「あってはならないこと」と「あるはずのないうつ病」 | 心模様とガラス玉演戯(役立つ心理ポイント)

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交流分析やサイコドラマ・心理学について書いています。また、好きな本の引用など。

「あってはならないこと」というのは、本当はあるのだけれど、あると認めることが許されていないから、ないことにしていること、という意味である。現実世界ではそうはいかない。いつだってミスは起こることを前提としている。そのミスによるダメージが最小になる方針をとるのが当然である。

 ミスを前提としているというのは、先が見通せないことを自覚しているということである。本当のヤブ医者とは、先が見通せない医者ではなくて、先が見通せると思い込んでいる医者である。

(「擬態うつ病」林公一 著)より

「ヤブ医者」とは、もともと藪(ヤブ)があると先があまり見えない、つまり先の見通せない医者ということなのだそうです。そしてこの本ではじめて知ったのが「カベ医者」。壁(かべ)があって全く見通せない医者のことだそうです。なんとも、恐ろしい話しです。

さて、上記の文章は医療ミスについて書かれているところから抜粋しています。けれども、それだけではなく、日常的、普遍的な常識でもあるだろうと思います。

「あってはならない自動車事故」
「あってはならない飛行機の墜落」
「あってはならない官僚の汚職」

この世には「あってはならない」ものばかりです。
本当は「あってほしくない」という希望や願望、理想像などでしょう。

または、各人の倫理観・道徳観の現れでもあります。

この「あってはならない」ということを社会の構成員たる人々が何ほどか共有することで、社会の基盤である「信頼性」を生むものでもあるでしょう。

良い面ももちろんあるのだとは思います。けれども、やはり「あってはならないこと」というのは、現実ではないということも理解する必要があります。誰でも失敗はあるし、どんな政府にも悪政があるでしょう。聖職者もときとして罪を犯す。

だから、「あってはならにこと」が起こっても、認めること、ダメージを最小にすること、その予防や改善をしていくことが、現実なのでしょう。改善した先になにがあるのか。また、新しい「あってはならにこと」が生まれるでしょう。「失敗のない世界」は、私はないと思っています。

それは悲観的なものではなくて、それでも生きていくという、積極的な姿勢だと思っています。

さて、話題変わって、引用本の題名は「擬態うつ病」です。新書版の本で読みやすいものですので、関心のあるかは是非読んでみて下さい。

元来の「うつ病」が、「心の風邪」として一般にも認知されるようなった。精神科の敷居も幾分か低くなった。
けれども、「うつ病」が社会に受け入れられると同時に、個人にとっても「うつ病」は受け入れやすい「病名」となった。本来は、うつ病ではないのに、結果として「うつ病」と認識することで、現状を受け入れやすくする個人が増えてきている。

要するにあれです。「新型うつ病」のような学会でも「うつ病」ではないもといわれるものが、社会に浸透してしまう。そして、その「新型うつ病」に対しても、社会は「うつ病」と同じように「励まさない」などの態度をとってしまう間違いを犯してしまう。

この本は、2001年に発行されていますので、「新型うつ病」が認知される前に書かれたものだと思います。著者はネット界隈では、いい意味で有名な精神科医ですが、TVなどにはでていません。タレントなのか、医師なのかわからないような人々が発信する「新型うつ」の流布は止められませんでした。

誰が責任をとるんでしょうかね。
その責任の中には当然メディアが入ってしかるべきだと思っています。

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