昔話② | スピカの住み家

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気まぐれで更新します

ミリオンダウトで300ほどレートを溶かしたので書いていきます。






小学生の頃だと、当時からあまりにも実力差がありすぎてなかなか対局できなかった人達もいました。


その方は自分が将棋を覚えたくらいにはもう有段者で、雲の上の存在でした。


初対局は東急の将棋大会。私は初段くらいで、小3か小4でした。


たしか予選の2局目で、お互い1勝同士だったと思いますが、相手は早く終わらせたがっているような感じがありました。つまり相手にとって通過点の場所だったということですね。(私は死に物狂い)


覚えているのは戦型だけで、内容はもうボロボロ。
ひい〜こんなにやられるとは…と思っているところに「ここ、突いたほうがいい」と言われ、さっと席を立っていきました。



相手が採用していた戦法はなんと




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地下鉄飛車!
私にとっては名前だけ知っていたくらいで、ほぼ初見殺しのようなもの。強い人はなんでも試しているんだなあと思いました。



この大会の後に奨励会に入られ、以降対局する機会は無くなってしまいました。




印象深いエピソードは人づてに聞いていました。


今から数年前、奨励会三段だった友人に三段リーグについていろいろ話をしてもらったときのこと。
「三段の中で特に強いなって人は?」
という問いに友人は「え〜っ」ともぞもぞしながら、
「あの人は違う」「今まで上がらなかったのがおかしい」


と、その方についてすごく評価されていたのを覚えています。


当時はへえ〜って感じでしたが、その発言の後にプロになられていたので、友人もなかなか鋭いなと。
三段リーグでは停滞されていたので、あれっ?と思っていたのですが、力を蓄えていたのですね。



その後はNHK杯の記録係や、やはりいろいろな方が話してくれたエピソードでしか触れることができず、直接関わることができなかったです。



もしできることなら、あの地下鉄飛車について、
「ここ、突いたほうがいい」

どこを突けばよかったのか、聞いてみたいなー
四間飛車もうやらないけれども。





















  正解は黒沢怜生五段。


研修会に通っていた頃は、黒沢先生が考えたという香落ち定跡でお世話になりました。

今でも使われているんですかね。あの頃に戦法を開発していたということは、もう昔からずば抜けた才能があったのだと思っています。



今日も強かったな〜