あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか? | 「731・100部隊展」

「731・100部隊展」

「731・100部隊展」実行委員会のブログ


●情報公開(戦争への道を阻止するために!!)
●お知らせ
●お知らせ
・3月2日 東京地裁でビザ発給拒否裁判がありました。
中国人細菌戦被害者遺族が日本の集会で細菌戦のことを報告しようと、ビザの申請をしたところ、外務省がビザの発給を拒否しました。そんなことが2度ありました。2度目は裁判の原告して証言しようしたら、これも拒否です。明らかに日本国政府は細菌戦の事実を闇に葬ろうとしている暴挙です!!なぜ、日本政府は、加害の事実を明かにしないで、消し去るのか!!

ビザ発給は外務省の自由裁量でできる?外務省の課長が処理した案件であるから、政治的な意図はないなどと、被告国側は主張している!!おかしい!!

当時の集会の模様
中国人細菌戦被害者遺族は、なぜいない?

ビザ発給拒否・集会妨害裁判について



・2月28日と3月1日には同じく東京地裁で、「衛生学校記事」「化学学校記事」の公開を求める情報公開裁判がありました。2月28日には、防衛省が、きちんと内部の調査結果を報告する予定になっていたのですが、全く調査が不十分でいい加減でしたので、裁判長がもっときちんと調べるように、叱責しました!!防衛省の態度には、本当に誠実さがなく、これでは隠す意図が見え見えです!!裁判が長期化し過ぎています!!司法は、しっかりと裁定して欲しい!!
一体、今の自衛隊の中では、生物兵器の研究、化学兵器、核兵器、どんな研究が日米の軍事同盟の中で行われているのか、これでは国民は全く知ることができないではないか!!恐ろしい世の中だ!!


●2017年「戦争の加害」のパネル展:2月21日~28日 (於)かながわ県民センター
感想
・DVDつらいですね。普通の人間が心を壊している。
真珠湾攻撃と同じ日マレーシア?作戦に父が参加していた。色々考えてしまった。T5年生。

●731の実態
わしが命ぜられたことは、「ゴムホースで体を洗えということです。それもデッキブラシで洗え」と。わしは初めは足が震えて、とてもできませんでした。また”解剖”と思ったら顔を見ながら、「顔もデッキブラシで洗うのか?」と聞いたら、「そうだ」と言う。

731 (2)







●731問題
常徳細菌戦


終戦50周年731部隊1

終戦50周年731部隊2

・731部隊は天皇の勅令で巨費をかけて作られ、人体実験、細菌兵器の開発をし、実際に細菌戦を行った!!
闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月放送)
 

《七三一》 20150831 第一集
<戦後70年>731部隊の証言集め20年
生体実験で博士号とった日本人たち - 731部隊


医学者とは6




様々な問題
医学者とは?〔10〕


731部隊跡
リニューアル・オープン




「旧日本軍の第731部隊の跡地発掘についての記者会見」が7月23日、黒竜江省考古学研究所は「旧日本軍第731部隊跡地の保護規則」沿った、2年近にわたる作業により、旧日本軍731部隊の跡地発掘調査は大きく進展したと明かした。最近実験室や牢獄、ボイラー室、貯水プール、動物焼却炉や細菌の弾薬に至るまで細かく調査、発掘を実施し、1000点あまりの戦争の遺物を出土した。中国新聞網が伝えた。
日本軍731部隊跡地から多くの戦争の遺物が出土

●1941年に日本軍は大量のペスト菌で汚染されたノミ、米、綿を空中投下したため、常徳権県庁所在地及び郊外農村でペスト病の大規模な流行を引き起こした。


・「旧日本軍による細菌戦に関する中国民衆の戦争記憶」
東京女子大学教授:聶莉莉(にえりり)
常徳細菌戦

・日本軍は常徳だけでなく、農安、農安大賚(のうあんだいらい)や衢県(くけん)廣信(こうしん)、廣豊、玉山などでも細菌戦を行った。
中国に於ける旧日本軍の細菌戦

中国の被害者も同じ心境では?
沖縄戦、心の傷深く 体験者65%「今も思い出す」
闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月放送)  
特別取材:日米は731部隊の細菌戦の罪を密かに覆い隠している―日本人学者、近藤昭二氏を取材
731部隊めぐる日本と米国の密約、ジャーナリストの近藤昭二氏語る
●「731部隊はどこまで明らかになったか、この部分はまだ謎」
4月26日近藤昭二講演 001

4月26日近藤昭二講演 002

4月26日近藤昭二講演 003

4月26日近藤昭二講演 004

4月26日近藤昭二講演 005

●西里扶由子さんが熱く語る731部隊!!
2015年3月22日西里講演 001

(講演中の訂正)
農安細菌戦 1940年
衢県(くけん)、寧波(にんぽー)細菌戦 1940年
常徳細菌戦 1941年
広信、広豊、玉山細菌戦 1942年
(月刊保団連) 「旧日本軍による細菌兵器攻撃の事実-新発見史料
2015年3月22日西里講演 002

2015年3月22日西里講演 003

●松村高夫さん(慶応大学名誉教授):「731部隊を検証する」4.11
「731部隊を検証する」4 11№1

「731部隊を検証する」4.11№2

「731部隊を検証する「4 11№3

「731部隊を検証する」4.11公開学習会№4

「731部隊を検証する」4 11№6










ヒルレポート(総論)





●奈須重雄さん(細菌戦資料センター理事):「731部隊による細菌戦を検証する」3.5公開学習会
「731部隊による細菌戦を検証する」3.5公開学習会№1

「731部隊による細菌戦を検証する」公開学習会2016年3月5日№2

「731部隊による細菌戦を検証する」公開学習会2016年3月5日№3

「731部隊による細菌戦を検証する」公開学習会2016年3月5日№4






侵華日軍第731部隊罪証陳列館
【731部隊展実行委員会より】

731部隊とはどんな部隊だったのでしょう?
 日本政府は、中国東北地方にあったこの部隊の情報を隠し続けています!!
 731部隊展実行委員会では、最新の資料を元に新たにパネルを作成しました!! 
 ぜひ、この機会にあなたの町で「731部隊展」を開いてみませんか? 

●「731部隊展」開催のお願い
日本は731部隊の暴行について正式に認めてはいない。
日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア

夏草をふみしめ引込み線を歩いた
視界が不意に三角形に切り取られ
やがて歴史の暗渠(あんきょ)に足を踏み入れる
見上げれば天を突く巨大な残骸
ただれ崩れ落ち、悲しみの肉塊のように
灰色の空の下で泣いている
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より


混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)


細菌戦資料発掘の旅(1)
近藤昭二(本会共同代表、ジャーナリスト)

731部隊・細菌戦関連の資料を発掘する旅の報告。まずはロシアに残されている資料のレポートから始めることにする。

日本語版も出回ったハバロフスク細菌戦裁判の公判記録

冒頭に、調書の目次があり、続いて日付順に調書が並べられている。
どういった様式になっていたのか、ここに実例を挙げてみる。
『公判書類』は、1950年出版の後、1973年12月に全日本医学生連合・刊行委員会から、1982年7月には海燕書房と不二出版で復刻されているが、いずれも残念なことに捜査段階の調書は「抄録」になっている。特に川島清の1949年10月24日付け調書は省略が多く、そこには安達演習場での実験の模様や中国中部での細菌戦実施についての重要な事実が語られているので、川島分の3通全文をまずここであげてみる(宇都宮亜紀訳 英語版を参照して筆者監修)。
大括弧[ ]でくくった太字の部分が省略された部分。二重括弧《 》は欄外余白の記入、文中の下線は原文のママで、タイプ後に記入されているもの。

川島清尋問調書
1949年10月24日 ハバロフスク市
[尋問時間:12時00分 尋問終了:2時45分
休憩:17時-19時
川島証人はロシア連邦共和国刑法第95条による偽証罪の警告を受けている。

尋問は、ロシア連邦共和国第95条による偽証罪の警告を受けた、通訳プリャチェンコを介して日本語で行われる。       (プリャチェンコ)

質問:731部隊に人体実験の認可したのは誰か。またその目的で731部隊に囚人を送り届けるよう憲兵隊に許可したのは誰か。

《左の余白に、手書き:「関東軍総司令官は人体実験が行われていることを知っていた」》

答え:その件に関する書類は、総務部の関係書類の中では見ていない。部隊の部員ともその件については話さなかった。なぜなら当時は特に問題だとは思わなかったからだ。]
もちろん、人体実験や、そのために囚人を憲兵隊から受け取ることは、満州においての日本の全権委任大使でもあり、つまり事実上満州国の支配者だった関東軍総司令官に無断で行われるはずは無かった。
[関東軍の幹部が人体実験の実施を知っていたという証拠には、次のような事実がある。前回の尋問で既に示したことであるが、1941年5月、経理部長の古野将官(4)が部隊を訪問してきたとき、視察の際に私が彼を監獄へ案内し、そこで古野将官に、731部隊の囚人のために軍の経理部の倉庫から食料と服を支給してほしいと頼んだところ、その支給の目的も説明せず、部隊の活動の特殊な機密性と人体実験が行われていることを公にしたくないということに注意を促すと、古野将官は私に同意し、必要な指令を出してくれた。
そのほか、1942年春、関東軍参謀副長の綾部少将(5)が731部隊を訪問してきたとき、彼は石井将官に伴われて部隊の監獄を視察し、そこで被験者である囚人を自身の目で見た。
これらの事実は、憲兵隊が731部隊に実験のために囚人を引き渡してきたことを、関東軍の幹部が知っていたという証拠である。
(4):関東軍経理部長の古野好武主計少尉
(5):関東軍参謀副長の綾部橘樹少将


※日本人も731部隊で細菌などを扱っていたので、細菌に感染することがあった。時には日本人も、生体解剖された!!









・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた??
実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。
1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)
1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。
紅白の殺戮者
1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか?
当時、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。
三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと
2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと
患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない)
市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること

(参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年)


・三井という会社
毒ガスを、戦前は大量に作り、戦後も枯葉剤を作っていた!!
ベトナム戦争の枯れ葉剤の原料を三井東圧が大

イタイイタイ病を究明した萩野医師に圧力をかけた会社
萩野 昇(富山のシュヴァイツァー)
2015年
偉人医 · 萩野昇
萩野昇(富山のシュヴァイツァー)
富山平野の中央部を流れる神通川は昔から「神が通る川」として地元の人たちから崇められていた。住民たちは神通川のサケやアユを食べ、神通川の水を農業用水として利用し、また水道が普及するまでは生活用水として住民たちの喉をうるおしていた。この北アルプスから流れ下る神通川が、いつしか「毒の通る川」に変わっていたのだった。イタイイタイ病はこの神通川上流にある神岡鉱山から排出されたカドミウムによって引き起こされた公害病であった。

イバラの道を進んだ医師
このイタイイタイ病を発見し、原因を解明したのが地元の開業医、萩野昇である。イタイイタイ病の原因は神岡鉱山から排出されたカドミウムであったが、この原因解明までの道のりは平坦ではなかった。それは険しいイバラの道に等しかった。「田舎の開業医に何が分かる」という医学界の冷たい視線を浴びながら、萩野昇は自説の正しさを、それこそ血みどろになって証明したのだった。真実を真実として学問的に追求し、そして逆境の中でイタイイタイ病の原因を突き止めたのである。萩野は身を切られるような激痛に苦しむ患者を哀れみ、その想像を絶する苦しみを自らの肌で感じ、そして何よりも患者を救いたいという使命感を持っていた。萩野に私心はなかった。目の前の悲惨な患者を助けたい、「痛い、痛い」と叫びながら死んでいった罪のない患者の無念にむくいたい、医師としての純粋な気持が病因解明の原動力となっていた。

護衛艦などを作る!!軍需会社!!
三井造船が建造した船舶


三井造船、防衛省から新型潜水艦救難艦を受注 = 日本工業新聞

・パネル展





中国は生物兵器を持っていないが、かつて生物兵器の被害国である。
・細菌戦最大の被害地・浙江省を訪ねるスタディツアー

2016年10月24日 衢州(くしゅう)



2016年10月25日 麗水 (れいすい)


2016年10月25日(火)麗水№2




2016年10月26日(水) 四路口(しろこう)




2016年10月27日(木) 武義、金華石門


2016年10月28日(金) 金華市街


2016年10月29日(土)義烏市崇山村


台湾義勇隊(金華 )


台湾義勇隊(上)抗日戦争:細菌戦


台湾義勇隊(下)(抗日戦争)


事前学習会





※下記の“コラム”の記事にあるように、90名を裁判もかけずに捕まえ、30人をハルビンの731部隊で人体実験に供し、残りの60人は、孫呉で下車させられ、習志野学校(毒ガス部隊)と石井部隊(731部隊)の協同による毒ガス弾効能実験にあてられ、その特別演習用に供せられた。つまり、90人全員が生体実験され殺されたわけだ!!!!

『細菌戦資料センター会報10号』より





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