”道徳性への寄生” | 心模様とガラス玉演戯(役立つ心理ポイント)

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ログインが面倒になって疎遠になっていたのですが、久しぶりに来てみると、なんか機能が増えている。

 

自由主義とは、その原理とは別のところで生産される道徳性に寄生して生きている。宿主の生産性が衰えると、自由主義への批判が強まるという運命をたどる。

(「倫理学で歴史を読む」加藤尚武)

 

過去記事の抜粋ですが、今でもそうであると思います。

というか、日本は自由主義を謳うだけで、その「生産性の衰え」による自由主義への批判がないようで、もっと悪質だと思います。

例えば、近年アルバイトが不適切な行為をわざわざネットに投稿することが問題になっています。

バイト代金が安いからという意見もありますが、それは辞めるなどの「自分で選択する」余地があります。

 

私は、自由主義化し、家庭の道徳も「抑圧」としてのみ捉えることが一因だと思っています。

うまく説明できなくても大切なものはあります。もちろん、うまく説明できる方がよいのですが、

それには日々の思考が欠かせません。

 

家庭を「今までと違った捉え方をする」というのは、新たな発見もあるでしょうが、説明できない「良きこと」をすてる可能性もあります。そのひとつは道徳だと自分は思います。教条的ではなく、受け継がれた文化としての道徳です。

 

それを「自由」という言葉で切って捨てれば、弊害もでるでしょう。

そして、その基盤たる「道徳性」を捨ててしまえば、自由主義そのものが輝きを失う。

しかし、tvや新聞は、「自分に自由な自由は正しい」と謳っています。

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