私の小学生について語る。
スポーツが大好きな小学生だった。
毎日放課後は野球やサッカー、ドッチボールに明け暮れていた。
とにかく暗くなるまで遊ぶ。
暗くなってボールが見えないから、
家へ帰る。
そんな毎日だった。
毎日泥まみれになっての帰宅。
あまりにも毎日ボールを蹴るので、
すぐに靴がダメになってしまう。
月に一回靴を買ってもらっていた。
「安い靴ではすぐに穴が空く」という母の意見から、
初めてサッカーシューズを買ってもらったのは、
小学校四年生のとき。
毎日ボールをいくら蹴っても穴があかない。
それに感動してとことん遊びまわった。
全くもって信仰とは無縁そうなドネイションだったが、
ある時、聖書に出会った。
小学校の前で聖書を配っていたおばちゃんに、
ただでもらったのだ。
先生からは「受け取って見ちゃだめよ!」と、
言われていたが、ダメと言われると余計に
見たくなるのが人間の心理。
私は聖書を読み始めたのだ。
そこで熱心なクリスチャンになって、
毎週教会に通い、
毎日祈りを捧げる。
今もそれが土台となっている。
という話しの流れだったら、
格好がよいし、魅力がある。
しかしそれはなかった(涙)
私はすぐに飽きてしまい、
ありとあらゆるボールを
追いかけ回していた。
でも、いつからだろう。
サッカーシューズを磨きながら、
「いつもありがとう」と
スパイクに話しかけ始めたのは。
もともと自然が大好きだった私は、
よく木や草花に話しかけていた。
風が吹けば葉っぱは返事をしてくれ、
草花も揺れて私に答えてくれた。
魚は「ピッチャ!」と跳ね上がり、
犬は鳴いて応えてくれる。
「すべてのものに人間と同じような心があるんだな~」と
一人で楽しんでいた。
時には太陽を応援していたこともある。
雨が続き外で遊ぶことができない退屈な毎日。
ザーザーとやむ気配のない天気。
両親共働きの家で育った私は、
一人家で叫んでいた。
「フレーフレーたーいーよう(太陽)!フレーフレーたーいーよう(太陽)!」
雨が弱まった様な気がする。
「これは僕の声が届いたんだ!」
私は自分の気持ちが天気を変えられるんだと思い、
さらに大きな声で叫び続けた。
「フレーフレーたーいーよう(太陽)!フレーフレーたーいーよう(太陽)!」
「頑張れ!頑張れ!たーいーよう(太陽)!!」
大きな雨雲の隙間からほんの少しずつ光が差してきた。
「あんなに土砂降りだったのに本当に雨が止んだ。
自分の声が本当に届くんだ!」
とそこで神の存在を確信するようになった。
という流れだったら、
神秘的でまさに神話の世界だ。
しかしそんなにうまくはいかなかった。
喉が張り裂けるような叫びはむなしく、
時に見せる弱まった雨が、
私を少し期待させるだけで
変わらずザーザーと降っていた。
この時小学生ながら、
「人間ではどうしようもできないことがあるんだ」と
実感する。