あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか? | 「731・100部隊展」

「731・100部隊展」

「731・100部隊展」実行委員会のブログ

ペタしてね

グーグルクロムで見るとスムーズに画面が動きます。
【七三一部隊展2014実行委員会より】

七三一部隊とはどんな部隊だったのでしょう?
 日本政府は、中国東北地方にあったこの部隊の情報を隠し続けています!!
 七三一部隊展実行委員会では、最新の資料を元に新たにパネルを作成しました!! 
 ぜひ、この機会にあなたの町で「七三一部隊展」を開いてみませんか?

731部隊のことは、アメリカのCDC(アメリカ疾病予防管理センター・・・1946年に創設され、アメリカ国内・国外を問わず、人々の健康と、安全の保護を主導する立場にある連邦機関。)のビデオでも紹介され、世界では公然の事実とされている。
インターネットエクスプローラーのグーグルで(グーグルクロムでは映りません。)
http://www.bt.cdc.gov/agent/plague/trainingmodule/1/02wmp.htmをご覧下さい!!

疾病管理予防センター(CDC): 谷川透訳

医学博士、科学博士 ジョアンヌ・コノー

人は中世以来、敵を殺し、敵の能力を奪うため、自然界に存在する生命体を用いてきた。
初期の例の一つは、14世紀にタタール軍が黒海沿岸の城郭都市カファを包囲攻撃したときに起きた。
腺ペストが発生してタタール人に猛威を振るい始めたとき、彼らはペストに罹って死んだ者の死体を投石器で市内に投げ込み、城壁の内部で腺ペストを勃発させることを決めた。
その後まもなく、城市の中で虐殺から身を守っていた人々は、突然ペストに襲われ、イタリアへ逃がれた。
彼らはこの伝染病を、彼ら自身でヨーロッパに運び、それが恐ろしい黒死病の大流行の始まりとなって、ヨーロッパの人口を激減させたのであった。
ペストの流行に関する今日のわれわれの知識によれば、ノミは人体が冷えるとすぐ人体を離れるので、人体を離れたノミによって元々市内に住んでいたネズミが感染し、市内で突然発生したペストが現実にカファ全域に広がった可能性は非常に高い。

日本帝国731部隊は、日本が戦争に動員され準備が整った1930年代と40年代に仕事をした。
この恐ろしい計画の立案者である石井四郎中将は、病気を殺人兵器に変える任務を帯びていた。
石井は特にペストに魅了されていたが、それはペストによる細菌戦攻撃が自然発生的な伝染病の様相を呈するからであった。
さらに、人から人への感染拡大は、最初に用いる(細菌戦)発動物の量に応じて、病気を発生させることが出来るからであった。
731部隊は、ペスト菌を霧状に散布したり、水に溶かして散布したりすることが出来なかった。そこで彼らは、ペストを感染拡大させるために、天然の病毒媒介昆虫――通常のノミ――を用いた。
感染ノミを搭載した陶器爆弾が中国本土の幾つかの都市に投下され、その住民に多数の感染を引き起こした。
ペストは恐怖心を生み、容易に感染拡大し、人々を迅速に殺すので、兵器として魅力的である。

合衆国の攻撃計画でもペストに関して若干の調査研究を行なったが、同国では完全に武器化することは出来なかった。
ペスト菌を大量に増殖させた時、人はその毒性を持った細菌を保有しつづける魅力に打ち勝つことが出来ない。

ペスト菌は武器であって、伝染力を持っている。われわれは過去を振り返って、そのことを強く感じる。さらに、ペスト菌をエアロゾルにして持ち歩かないよう管理することも問題だし、気象条件によってペスト菌が変異しうることも問題だし、細菌の形をとらなくても非常に感染性が強いことも問題だし、最後にペスト菌がどういう形をとってお終いになるのか、誰もコントロールすることが出来ない。
ペスト菌はきっと、帰ってきて、あなた方に噛みつくことでしょう。
あなた方の軍隊だけでなく、あなた方の友軍や同盟軍にも噛みつくことでしょう。

しかしながら、ソビエトの兵器工場では、ペスト菌はその伝染性ゆえにお気に入りの生命体である。
ソビエト軍は、米軍の経験した毒性の問題を克服した。
ソビエトの亡命者アリベック博士とのインタビューによれば、彼らは1,500トンのペスト菌をいつ如何なる時でも手にしており、それを大陸間弾道弾に搭載する準備が出来ているとのことである。
保管の問題のため、彼らは頻繁にペスト菌の備蓄を廃棄して、新しいものに替えるという。
われわれはテロリストによるペスト菌の使用に非常に関心がある。というのは、ペスト菌が自然界に見いだされるだけでなく、世界中の数多くの生物学資料供給所で入手できるからである。

「生物兵器による戦争とテロリズム;軍事上および公衆衛生上の対応」(アメリカ食品医薬品局発行、1999年)から脚色




「731部隊展」開催のお願い

 日本はかつて侵略戦争によって、中国やアジアの人々に多大な犠牲を強いてきました。現在も731部隊被害者を含め戦争の被害者や遺族は、日本に責任を取るように訴えていますが、日本政府は無視を続けています。

 731部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの被害者を切り捨てるための基準となっています。医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。


 731部隊跡地はいま、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国につくった部隊施設が、なぜ世界遺産に値するのか、過去を知らない人にとって、不思議に思うことかもしれません。外国からも多くの人が部隊遺跡を訪れ、日本人がどういう目で見られるのでしょうか。


 「日本と日本の市民には歴史に関する記憶喪失がある」と国際的な風評があります。日本人にとって、今731部隊展を行うことが、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの事実を伝えていきたいと考えています。


 みなさま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊展」を開いていただければと思います。




貸出要項

 
1、パネル・・貸出料 3日以内(10,000円)7日以内(15,000円)                455×605mm(A2判若干大き目)40枚縦向き 但しパネル9と29は横向き



2、 模型・・貸出料 1台1回 7日以内 (5,000円)

①  生体解剖 (62 × 82 × 高さ59)
②  凍傷実験 (82 × 72 × 高さ58.5)
③  感染実験 (77 × 74.5 × 高さ58.5)


 ◎ 送料は各自で負担してください。
 ◎ もし壊してしまったときは修理費用の負担をお願いします。

  保険への加入をお勧めします。


*その他、要望等に関してはお受けいたしますのでご連絡ください。


七三一部隊展2013事務局 exhibition731@yahoo.co.jp


画面を全部見たい場合は、絵の上で左クリックしてください!!



七三一部隊展2014実行委員会


mail exhibition731@yahoo.co.jp




2014年9月20日




731部隊!!
考察団代表は「日本帝国主義の罪は明らかで、731部隊史跡はその明らかな証明である。中韓両国は心を一つにして、全世界の人民に日本軍国主義の罪を示し、二度と同じ過ちが起きないようにしなければならない」と発言した。


「日本の侵略者による罪を公にし、被害者を偲ぶと同時に、若い人たちに歴史の真相を脳裏に刻んでもらい、世界の平和的発展を推進するものだ」
韓国の国会議員視察団、旧日本軍731部隊遺跡を視察―中国報道

侵華日軍第731部隊罪障陳列館(ハルピン)
中韓合同で「侵略」写真展=ハルビンの731部隊跡地

●中国政府は、ことしから9月3日を「抗日戦争勝利記念日」と定め、習近平国家主席ら共産党の最高指導部のメンバー全員が出席して記念式典を盛大に開き、日本に対する厳しい世論を盛り上げようというねらいがあるものとみられます。
中国で「抗日戦勝記念日」の式典

731部隊!!

部隊展開催の予定
11月25日(火)~27日(木)世田谷展

夏草をふみしめ引込み線を歩いた
視界が不意に三角形に切り取られ
やがて歴史の暗渠(あんきょ)に足を踏み入れる
見上げれば天を突く巨大な残骸
ただれ崩れ落ち、悲しみの肉塊のように
灰色の空の下で泣いている
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より

混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)


東京中野展感想
中野展感想 

・松井先生の講演会のアンケート
5.(1)松井先生の話を聞いて
とてもよく解かりました。「脱ひばく」の重要性を認識できました。原発・核兵器をめぐる大きな構造の変革が必要ですね。




高校教科書(実教出版)
・・中国軍民の抵抗に直面した日本軍は、1940~43年にかけて、華北の抗日根拠地への攻撃をおこなった。この作戦は「焼きつくす、殺しつくす、奪いつくす」という意味で「三光作戦」と非難された。また、ハルビンの731部隊などでは、細菌戦・毒ガス戦の研究で、3000人ともいわれる中国人ロシア人を実験材料(マルタと呼んだ)にし、しばしば中国各地で細菌・毒ガスを使った作戦を実行した。さらにアヘンを生産して中国占領地で販売したりした。


初めて知った戦争「大久野島」「731」

毒ガスのほとんどは大久野島で製造され、中国で大量に使用され、多くの中国人が犠牲になった。
使用前には、731部隊と516部隊(化学戦部隊)が合同でマルタ(=被験者)をトーチカに入れての人体実験や野外実験などで、効果を調べ、その結果をもとに実戦に使用した。
そして、敗戦で引き揚げる時にその毒ガスを中国に遺棄したため、今、中国ではその被害に多くの人が悩んでいる。
遺棄毒ガス訴訟、請求棄却 中国の少年2人が被害
大量の毒ガス弾は中国・日本近海に遺棄され、毒ガス弾の被害は今、中国・日本で起きている。そして、遺棄された毒ガス弾の海洋汚染は原発事故と相まって、大変なことになっているのではないか?

日本は1925年のジュネーブ議定書を無視し、主に中国で毒ガス兵器、細菌兵器を多用した!!
日本鬼子のおきみやげ(毒ガス)



上坂勝の毒ガス使用の証言

日本人戦犯3人目の供述書を公開 毒ガスで掃蕩 軍民多数を殺害(二)

上坂勝の1954年7月の供述書によると、上坂は1892年大分県生まれ。1934年3月~1941年11月、台湾で歩兵連隊の副隊長、大隊長を務め、階級は少佐、中佐。1945年6月に陸軍第五十九師団歩兵第五十三旅団長に任じられた。同年8月20日、朝鮮・咸興付近でソ連軍の俘虜となった

重要な罪行として、以下のものが挙げられる。
1942年2月頃、「歩兵第百六十三聯隊長大佐として河北省保定に蟠踞中」、「逮捕監禁しありたる中國人民約二十名を斬殺、刺殺等の方法により虐殺したる事件がありました」。3月頃、約10メートルの鉄道レールが除去されたため「十數人の容疑者を捕へて拷問し殺害三(四)人に及んだとの事でありました」。5月頃、「望都附近の鉄道沿線(望都西方約一粁)の一框舎が八路軍の急襲を受け全滅し輕機關銃及其の他の兵器を全部奪取せられた事件があり」、「約三〇名の住民を拷問し通謀者と目せられるもの約六名を殺害し框舎に接近して居る家に放火し三軒焼却したとの事であります」。
1942年5月27日、冀中作戦で「私は此の戰鬥に於て第一大隊をして八路軍及住民を殺害すること約八百人に上り」、「赤筒及緑筒の毒瓦斯を使用し機関銃の掃射と相俟って八路軍戰士のみならず逃げ迷ふ住民をも射殺しました、又部落内を『掃蕩』し多數の住民が遁入せる地下壕内に毒瓦斯赤筒、緑筒を投入して窒息せしめ或は苦痛のため飛び出す住民を射殺し刺殺し斬殺する等の残虐行為をいたしました」。「此の侵略作戰に於て聯隊が中國人民に與えた損害は殺人約一千一百名に及び家屋の破壊約十軒、焼失家屋約三軒、掠奪使用家屋約四五〇軒(約十日間)其の他中國人民約二四〇名を框舎構築(八個)のため酷使しました(約十日間)」。
1943年春、行唐西北方山地において第二大隊は「八路軍戰士や住民に對し殺害約二五〇名 焼失家屋約五〇軒」の損害をあたえた。「各部隊(前記行動間各道路を行進する先頭部隊)は住民の探知組を先頭に進め地雷を踏ましめて虐殺しました」。
1944年5月、河南省嵩県で兵士一人が行方不明になったために「住民十數人を捕へて」「殺害五(六)人に及び十二(三)軒の家屋を焼却したとの報告がありました」。
1945年6月、「此の轉進間第一第二大隊は出發當初より俘虜(約五十名位はあったと思ひます)を同行してゐましたが豆腐店南方地區で愈々前進困難となりましたので私は各部隊に『邪魔になる俘虜は殺害し我方の戦死者は指を切り取り持ち歸るべし』と命じました」「俘虜は全部殺害したとの報告がありました」。(編集NA)
「人民網日本語版」2014年7月7日


孫君の手紙



高校教科書に学ぶ(?)
731部隊・・・日本陸軍は、細菌戦準備のため1932(昭和7)年に関東軍防疫班を設立し、38年から39年にかけて、中国ハルビン郊外にその本部と実験施設を移転した。ノモンハン事件ではじめて細菌戦を実施した軍は、防疫班の規模を拡張して40年から関東軍防疫給水部と改称した。この細菌戦部隊は731部隊と呼ばれ、ペスト・腸チフス・コレラなどの病原菌を兵器にして、42年からは中国戦線で細菌戦を実施した。また、中国人などを「マルタ」とよんで人体実験をおこない、敗戦時までに3000人あまりを死亡させた。
敗戦後、アメリカは731部隊が開発した技術を入手するためにこの部隊の幹部を免責したため、彼らが公的な責任を問われることはなかった。











瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」





●『731部隊 細菌戦の医師を追え(今も続く恐怖の人体実験)』(高杉晋吾著 徳間書店)

細菌戦争の実態

寧波(にんぽー)作戦―日本の医療団も協力


このように細菌作戦前の菌の状況の検索、そして軍の拠点への防疫体制の強化などを731部隊、同仁会が一体となって行なった。それはきわめて計画的で周到な準備の上で寧波へのペスト攻撃が行なわれた証拠と言えるだろう。
石橋氏の日誌、ハバロフスク裁判記録、その他によって、1940年7月から12月までの間に寧波市への細菌戦に参加した幹部クラスの人名(尉官以上)は、判明した限りでは次の通りである。
石井四郎(中将)、山本吉郎(参謀)、太田澄(中佐)、西郡彦嗣(中佐)、碇(いかり)常重(少佐)、野崎(少佐)、増田美保(少佐)、平沢(少佐)、三谷恒夫(大尉)、園口忠男(中尉)、桶渡喜一(中尉)、村上仁勇(少尉)、岡本耕造(岡本班長)、田部井和(田部井班長)、山口(技士)






日常/ #3ドキュメント2013.12.6



秘密保護法撤廃!!撤廃!!撤廃!!

「秘密国家」日本! 日本医療の原罪!!731部隊!!

「731部隊と帝銀事件の真相」を書き起こしてみたいと思う。(長いですが)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
731細菌部隊と帝銀事件との真相1


・・・・・・


・・・・・
フォート・デトリック基地
パウエル氏によれば731部隊から入手したデータはこの生物化学兵器研究所に持ち込まれ、その結果アメリカの生物兵器開発は急速に発展したと言う。
そして、1972年、時のアメリカ大統領ニクソンはある国家プロジェクトを発表する。「ガン撲滅プロジェクト」である。この時ニクソンがプロジェクトの本部を置いたのがなぜか生物化学研究所だったという。
そして実にこのプロジェクトの真の目的はガン撲滅ではなく、ウィルス実験だったと言う男がいる。・・・医学博士アラン・キャンドウェル氏である。
「ウィルスをある種の生物から別の種の生物に入れ替えるととても危険なウィルスに生まれ変わることがあります。当時生物化学研究所ではガン研究の名に隠れてそうした実験が連日繰りかえされていました。そして実はその過程で生み出されたのがあの恐ろしいエイズ・ウィルスなのです。」
なんとエイズ・ウィルスは生物化学研究所で生み出されたと言うのだ。
それが意図して作られたのか、偶然の産物か定かでない。
しかし、注目すべき発言がある。1969年、軍の生物兵器担当者のアメリカ議会公聴会での発言。
「我々はヒト免疫システムを破壊する新しいウィルスを作る計画を持っています。」それは、正にエイズ・ウィルスそのものではないか。
そして、さらに驚くべき主張をする男がサンフランシスコにいた。ジャーナリストのディブ・エモリー氏。
「エイズ・ウィルスはアメリカの生物兵器開発計画の中で人工的に作られてものです。恐らく731部隊のデータも利用したと考えられます。」
もし、本当だとしたら・・・・
時は過ぎ、1985年日本で起きたのが薬害エイズ事件である。
血友病患者が非加熱製剤を輸血したことでエイズ・ウィルスに感染。この事件にも驚愕の裏舞台が存在した。
この非加熱製剤をアメリカから輸入し続けたのは製薬会社ミドリ十字。この会社は昭和25年、日本で民間初の血液銀行「日本ブラッドバンク」の名で創立された。その創立者の男には驚くべき過去があった。それは、なんと731部隊に所属していたのだ。戦犯から免れたその男は、朝鮮戦争で傷ついた米兵の輸血のために、会社を作り成功を収めた。創立から14年、昭和39年日本ブラッドバンクは社名をミドリ十字に変更、そして1980年代ミドリ十字は非加熱製剤を輸入し販売し続けた。85年アメリカでは非加熱製剤の危険性を危惧し、製造を禁止した後もである。それが戦後最悪の薬害事件を起こす原因となったのだ。今から、66年前に起きた帝銀事件、アメリカによりその捜査対象から外され、研究データと引き換えに戦争犯罪を免責されたという731部隊、その旧隊員らが作った会社がエイズ・ウィルスに汚染された非加熱製剤を輸入し、販売したのである。
「帝銀事件と薬害エイズ」2つの大事件の背後に浮かぶのは旧日本軍の亡霊731部隊、果たしてこれは偶然なのだろうか?





731~福島まで!!

日本の医学界は、731部隊のことを反省していない。

国立感染症研究所や陸上自衛隊の研究室ではどんなことが研究されているのだろうか?

精魂塔とは何だ?


中国で、細菌兵器を精魂こめてつくったことを称え、そこで殉職した職員を供養している塔なのか、それとも、実験のために虐殺した多くのマルタ(被験者)の霊を供養している塔なのかさっぱりわからない?
建立者、建立年月日、塔の由来などいっさい刻まれていない異様な塔である。

・・・ちなみに、詳しく調査した結果、この建立者である二木秀雄という人物は、731部隊の主要メンバーの一人であり、第一部(細菌研究)の中にある二木班(結核研究)の代表者だ。
懇心平等万霊供養塔より)

動物慰霊碑(登戸研究所)
碑の巨大さも不可解である。ここで格別に多数の動物を実験材料に使っていたという形跡はない。にもかかわらず、すでに戦局が傾いている最中にこれだけの大きさの碑を建てたのは、何か別の理由があったと考えられる。・・・・
動物慰霊碑1


記念写真
記念写真(中央 三笠宮)

日中戦争における登戸研究所の役割
2013シンポ731山田朗講演




日本政府はいまだに731部隊が第2次大戦中、捕虜に細菌・生物実験を施したことを正式に認めていない。昨年11月、東京高裁は中国人毒ガス被害者の訴えを棄却した。その理由は「当時の行為を予見することは不可能だった」。原告側の「日本政府が迅速に措置をとっていれば事件の発生は防げた」との訴えは退けられた。だが、これほどの被害を「運が悪かっただけ」だと片づけてしまってよいのだろうか?
まさに人間地獄・・731遺跡博物館の何とも言えぬ重苦しさ―中国紙

日本医学界の原罪!!
731部隊とは?
平房から悲痛な叫び、全世界への訴え!!
瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」


731部隊とは


劇映画:黒い太陽731


アウシュビッツよりもひどい!!
731部隊


プライム10「731細菌戦部隊」

細菌戦部隊731


大連衛生研究所:目黒正彦さんの証言
23,4年頃、すごいよ。私の聞いている人は200万もらっているよ。すごくもらっている。それは大したものだ。その金はどっから出たのか私も知りたいのだけれども。そんな金どこにもあるはずがないはずだけれども、23.4年頃ね、実際のとこ。
石井さんがどっからその金を引き出してきたのか知らないけれども。
(インタビュアー)23,4年頃は、もうアメリカとの取引が終わって
その辺で、アメリカからポンと出たのかね?その辺はわかりません。
そう、みんなもらってますわ。ほとんど1人残らず。ん。
一番就職口もよかったと思うね。
どこでも入れたんと違いますかね。ほとんど大学の先生みたいな、みな元石井部隊にいた人が多かったですね。
特に上の方の、その当時の厚生省のワクチン、くらうち先生とかね。田宮先生もそうだけれども。みんな石井部隊に関係あったからね。多少でもほとんどの人が、石井部隊に足を突っ込んでいる人が多いんですよ。表向きは黙っていますけどね。みんな石井部隊から金を少しずつ嘱託でもらっているんですよ。そういう人がみんな日本の基礎を作ったでしょ。

731部隊に関与した医師・医学関係者     作成者:小俣和一郎
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

封印された真実5

朝枝繁春(元大本営作戦参謀)の証言
人間を使って細菌と毒ガスと凍傷の実験をやったことが世界にばれたらえらいことになると。
(戦犯訴追が)直に天皇にこれがくる。


1952年の日本学術会議で若手が731部隊の反省・総括が必要だとの主張に対し。医学界のある重鎮はこう言い放った。
「細菌兵器は今日ほとんど実用になりません。実用にならぬものを苦労までして日本で作るようなバカが出ましたら、そんなバカなことをするなと言う勧告を私からよく致しますから、その点ご安心下さい。」
この発言の主は戸田正三(元京大医学部長)であった。
戸田は、戦争中731部隊に積極的に協力した石井の京大時代の恩師である。


石井隊長の戦後1


知ってるつもり「731部隊と医学者たち」

細菌戦被害の人々

1644部隊員の証言
井戸に細菌をまく作戦中に○○さんが忘れられないことがある。
4,5才の子どものことだ。その子は何も知らずに○○さんたちの所に近寄ってきた。小隊長は「殺せ」と命じた。絶対命令だった。その子をそばの建物の2階へのぼらせて窓から外を見せていた。その時、飛行機が飛んできた。「あれを見ろよ。」と言いながら、突き落とした。
ところが、頭から落ちず運悪く尻から落ちた。尻の所が血だらけになって泣いていた。
指揮官がオレがやると短銃で撃った。1発であたらず、2発目で死んだ。・・・・


初めて知った戦争「大久野島」「731」

731部隊の下級隊員の戦後の人生!!
・・・1945年10月、○○さんは復員しました。
しかし、敗戦によって部隊から離れた後も○○さんの苦しみは消えませんでした。
戦後、連合国は戦犯に対して厳しい追及を行いました。731部隊の隊員たちの間にも自分は呼び出しを受けるのかという不安が広がりました。
安達(アンダー)の実験場で人体実験にかかわった○○さんは「戦犯で捕まったら死刑だ。身元を隠していろ。」と上官から言われていました。引き揚げてすぐに名前を変え、山奥で炭を焼いたり、西日本の工事現場を転々としました。身元が明らかになることを恐れて一度も正式の職員になることはありませんでした。・・・・

語り部フォーラム


闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月放送)近藤昭二


731部隊から福島へ!(1時間20分~1時間33分あたり)
広瀬隆氏講演in福島「IAEAとICRP~原子力マフィアによる被曝強

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く


中国等の日本陸軍病院では、生体手術演習が麻酔もかけずに行われていた!!
消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」

「ドキュメンタリー『天皇と軍隊』をめぐって」(3)



日本の医学界は、原爆被爆、水俣病、・・・・薬害エイズ、福島原発事故などで苦しんでいる人を救ったのであろうか?

原爆
原爆の子

禁止される原爆報道・医学研究
ファーレル准将が広島を視察した後、1945年9月19日、GHQ(連合国軍総司令部)は「プレスコード」を発令し、連合国、占領軍の利益に反するすべての報道を禁止しました。これによって、1952年4月に占領が終わるまで、原爆の被害のほとんど不可能になったのです。
記事だけでなく、写真も映画フィルムも同じでした。
・・・・
救援に駆けつけたジュノーさんの活動も妨害します。世界に向かって救援を呼びかけたジュノーさんの電報は、打電できませんでした。
11月には原爆被害の医学研究も禁止しました。これには日本の医学者たちが猛烈に反対しますが、どうにもなりませんでした。(『チェルノブイリから広島へ』 広河隆一著より)

※米国が組織した原爆傷害調査委員会(ABCC、Atomic Bomb Casualty Commission)の日本側初代代表は都築正男だったが、GHQの原爆に関する研究発表禁止に反発し追放処分となり、その後継者となったのが重松である。(まともな人間がハネられるのは原子力ムラの常である)
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着くより
忘れられた兵士たち




※本当に医学者たちは猛烈に反対したのか?
日本政府は、アメリカに全面協力し、被害者の救済には当たらず、被害の実態を調べた「原爆報告書」をつくった。
自国民の原爆被爆被害を日本軍部が喜んで米国のために調査した本当の理由
封印された原爆報告書
自国民さえも実験台として、嬉々として自国民の被爆調査を行い、自発的に英訳して調査報告書を渡す。全ては、七三一部隊の秘匿、そして、天皇に対する免責を勝ち取るためだったのではないのでしょうか。この取引は十分に功を奏したようで、太田昌克氏の著作にも人体実験に対する米国の追求はどこか間が抜けたものとして書かれています。単純に細菌兵器の技術、実験結果を知りたかったためとしては、やはり片手オチ。米国は、第二次世界大戦で最も知りたかった情報を自ら差し出してきた日本軍部と取引したのではないでしょうか。そうしない限り、この七三一部隊の隠蔽理由(いまだにこの部隊はでっち上げだという論陣を張る人がいます。それは、悪魔の飽食の書評を見ただけで明らかでしょう)をどうしても納得できません。

原爆被爆者は、軍部免責、天皇制維持のための、数少ない有力なカードだったのではないでしょうか。

天皇や三笠宮も731に行っていた?(生体実験を知っていた?)40分あたりから
unit731



広島や長崎に、アメリカが設置したABCC(原爆障害調査委員会)(被害調査はしたが治療はまったくしなかった)の傘下に元731部隊員もいた国立予防衛生研究所の支部が置かれた。
そしてABCCの後継機関が放射線影響研究所だ。
そこの理事長だったのが重松逸造だった。
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く


山下俊一のお師匠さん、
重松逸造も、戦中の医学界の流れを引き継いだ!!
重松逸造とはどんな人物?
プルトニウム元年 第3作 1993年8月放送 3/5