ウソに身を任せる・・・・・ | 意志にふれて生きる

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椎名規夫オフィシャルブログ

脳貧血で頭がフラフラ。そして、風邪で頭がズキィーン・ズキィーン。


それでも、今日は名古屋の入門セミナー。






滅多にひかない風邪。


箱根の温泉で湯冷めしたのか?
それとも、寒い箱根の夜を薄着で過ごしたからなのか?






昨夜から、頭がズキズキ。
しかも、昨日に起こした脳貧血に加えて頭痛。
あーぁ、最悪。




でも、寝るって凄いね。


風邪薬を飲んで12時間寝たら、
不思議なくらい元気になっちゃいました。


そして、10時40分の新幹線のぞみで名古屋へ・・・・・






気分良く名古屋に到着したのに、
あるウソが発覚。(怒)
怒りで絶好調って感じ・・・!


怒りの後には、ショック症状。
昨夜の(風邪 + 脳貧血)以上にトーンダウン・・・・


ところが、思わぬ発見をした。
ウソにも時制があることに気づいた。


過去の事に対するウソ。
現在の事に対するウソ。
そして、未来の事に対するウソ。
ウソは大きく3種類に分けることが出来る。




過去のことに対するウソは、許せばいい。
なぜならば、今が大切だから・・・


過去に何があったのか?
それには、あまり意味がないような気がする。
過去は過去。
今は今・・・・


昔、過ちがあったとしても、今が誠実であればそれで良いと思う。
今を一所懸命生きているなら、過去は水に流せる。


だから、過去のウソは流すことが出来る。






始末に負えないのが、『今のウソ』と『未来のウソ』。
これには、参ってしまう。


なぜならば、ウソをつかれても問いつめないからだ。
ウソを問いつめても、お互いが傷つくだけ・・・


大人なら、ウソはウソで良いじゃない・・・
そんな気持ちが働く。


それでも、『今のウソ』と『未来のウソ』は、
それが分かった瞬間にガッカリする。


本当にガッカリする。






もちろん、それでもウソをついた相手を責めることはしない。
なぜならば、相手はウソつきたくてウソを言ったのではないからだ。
(性善説)
何度でも、相手を許す。
自分を許す。






NLPの入門セミナーで毎回話す話題がある。


私:「ウソつく人を好きですか?」
すると、九分九厘の参加者は、ウソつきは嫌いだと言う。


私:「映画は好きですか?」
すると、多くの参加者は、映画が好きと言う。


私:「ところで、映画ってウソですよね・・・」
参加者は、ぽかぁーんとした顔をする。


ウソをつく人間は嫌いだけれど、
ウソである映画は好き。


ウソを受け入れる、それとも、受け入れないのか?
それは、ウソをつく人にも問題はあるけれど、
ウソをつく人を受け入れられない者にも問題があるのかも知れない。






とは言え、ウソを言われれば、いい気持ちはしないものだ。






だから、選ばなければならない。


どの様な仲間と一緒に存在するべきなのか!
どの様な高い志を持つべきなのか!




そして、それでもウソに出会ったら、それに身を任せてみればいい。
なぜならば、ウソをついた人に問題はないからだ。


問題は、ウソを言ってしまうその人の性質である。
性質は、その人の全てではない。
性質はその人の一部に過ぎない。


ウソは許さなくても良い。
でも、ウソをついてしまった人は許してみよう。


悪気があってウソをつく人なんて、
絶対にいないと信じているから・・・