「極秘では無い?」
「はい。
空挺団のイラク派遣は公式発表されています。」

空挺団が公式に派遣された。この事実によって、犯人像が根底から覆る訳では無いが、一種の秘匿性を持った存在であると考えていた室田は蓄積された疲労感が、血管を通して身体中に行き渡って行くように感じた。
室田の心情を感じたのか、工藤は言葉を続ける。

「刑事さんが知らないのは当然です。
公式発表されたと言っても、どのマスコミも大々的に取り上げ無かったのですから。
当時の政府は、下手に極秘派遣するより、公式に発表した方が国民の眼を欺けると考えたのです。
そして、それは見事に成功しました。」
結局、自衛隊が派遣される事が気になるだけで、派遣される自衛隊員の事が気になる訳では無いのだ。
むしろ極秘にすれば万が一事実が露見した際にその理由を追求されかねない。
では、派遣された空挺団は何をしていたのか…。

「では、彼らは派遣された理由はなんでしょう?」
「…。
海兵隊はご存知ですね?」
「あぁ、アメリカ軍とかにある部隊ですよね。
凄腕の荒くれ者のイメージがありますが。」

工藤は軽く顎をひく。

「海兵隊は敵地に逸速く侵攻し、自軍の拠点を築く事を目的にしています。
つまり、他国への侵攻を戦力思想に含まない軍隊には必要無いんです。」
「それが、空挺団とどのような関係が?」
「空挺団はつまり、落下傘部隊です。
海兵隊の無い日本においては最も、敵地に対して速やかに拠点を築く事が出来る部隊と言えます。
しかし、実戦の経験が無い。」
「それはつまり、空挺団のイラク派遣は、実戦経験を積ませる物だった?」

工藤は、すっかり冷めた紅茶を口に含み、ゆっくりと飲み込むと今度は、深く顎を引いた。

「当時、中国はその経済力を急速に発展させている最中でした。今はもう公式ですが、その発展を背景に中国は想定軍事領海を日本の東北に触れる所まで広げたのです。
そして北朝鮮の存在。
アジア圏も強い緊張状態にありました。
アメリカは既にイラクに注力しており、日本の残存戦力だけではいざというときの対応が出来ない。だが安保条約の関係上、体裁を整える意味で教育の場を提供する事。又、多国籍軍への軍事協力の要求内容を緩和し、その軍事協力の成果を世界中にアピールする事を約束しました。」
工藤はあまりにあっけらかんと言い放つ。
室田も癌であろう事は予想していたが、初対面の人間にこうも簡単に病気の事を告白された経験はなかった。
ここに来てから、室田はすっかりペースを握られていたし、又、それを自覚している為、刑事としての自尊心を傷つけられた気分になった。
駄目だ、ここでムキになっちまったらそれこそ眼も当てられない。

「頂きます。」

室田は紅茶に手を伸ばし、ゆっくりと口に含んだ。
紅茶の良し悪しなど分からないが、それでも口内から鼻腔に拡がる香りは、室田の心を落ち着けるには役に立った。

「癌ですか…。
それにしても驚きました。」
「癌であることにですか?」
「いえ。
初対面で、ご自身が癌であることを話された事にです。
こういった話しは、もう少しお互い面識が出来てからかと思いますので。」

それを聞いた工藤はくぐもった笑いを室田に向けもらした。

「いやぁ。それはそうですね。
なにぶんこの風貌でしょう?余計な気をつかわせるのも申し訳ないですから、始めに自分から言っておく事にしてるんです。
相手もスッキリ、私もスッキリでお互いの為でしょう?
それに、余命少ない人間に余計な時間を掛けたく無いんでしょう。大した用事の無い人は早々に立ち去ります。
時間の有効活用になりますよ。」
「そうですか…。
私も余計な事を聞きました。
申し訳ありません。」
「いえいえ、先程も言いましたが、貴方の考えの方が正しいんですから。」

工藤という男は己の寿命すら、道具に使う。ならば、回りくどい話しはせずに単刀直入に本題に入ってしまった方が良いだろう。
先程の電話でも簡単にお話しましたが…
室田は工藤にイラクに派兵された、第一空挺団関係者がいた事実が無いか、又、その資料が存在するかを問い合わせた。

「詳細は、お話できません。
しかし、ある大きな事件に関わっている可能性が非常に高いのです。
ご協力いただけませんか?」
「…。」

暫しの無言。
考えている?考えると言うのは何かあるからだ。
特にこの男は無駄な時間を掛けることをしない分、必ずなにかある。
願う気持ちで工藤の言葉を待つ。ほんの数秒のはずだが、工藤の言葉を聞き逃すまいと集中している為か、もっと長い時間が経っているように感じられる。

「空挺団は派遣されました…。」

来た!
工藤の言葉を聞いた途端、身体中に微熱を持つ。

「ただし、極秘に派遣された訳ではありません。」
痩せている。いや、痩せすぎている。
工藤久孝を見て最初の印象である。
頬は痩せこけ、眼窩が窪み顏色が蒼白い。
スーツから覗く腕も首も細く、血管に流れる血液の様子がわかりそうだ。
だが、それでも病人とは形容しがたい(病人なのは間違いなさそうだが)強さを感じる。
眼は鋭く、熱を持った様であり、細くなった腕の先にある節くれだった手はその眼と相まって、猛禽類の爪の様に感じた。
工藤は机から立ち上がって出迎えると名刺を取り出す。

「はじめまして。代表の工藤です。」
「あっ、これは失礼しました。私から挨拶すべきなのに」

室田は慌ただしく胸元から名刺入を取り出し、工藤と交換をした。
名刺をまともに交換する事など滅多にない為、若干緊張してしまった。

「警視庁捜査一課の室田と申します。
今日は、お忙しい所ありがとうございます。」
「良いんですよ。
どうぞお掛け下さい。」

工藤に促され、来客用のソファーに腰かける。
ソファーは、腰の負担にならない丁度良い深さに沈むと室田の腿と腰、背中を優しく包んだ。
疲労で悲鳴を挙げていた室田の身体は、その優しい抱擁を遠慮なく享受する。

「紅茶しかありませんが宜しいですか。」

工藤がティーポットに手を伸ばしながら問いかけて来た。

「いや、お構い無く。」
「お嫌いですか?」
「そうではありませんが…。」
「では、遠慮なさらずどうぞ。」

工藤がカップに紅茶を入れ始める。

「ホントは、カップを蒸らしたり、ポットに入れる前に茶葉を開かせた方が美味いそうですが…。」

自分カップにも紅茶を入れ、ポットを元の位置に戻す。

「面倒ですし、私はもう味は良く分からないですから。」

そう言うと、室田を見て微笑を浮かべる。

「やはり…。」
「ええ。癌です。食道のほうまで転移してましてね、薬の影響かはわかりませんが、味覚はほとんど麻痺してます。」