徘徊はあってはならいことですか? | 心模様とガラス玉演戯(役立つ心理ポイント)

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大府市“徘徊使いません”

 

愛知県大府市は認知症の人が道に迷った際などに使われてきた『徘徊』という言葉について、誤解や偏見につながるおそれがあるとして今後は使わないと宣言しました。

 

これは25日、愛知県大府市の岡村秀人市長が記者会見の中で宣言しました。

岡村市長は認知症の人が外出し、道に迷った際などに使われる『徘徊』という言葉について「認知症の人の外出の多くは本人なりの目的や理由があり目的もなく、うろうろ歩き回ることを意味する徘徊という言葉は実態にそぐわない」としました。

 

その上で「認知症」に対する誤解や偏見につながるおそれがあるとして今後行政文書などで使わないと説明しました。

 

そして、今後は「ひとり歩き」や「外出後、道に迷った」など、状況に応じて表現を工夫するとしています。

 

市長は「認知症の人や家族の気持ちや目的を正しく理解することが大事だと考えている。市民や関係機関にも、これを機に表現の見直しを呼びかけていく」と話しています。

 

http://www3.nhk.or.jp/lnews/nagoya/3004855181.html

 

 

『徘徊』という言葉を嫌がる介護関係者もいます。

けれども、本当に「目的もなくうろうろ歩きまわる」ことがないと言い切れるのですかね。

 

確かに、認知症があり、家族等には動きまわる理由がわからなくても、「食べ物を探している」「生家(実家)を探している」と推測できることもある。推測できなくても本人にとっては意味のある行為かもしれない。けれども、それも家族等の推測です。本人が言語化しない限り推測なのです。

 

推測によって本人のそういった行動を緩和することはありえるので、介護者が本人の目的を「推測」することは大切です。その上で、分かり得ない部分や、本人にとっても「目的」を持っているとはいえない状況もあるのではないでしょうか。

 

私自身の感想ですが、このニュースは「良いことをしたような気になる」ということでしかないと思っています。

 

もし、認知症の偏見を正したいのであれば、そんなお手軽なことではなく、厚労省などと少しでも話し合う姿勢が必要です。一地域が言葉を変えれば、他地域との言葉の齟齬ができるでしょう。また、本当に「徘徊」はないのかという病理研究にも言葉を封じることで妨げることになります。「目的はある」という思い込みから研究を始めなければならにのですから。それが「正しい理解」だそうです。重ねて問います。

本当ですか、真実ですか、思い込みではないですか?

 

ちなみに、介護保険を利用する際に必要とされる認定調査には、「徘徊」の有無という項目があります。「徘徊」という言葉を使わないこの地域では、その項目は考慮されないということになります。場合によっては、介護保険利用者の不利益となります。

 

そこまでその市長は考えているとは思えません。

だから「お手軽な良いこと」と思えるのです。

 

そもそも、徘徊はあってはならないことですか?

徘徊があったらダメな人ですか?

 

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