、綿を空中投下したため、常徳権県庁所在地及び郊外農村でペスト病の大規模な流行を引き起こした。


・「旧日本軍による細菌戦に関する中国民衆の戦争記憶」
東京女子大学教授:聶莉莉(にえりり)
常徳細菌戦


・日本軍は常徳だけでなく、農安、農安大賚(のうあんだいらい)や衢県(くけん)廣信(こうしん)、廣豊、玉山などでも細菌戦を行った。

細菌戦被害の人々



近藤昭二氏講演



●松村高夫さん(慶応大学名誉教授)
松村講演1



松村講演2











ヒルレポート(総論)





●奈須重雄さん(細菌戦資料センター理事):「731部隊による細菌戦を検証する」3.5公開学習会
細菌戦を検証する!







侵華日軍第731部隊罪証陳列館
【731部隊展実行委員会より】

731部隊とはどんな部隊だったのでしょう?
 日本政府は、中国東北地方にあったこの部隊の情報を隠し続けています!!
 731部隊展実行委員会では、最新の資料を元に新たにパネルを作成しました!! 
 ぜひ、この機会にあなたの町で「731部隊展」を開いてみませんか? 

●「731部隊展」開催のお願い
日本は731部隊の暴行について正式に認めてはいない。
日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア

夏草をふみしめ遺跡の前に跪(ひざまず)く
夏草をふみしめてなおも歩き続ける
軒下にのぞく歴史に凌辱された眼光
住居を追われ悪魔に翻弄された暗黒の日々
長い年月に耐え声も叫びも枯れ果てた
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より



日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア


混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



細菌戦資料発掘の旅(3)
近藤昭二(本資料センター共同代表 ジャーナリスト)
尋問調書
1949年12月3日         ハバロフスク市
私、内務省ハバロフスク地方管理局勤務員少佐コノノフおよび軍事検事法務少佐ボゴドは、元日本軍兵士、古都良雄、1924年生まれを、証人として尋問した。

古都証人はロシア連邦共和国刑法第95条に基づく偽証の責任に関し警告された。(署名)

日本語通訳官サンジャロフスキーはロシア連邦共和国刑法第95条に基づく虚偽の通訳に対する責任に関し警告された。(署名)

質問□生身の人間や動物を使ったどのような実験をあなたは知っていますか。
答え□1944年の秋には、数日に渡って安達駅にある731部隊の演習場で、私もそこにいましたが、土地を殺傷能力のある細菌で汚染させる実験を行いました。私自身、飛行機から、そしてその後専用の塔から、細菌が詰められた大きさ85×25cmの陶器製の爆弾を、投下させていくのを見ました。これらの爆弾がどこで作られ、どういう構造になっているのかは知りませんが、それらを731部隊の第4部で細菌汚染させていたことは知っています。飛行機から投下されたこれらの爆弾は、地上からおよそ50メートルで爆発し、細菌は雲のような形で地上に降りていきました。
約30メートルの高さの塔にあった爆弾は、塔から離れるとすぐに空中で爆発しました。その後、厳重に封鎖されていた汚染区画に、人々が放たれていきました。(私自身、5~6人ずつ満州人のグループが放たれていくのを見ました)。他にも、4~5人が柱に縛り付けられている場所に爆弾が投下されたこともありました。実験の最後には、その場所は丁寧に消毒され、汚染させられた人々は部隊に連れ戻されました。










・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた??
実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。
1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)
1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。
紅白の殺戮者
1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか?
当時、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。
三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと
2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと
患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない)
市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること

(参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年)





・三井という会社
毒ガスを、戦前は大量に作り、戦後も枯葉剤を作っていた!!
ベトナム戦争の枯れ葉剤の原料を三井東圧が大

イタイイタイ病を究明した萩野医師に圧力をかけた三井財閥とそれに協力した医学界の権威者たち
萩野 昇 (※戦争中、軍医としてどんなことをやっていたのだろうか?)
2015年
偉人医 · 萩野昇
萩野昇(富山のシュヴァイツァー)
富山平野の中央部を流れる神通川は昔から「神が通る川」として地元の人たちから崇められていた。住民たちは神通川のサケやアユを食べ、神通川の水を農業用水として利用し、また水道が普及するまでは生活用水として住民たちの喉をうるおしていた。この北アルプスから流れ下る神通川が、いつしか「毒の通る川」に変わっていたのだった。イタイイタイ病はこの神通川上流にある神岡鉱山から排出されたカドミウムによって引き起こされた公害病であった。


全国に知れ渡った奇病

富山新聞の八田清信記者が書いた記事はイタイイタイ病を次のように説明していた。
この病気はこれまで医学界に報告されていない奇病であり、婦中町熊野地帯に多発していること。日本医学界の権威者たちが大挙して来県し、正体解明のためメスを入れることになったこと。このイタイイタイ病は婦中町の熊野地区に大正時代から存在していて、業病、奇病とされていたこと。そして「痛い、痛い」と泣き叫びながら死んでいった患者が100人以上、現在も100人以上の患者が苦しんでいること。さらにこの奇病は地元の萩野病院長、萩野昇博士が発見者であり、リウマチの研究者、細菌学者などが中心となり奇病の解明がなされていること、などであった。


御用学者は、民衆の立場に付かず、国・大企業の側に立つ!!
細谷省吾
※軍医学校防疫研究室は731部隊に、実験などの指令を出していた。細谷省吾は戦争当時、東大伝染病研究所教授で防疫研究室の嘱託研究者だった。

※金沢は731部隊に縁が深い!!731部隊長の石井四郎、その右腕だった増田知貞、生体解剖を多く手がけた石川太刀雄は、金沢四高から京都帝国大学医学部へ進学した。
731部隊で性病や結核の研究をして、戦後『政界ジープ』という右派の時局雑誌を発行した二木秀雄は金沢医科大学出身である。

護衛艦などを作る!!軍需会社!!
三井造船が建造した船舶


三井造船、防衛省から新型潜水艦救難艦を受注 = 日本工業新聞

・パネル展(731細菌戦)





※下記の“コラム”の記事にあるように、90名を裁判もかけずに捕まえ、30人をハルビンの731部隊で人体実験に供し、残りの60人は、孫呉で下車させられ、習志野学校(毒ガス部隊)と石井部隊(731部隊)の協同による毒ガス弾効能実験にあてられ、その特別演習用に供せられた。つまり、90人全員が生体実験され殺されたわけだ!!!!

『細菌戦資料センター会報10号』より





731部隊展のホームページです。
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