あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか? | 「731・100部隊展」

「731・100部隊展」

「731・100部隊展」実行委員会のブログ


731部隊について

国家戦略特区に獣医学部か、戦時中の100部隊や731部隊を想起してしまう!!



日本は「皇道精神の具現化」のために、毒ガス兵器、細菌兵器を使い、多くの人々を虐殺した!!
目指したのは、天皇中心の世界帝国 「八紘一宇」

教えてゲンさんより
防疫給水部(細菌戦部隊)


731部隊の組織

第4部    細菌製造
部長 川島清軍医少将
* 1949年のハバロフスク裁判の川島清少将の証言によれば
「・・・・第4部にあった生産能力及び全設備を最大限に利用すれば、
この部が1ケ月にペスト菌300キログラム、或いはチフス菌800-900キログラム、
炭素病菌500-700キログラム、コレラ菌1トン製造できたのである・・・・
大田澄
大谷薬剤少将
第1課  培養生産  鈴木啓之(軍医中佐)
柄沢十三夫(軍医少佐・東京医専出身)
軍属 尾関シゲオ
培地班 班長 早川清
大量生産隊  小林隊(小林孝吉?)
技手   今野信次
篠塚良雄
第2課  ペスト、脾脱疽  野口圭一
第3課  乾燥菌、ワクチン    三谷恒夫軍医大尉
大西芳雄技師大尉
江田武一曹長
第4課 ワクチン     小滝秀雄
有田班 発疹チフスワクチン  有田正義 少佐
植村班 ガス壊疽、脾脱疽   植村肇 大尉
不明  朝比奈班  ワクチン製造  朝比奈正二郎


※1936年、731部隊は背陰河から平房に、移転し細菌戦の準備を始めた。
※長春には100部隊が編成され、やはり細菌戦の準備が始まる。


黒い太陽731


731復元CG



・中国には、日本軍の行なった細菌戦の影響と思われる?、原因不明の病気に悩んでいる人々が今も数多くいる!!






●1941年に日本軍は大量のペスト菌で汚染されたノミ、米、綿を空中投下したため、常徳権県庁所在地及び郊外農村でペスト病の大規模な流行を引き起こした。


・「旧日本軍による細菌戦に関する中国民衆の戦争記憶」
東京女子大学教授:聶莉莉(にえりり)
常徳細菌戦


・日本軍は常徳だけでなく、農安、農安大賚(のうあんだいらい)や衢県(くけん)廣信(こうしん)、廣豊、玉山などでも細菌戦を行った。

細菌戦被害の人々



近藤昭二氏講演



●松村高夫さん(慶応大学名誉教授)
松村講演1



松村講演2











ヒルレポート(総論)





●奈須重雄さん(細菌戦資料センター理事):「731部隊による細菌戦を検証する」3.5公開学習会
細菌戦を検証する!







侵華日軍第731部隊罪証陳列館
【731部隊展実行委員会より】

731部隊とはどんな部隊だったのでしょう?
 日本政府は、中国東北地方にあったこの部隊の情報を隠し続けています!!
 731部隊展実行委員会では、最新の資料を元に新たにパネルを作成しました!! 
 ぜひ、この機会にあなたの町で「731部隊展」を開いてみませんか? 

●「731部隊展」開催のお願い
日本は731部隊の暴行について正式に認めてはいない。
日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア

夏草をふみしめてなおも歩き続ける
軒下にのぞく歴史に凌辱された眼光
住居を追われ悪魔に翻弄された暗黒の日々
長い年月に耐え声も叫びも枯れ果てた
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より



日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア


混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



農安細菌戦と農安大賚細菌戦
奈須重雄(本資料センター理事)
農安細菌戦と農安大賚細菌戦

(2)農安大賚細菌戦
高橋正彦の「昭和15年農安及新京ニ発生セルペスト流行ニ就テ 第1編 其ノ2」の論文には前郭旗管内に於ける「第2表 月別患者発生表」がある。患者の合計は1109人である。(13)

1940年にペスト患者数が大きく増加したことの原因は、細菌戦によるものと考えられる。しかし、この地域はペストの常在地であるから、自然流行のペストを考慮しておく必要がある。


「昭和15年農安及新京ニ発生セルペスト流行ニ就テ 第1編 其ノ2」の論文にある「第3表 部落別 月別患者発生状況」(14)には、農安県、大賚県、安廣県、長嶺県、扶餘県、前郭旗のペストが発生した屯名が記されている。なぜか乾安県はない。6月には、農安街と大賚県の十八家戸に発生している。7月には、農安県の苗家屯、大賚県の大賚街、安廣県の拉々屯、扶餘県の萬発屯、前郭旗の前抬拉吐、新立屯、六股道に発生している。6月と7月にペストが発生している屯にノミを撒布したのかもしれない。

※(13)昭和15年農安及新京ニ発生セル「ペスト」流行ニ就テ 第1編 流行ノ疫学的観察(其ノ2)新京ノ流行ニ就テ 陸軍軍医学校防疫研究報告第2部 第515号 高橋正彦




※日本人も731部隊で細菌などを扱っていたので、細菌に感染することがあった。時には日本人も、生体解剖された!!









・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた??
実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。
1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)
1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。
紅白の殺戮者
1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか?
当時、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。
三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと
2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと
患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない)
市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること

(参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年)



・三井という会社
毒ガスを、戦前は大量に作り、戦後も枯葉剤を作っていた!!
ベトナム戦争の枯れ葉剤の原料を三井東圧が大

イタイイタイ病を究明した萩野医師に圧力をかけた三井財閥とそれに協力した医学界の権威者たち
萩野 昇 (※戦争中、軍医としてどんなことをやっていたのだろうか?)
2015年
偉人医 · 萩野昇
萩野昇(富山のシュヴァイツァー)
富山平野の中央部を流れる神通川は昔から「神が通る川」として地元の人たちから崇められていた。住民たちは神通川のサケやアユを食べ、神通川の水を農業用水として利用し、また水道が普及するまでは生活用水として住民たちの喉をうるおしていた。この北アルプスから流れ下る神通川が、いつしか「毒の通る川」に変わっていたのだった。イタイイタイ病はこの神通川上流にある神岡鉱山から排出されたカドミウムによって引き起こされた公害病であった。


初の公害裁判へ

いっぽう、神岡鉱業所のある神岡町はこのままでは神岡鉱山はつぶれるかもしれないとあわてていた。町の税収入の7割を占める神岡鉱山がつぶれれば、それこそ死活問題だった。神岡町の町長は「神岡鉱山を守る会」を結成して抵抗しようとした。しかし町長のかけ声に神岡町民は協力しなかった。人命がかかったこの裁判に町民の怒りのほうが強かった。神岡町の町民たちは、一歩間違えば自分たちが犠牲者になっていたこと、さらに神岡鉱業所の横暴な態度を見て協力しなかった。町民たちはイタイイタイ病の原告や弁護士が鉱山を調べに神岡町へやってくるたびに、温かく迎え入れ、道案内や宿泊の手配などを手伝った。


御用学者は、民衆の立場に付かず、国・大企業の側に立つ!!
細谷省吾
※軍医学校防疫研究室は731部隊に、実験などの指令を出していた。細谷省吾は戦争当時、東大伝染病研究所教授で防疫研究室の嘱託研究者だった。

※金沢は731部隊に縁が深い!!731部隊長の石井四郎、その右腕だった増田知貞、生体解剖を多く手がけた石川太刀雄は、金沢四高から京都帝国大学医学部へ進学した。
731部隊で性病や結核の研究をして、戦後『政界ジープ』という右派の時局雑誌を発行した二木秀雄は金沢医科大学出身である。

護衛艦などを作る!!軍需会社!!
三井造船が建造した船舶


三井造船、防衛省から新型潜水艦救難艦を受注 = 日本工業新聞

・パネル展(731細菌戦)




※下記の“コラム”の記事にあるように、90名を裁判もかけずに捕まえ、30人をハルビンの731部隊で人体実験に供し、残りの60人は、孫呉で下車させられ、習志野学校(毒ガス部隊)と石井部隊(731部隊)の協同による毒ガス弾効能実験にあてられ、その特別演習用に供せられた。つまり、90人全員が生体実験され殺されたわけだ!!!!

『細菌戦資料センター会報10号』より





731部隊展のホームページです。
ご覧下さい!!
731部隊展