状況は見出さなければならない | 心模様とガラス玉演戯(役立つ心理ポイント)

心模様とガラス玉演戯(役立つ心理ポイント)

交流分析やサイコドラマ・心理学について書いています。また、好きな本の引用など。

その状況の中にいる人は誰もその状況の何であるかを知りません。

決してわれわれは、その状況の中にいる人々がその状況の何であるかを知っていると仮定してはなりません。

状況は見出さなければならないのです。

これは平凡な提案だと思われるかもしれませんが、その含みをお考え下さい。人々(ここで「人々」とはすべての人々、両親、子供、ソーシャルワーカー、精神科医、われわれ自身を含みます)の話す物語は、その状況の何たるかを簡潔かつ明確にわれわれに告げることはありません。

これらの話しがすでに状況の一部なのです。誰かが物語を話すからといってそれを「信じる」アプリオリな理由は何もないことは、誰かが物語を話すゆえに、それを信じないアプリオリな理由がないのと同じです。


(「家族の政治学」R.D.レイン)

文中の「アプリオリ」は「先験的」という意味で、経験する前からということです。

人はそれぞれが、それぞれの見方で世界を意味づけして、結び合わせて物語をもっています。例えばAさんがいたとします。そしてAさんの周りには、両親や配偶者、子供、上司、部下、友人がいたとします。その周囲の人々からAさんのことを聞き取ると、似通った部分もありますが、違った部分も見られるでしょう。

これを読んで思い出したことがあります。

ある住宅型有料老人ホームに行ったときのことです。
本人や家族に会い、そして施設のヘルパーや、併設されたデイサービスの職員と話をしました。

そして、わかったことが、それぞれがそれぞれの立場でしか見ていないため、彼の一日の行動、例えば洋服を着替えているのかどうかが、わからないということでした。

ヘルパーは部屋が汚れているか、食事を食べているかを見ます。
デイの職員は運動機能や他利用者とのトラブルがおこっていないかを見ます。
家族が時々きて元気かどうかを見ます。

それぞれの役割を果たしています。彼の問題がそれぞれの立場では出てこないのですが、実際には確実に認知症が進んでいました。

本来はケアマネが情報を統合したり、情報をフィードバックすることで修正していくのですが、そこではケアマネが機能していませんでした。

では、問題はどこにあるでしょう。

ケアマネにとってみたら、問題を発見して伝えない職員が悪いと思うかもしれません。職員はそれぞれ適切に仕事をしていたというでしょう。家族は施設を信頼していたのに、というかもしれません。

自分が観ていることや考えていることを疑う必要はありません。しかし、それは「私」が見ている状況だということを忘れないでおく必要がありますね。そして、その私がその状況に何らかの形で関わっている(影響を与えている)ということもです。

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