あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか? | 「731・100部隊展」

「731・100部隊展」

「731・100部隊展」実行委員会のブログ


731部隊について

国家戦略特区に獣医学部か、戦時中の100部隊や731部隊を想起してしまう!!



日本は「皇道精神の具現化」のために、毒ガス兵器、細菌兵器を使い、多くの人々を虐殺した!!
目指したのは、天皇中心の世界帝国 「八紘一宇」

教えてゲンさんより
防疫給水部
(細菌戦部隊)


林口支部(第162部隊)
* 手記 原島修一 林口支部長 中帰連機関誌から
支部に送られてきた50トンの生産材料から菌を生産すると、約500キログラムの細菌が生産できたのである。・・・・
支部が生産し得る500キログラムの細菌とは、飛行機の雨下器で撒布するとすれば、約17万平方キロメ-トルの面積、すなわち中国東北の1/3以上の地域に撒布出来、その地域内に伝染病の大流行を起こさせるにたる十分な量であり、また中ソ東部国境地帯に撒布すれば、同地域内の中ソ部隊
および中ソ両国の平和人民を屠殺しうるにたる驚異的な量であったのである。・・・・
ソ連軍との開戦当時、支部の細菌戦実施方法について、私は2つの場合を予想し計画していた。
第1は従来と同じく731部隊長の指揮のもとに細菌戦を実施する場合と、
第2は731部隊長の直接の指揮を離れて、第一線の軍に配属され、軍防疫給水部として行動し細菌戦を実施する場合であった。・・・・
1945年9月に入るとすぐ、軍医中将石井四郎より支部長集合の命令を受け、私は731部隊に集合した。・・・・
石井の口から恐るべき大陰謀計画が伝達された。
それは、大本営の指示に基づいて、731部隊が8月末を期限として、ペスト菌蚤1~2トンを使用できるように準備することであった。



黒い太陽731


731復元CG



・中国には、日本軍の行なった細菌戦の影響と思われる?、原因不明の病気に悩んでいる人々が今も数多くいる!!






●1941年に日本軍は大量のペスト菌で汚染されたノミ、米、綿を空中投下したため、常徳権県庁所在地及び郊外農村でペスト病の大規模な流行を引き起こした。


・「旧日本軍による細菌戦に関する中国民衆の戦争記憶」
東京女子大学教授:聶莉莉(にえりり)
常徳細菌戦


・日本軍は常徳だけでなく、農安、農安大賚(のうあんだいらい)や衢県(くけん)廣信(こうしん)、廣豊、玉山などでも細菌戦を行った。

細菌戦被害の人々



近藤昭二氏講演



●松村高夫さん(慶応大学名誉教授)
松村講演1



松村講演2











ヒルレポート(総論)





●奈須重雄さん(細菌戦資料センター理事):「731部隊による細菌戦を検証する」3.5公開学習会
細菌戦を検証する!







侵華日軍第731部隊罪証陳列館
【731部隊展実行委員会より】

731部隊とはどんな部隊だったのでしょう?
 日本政府は、中国東北地方にあったこの部隊の情報を隠し続けています!!
 731部隊展実行委員会では、最新の資料を元に新たにパネルを作成しました!! 
 ぜひ、この機会にあなたの町で「731部隊展」を開いてみませんか? 

●「731部隊展」開催のお願い
日本は731部隊の暴行について正式に認めてはいない。
日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア

夏草をふみしめ引込み線を歩いた
視界が不意に三角形に切り取られ
やがて歴史の暗渠(あんきょ)に足を踏み入れる
見上げれば天を突く巨大な残骸
ただれ崩れ落ち、悲しみの肉塊のように
灰色の空の下で泣いている
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より



日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア


混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



2012.7.26~8.2
吉林省(農安、農安・大賚、新京)の細菌戦調査訪中ドキュメント
2012年7月27日から8月1日まで、吉林省の農安、農安・大賚、新京で、細菌戦の被害調査を行いました。
吉林省(農安、農安・大賚、新京)細菌戦調査をおこなって
NPO細菌戦資料センター
奈須重雄
しかし、「一部には謀略という考えもあった」「これを確認する何等の根拠も見出されなかった」と書いています。これは、新京にペストが流行していた時期に、流行の原因は謀略だという噂が流れました。外国によるものという噂だけではなく、日本軍によるものだとの噂もありました。
また、「農安を汚染して居た自然的因子が画然と県城で進行を止める理由はないのであるから従って直接移入ということも考えられるが、それよりも農安県城を汚染して居た同じ因子が新京へも波及し」たとも考えられると、意味深な表現もしています。
新京ペストの初発地(田島犬猫病院)を確認しました。場所は、満鉄病院と当時の日本橋通に挟まれた「三角地帯」にあります。長春も町並みの再開発が行われていて、随分変わりました。でも、田島犬猫病院の建物は半分が壊されて、半分が残っていました。「三角地帯」は間もなく再開発されるでしょう。
旧千早病院(伝染病病院)は残っていました。保存するようです。ここには、ペスト患者が収容されました。病理解剖も行われています。100部隊(関東軍軍馬防疫廠)跡はマンションが建設中であり、保存するのは煙突のみです。



※日本人も731部隊で細菌などを扱っていたので、細菌に感染することがあった。時には日本人も、生体解剖された!!









・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた??
実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。
1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)
1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。
紅白の殺戮者
1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか?
当時、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。
三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと
2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと
患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない)
市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること

(参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年)



・三井という会社
毒ガスを、戦前は大量に作り、戦後も枯葉剤を作っていた!!
ベトナム戦争の枯れ葉剤の原料を三井東圧が大

イタイイタイ病を究明した萩野医師に圧力をかけた三井財閥とそれに協力した医学界の権威者たち
萩野 昇 (※戦争中、軍医としてどんなことをやっていたのだろうか?)
2015年
偉人医 · 萩野昇
萩野昇(富山のシュヴァイツァー)
富山平野の中央部を流れる神通川は昔から「神が通る川」として地元の人たちから崇められていた。住民たちは神通川のサケやアユを食べ、神通川の水を農業用水として利用し、また水道が普及するまでは生活用水として住民たちの喉をうるおしていた。この北アルプスから流れ下る神通川が、いつしか「毒の通る川」に変わっていたのだった。イタイイタイ病はこの神通川上流にある神岡鉱山から排出されたカドミウムによって引き起こされた公害病であった。


初の公害裁判へ

神岡鉱山は奈良時代から鉱山として知られており、明治7年に明治政府から三井組に経営が譲渡されが、当時はカドミウムの名前も毒性も知られていなかった。また神岡鉱山の亜鉛生産は国家の戦時体制により増産が続いた。亜鉛の鉱石にはカドミウムが含まれ、重量比では亜鉛の20%がカドミウムであった。亜鉛のあるところには必ずカドミウムが存在していた。
亜鉛の大量生産が開始された大正時代から、カドミウムが神通川流域に大量に集積していたと考えられた。神岡鉱山は亜鉛鉱を1日4700トンを採掘し、神岡町は人口二万七千人を数え、にぎわいを見せていた。神岡鉱業所の従業員は4500人で、国内最大級の鉱山として知られていた。政府は神岡鉱山を存続させるため資金を出した。神岡鉱山は患者住民団体との和解を進め企業として存続できた。しかし時代の流れは皮肉なものである。鉱脈がしだいに枯渇し神岡町の人口は半減し、作業員は50人足らずとなった。そして平成13年6月29日に亜鉛・鉛鉱石の採掘を中止し、その長い歴史を閉じたのである。


御用学者は、民衆の立場に付かず、国・大企業の側に立つ!!
細谷省吾
※軍医学校防疫研究室は731部隊に、実験などの指令を出していた。細谷省吾は戦争当時、東大伝染病研究所教授で防疫研究室の嘱託研究者だった。

※金沢は731部隊に縁が深い!!731部隊長の石井四郎、その右腕だった増田知貞、生体解剖を多く手がけた石川太刀雄は、金沢四高から京都帝国大学医学部へ進学した。
731部隊で性病や結核の研究をして、戦後『政界ジープ』という右派の時局雑誌を発行した二木秀雄は金沢医科大学出身である。

護衛艦などを作る!!軍需会社!!
三井造船が建造した船舶


三井造船、防衛省から新型潜水艦救難艦を受注 = 日本工業新聞

・パネル展(731細菌戦)


※下記の“コラム”の記事にあるように、90名を裁判もかけずに捕まえ、30人をハルビンの731部隊で人体実験に供し、残りの60人は、孫呉で下車させられ、習志野学校(毒ガス部隊)と石井部隊(731部隊)の協同による毒ガス弾効能実験にあてられ、その特別演習用に供せられた。つまり、90人全員が生体実験され殺されたわけだ!!!!

『細菌戦資料センター会報10号』より





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