あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか? | 「731・100部隊展」

「731・100部隊展」

「731・100部隊展」実行委員会のブログ


731部隊について

国家戦略特区に獣医学部か、戦時中の100部隊や731部隊を想起してしまう!!



日本は「皇道精神の具現化」のために、毒ガス兵器、細菌兵器を使い、多くの人々を虐殺した!!
目指したのは、天皇中心の世界帝国 「八紘一宇」

教えてゲンさんより
防疫給水部
(細菌戦部隊)


林口支部(第162部隊)
* 手記 原島修一 林口支部長 中帰連機関誌から
・・・林口支部は皇軍がソ連攻略を企図した時期に創設された・・・・
建物は731部隊の飛行機による前進拠点として、対ソ細菌戦に使用することを考慮して設計されたものである。・・・・
1944年、731部隊長北野少将は、ソ連との開戦を予期し、ソ連軍の爆撃により同部隊の細菌生産業務が低下するのを防止するために、生産材料の分散配置をとり、さらに細菌戦準備のために細菌生産の拡大増強を企図して、各支部の潜在能力を考え、支部の設備、能力を調査させた。・・・・
私は1945年1月第1課長細谷少佐に命じて、細菌戦準備のために、以前から培養していたチフス菌、A型及びB型パラチフス菌、赤痢菌の保存培養の中から、各菌株の動物に対する毒力検査を実施させ、強毒菌株を選定し、
各菌試験管10本宛保存培養を実施して、大量細菌生産の命令にただちに応じ得る体制を整えた。
当時の支部の細菌培養の設備では、細菌生産量は1ケ月最大450グラムであったが、もし設備を拡大すれば、約1週間に324グラムの驚異的な細菌量を生産することが出来た。



黒い太陽731


731復元CG



・中国には、日本軍の行なった細菌戦の影響と思われる?、原因不明の病気に悩んでいる人々が今も数多くいる!!






●1941年に日本軍は大量のペスト菌で汚染されたノミ、米、綿を空中投下したため、常徳権県庁所在地及び郊外農村でペスト病の大規模な流行を引き起こした。


・「旧日本軍による細菌戦に関する中国民衆の戦争記憶」
東京女子大学教授:聶莉莉(にえりり)
常徳細菌戦


・日本軍は常徳だけでなく、農安、農安大賚(のうあんだいらい)や衢県(くけん)廣信(こうしん)、廣豊、玉山などでも細菌戦を行った。

細菌戦被害の人々



近藤昭二氏講演



●松村高夫さん(慶応大学名誉教授)
松村講演1



松村講演2











ヒルレポート(総論)





●奈須重雄さん(細菌戦資料センター理事):「731部隊による細菌戦を検証する」3.5公開学習会
細菌戦を検証する!







侵華日軍第731部隊罪証陳列館
【731部隊展実行委員会より】

731部隊とはどんな部隊だったのでしょう?
 日本政府は、中国東北地方にあったこの部隊の情報を隠し続けています!!
 731部隊展実行委員会では、最新の資料を元に新たにパネルを作成しました!! 
 ぜひ、この機会にあなたの町で「731部隊展」を開いてみませんか? 

●「731部隊展」開催のお願い
日本は731部隊の暴行について正式に認めてはいない。
日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア

聞け、この沈黙の慟哭を
平房の涙、地底の叫びを
見よ、この虐げられた大地を
名も知れぬ鳥たちが番人のように私を見下ろしている
記憶は人間の地底を永劫に流れ続ける
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より



日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア


混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



2012.7.26~8.2
吉林省(農安、農安・大賚、新京)の細菌戦調査訪中ドキュメント
2012年7月27日から8月1日まで、吉林省の農安、農安・大賚、新京で、細菌戦の被害調査を行いました。
吉林省(農安、農安・大賚、新京)細菌戦調査をおこなって
NPO細菌戦資料センター
奈須重雄
新京のペスト流行についても『戦争と疫病』で解明されています。
731部隊の高橋正彦は農安方面からの伝播であるとして、様々な経路を検討していますが、具体的な搬入経路は不明としています。
新京のペスト流行の原因は農安方面からの伝播であることはまず間違いないと思いますが、少しくい違いがあります。新京日々新聞(10月2日)に「最初の犠牲田島氏方雇人王合がペスト地域に指定されている農安県萬寶山の親戚に最近まで寄寓し帰宅後間もなく発熱死亡し続いて同家から患者が続発しており農安県で罹病したものと推定され」と書かれています。しかし、新京日々新聞(10月30日)では、田島犬猫病院の田島院長は、「巷間死亡した私の家の子守が農安の実家から菌を持って来たように言われていますが、あれは家から出たことがありません、従ってあれが菌を持って来たのではありません。今は亡き彼の霊のためお諒解をねがいます」と事実が違うことを言っている。田島犬猫病院の院長の言葉は真実のような気がします。王合が新京の外でペストに感染して、新京にペストをもたらしたものではないと思います。
満州国国立衛生技術廠長の安部俊男は、「新京市なるものは地理的にこのペスト地帯の東北隅に於てこれに接して存在するのである。早晩此の地がペスト地帯に包含されないという何等の理論的根拠が無い」「ペスト地帯の開発の進捗及びこれ等地方に対する行政の浸透に伴って、これ等の地方と新京市との関係が交通的にも産業的にも日に月に密になって来たのであるから、建国後何事も無かったというのは寧ろ幸運というべきである」と当時の状況を説明しています。(「新京に発生せるペストに就て(一)」)



※日本人も731部隊で細菌などを扱っていたので、細菌に感染することがあった。時には日本人も、生体解剖された!!









・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた??
実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。
1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)
1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。
紅白の殺戮者
1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか?
当時、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。
三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと
2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと
患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない)
市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること

(参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年)




・三井という会社
毒ガスを、戦前は大量に作り、戦後も枯葉剤を作っていた!!
ベトナム戦争の枯れ葉剤の原料を三井東圧が大

イタイイタイ病を究明した萩野医師に圧力をかけた三井財閥とそれに協力した医学界の権威者たち
萩野 昇 (※戦争中、軍医としてどんなことをやっていたのだろうか?)
2015年
偉人医 · 萩野昇
萩野昇(富山のシュヴァイツァー)
富山平野の中央部を流れる神通川は昔から「神が通る川」として地元の人たちから崇められていた。住民たちは神通川のサケやアユを食べ、神通川の水を農業用水として利用し、また水道が普及するまでは生活用水として住民たちの喉をうるおしていた。この北アルプスから流れ下る神通川が、いつしか「毒の通る川」に変わっていたのだった。イタイイタイ病はこの神通川上流にある神岡鉱山から排出されたカドミウムによって引き起こされた公害病であった。


初の公害裁判へ

神岡鉱山は奈良時代から鉱山として知られており、明治7年に明治政府から三井組に経営が譲渡されが、当時はカドミウムの名前も毒性も知られていなかった。また神岡鉱山の亜鉛生産は国家の戦時体制により増産が続いた。亜鉛の鉱石にはカドミウムが含まれ、重量比では亜鉛の20%がカドミウムであった。亜鉛のあるところには必ずカドミウムが存在していた。
亜鉛の大量生産が開始された大正時代から、カドミウムが神通川流域に大量に集積していたと考えられた。神岡鉱山は亜鉛鉱を1日4700トンを採掘し、神岡町は人口二万七千人を数え、にぎわいを見せていた。神岡鉱業所の従業員は4500人で、国内最大級の鉱山として知られていた。政府は神岡鉱山を存続させるため資金を出した。神岡鉱山は患者住民団体との和解を進め企業として存続できた。しかし時代の流れは皮肉なものである。鉱脈がしだいに枯渇し神岡町の人口は半減し、作業員は50人足らずとなった。そして平成13年6月29日に亜鉛・鉛鉱石の採掘を中止し、その長い歴史を閉じたのである。


御用学者は、民衆の立場に付かず、国・大企業の側に立つ!!
細谷省吾
※軍医学校防疫研究室は731部隊に、実験などの指令を出していた。細谷省吾は戦争当時、東大伝染病研究所教授で防疫研究室の嘱託研究者だった。

※金沢は731部隊に縁が深い!!731部隊長の石井四郎、その右腕だった増田知貞、生体解剖を多く手がけた石川太刀雄は、金沢四高から京都帝国大学医学部へ進学した。
731部隊で性病や結核の研究をして、戦後『政界ジープ』という右派の時局雑誌を発行した二木秀雄は金沢医科大学出身である。

護衛艦などを作る!!軍需会社!!
三井造船が建造した船舶


三井造船、防衛省から新型潜水艦救難艦を受注 = 日本工業新聞

・パネル展(731細菌戦)


※下記の“コラム”の記事にあるように、90名を裁判もかけずに捕まえ、30人をハルビンの731部隊で人体実験に供し、残りの60人は、孫呉で下車させられ、習志野学校(毒ガス部隊)と石井部隊(731部隊)の協同による毒ガス弾効能実験にあてられ、その特別演習用に供せられた。つまり、90人全員が生体実験され殺されたわけだ!!!!

『細菌戦資料センター会報10号』より





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