私にとって寝起きのまどろみタイムは、ガイドやハイヤーセルフ、宇宙さんとの会話タイムです。

 

それはいつもいつの間にか始まり、会話形式であることもあれば、

 

呼吸の吐く・吸うの合間の瞬間や、何か考えごとをしていたほんの一瞬の合間に、いつの間にか交わしていた会話、

 

という感覚であることもあったりします。

 

今朝のそれも、その両方で行われた感じで、まどろみつつ全く別のことを考えていた合間に降りてきた感覚や言葉でした。

 

 

 

私はその時、二度寝しようかどうしようかと、布団の温もりに包まれながらボーッと考えごとをしていました。

 

考えごとは、昨日描いていた絵についてだとか、自分のワクワクについてだとか、今日何食べようかなとか。

 

そういうことを考えていたら、ほんの一瞬、一瞬の合間に、考えごとに関すること、全く関係ないことについて、声のような意図のようなものが、シュッ、シュッと挟み込まれていました。

 

★★★

 

今回のブログタイトル、

 

「自分バージョンの天国」

 

これは呼吸の吐く、吸うの合間に降りて来た「憶い出し」でした。

 

何しろ本当に、息を吐いて吸う一瞬に、いきなり何もかも腑に落ちる感覚が起きたもので。

 

 

 

この時、言葉は腑に落ちた後に付いて来ました。

 

今起きた腑に落ちる感覚が「自分バージョンの天国」という言葉に該当する、と。

 

 

 

実は私は、最初からソレを知っていたようです。

 

ソレは、最初から私の手の中にあり、私の居る場所は常に自分バージョンの天国。

 

ただ、人間として生まれるとソレを忘れるから、自分の幸せはまるで外側やどこかの誰かの手の中にあるように感じて来た。

 

でも本当は、最初から、自分がココに居ること、自分という存在がただ在ることがもう既に、自分バージョンの天国。

 

 

 

それは閃きより確かな確信で、むしろ「知っていた」

 

そして、ソレを体感した時、

 

「ああ、確かにコレは簡単だ」

 

「何しろ、自分に既にあることを憶い出すだけで良いのだから」

 

とこの感覚こそが、自分にとっての当たり前だと感じました。

 

 

 

この時、私は全く別のことを思考していました。

 

それは、今日何食べようかなレベルの思考。

 

その思考の合間合間、一瞬一瞬、

 

息を吐いたその瞬間に誰かとの会話が終わり、吸うその瞬間に会話は顕在意識とは別のどこかで始まっていた。

 

そんな不思議な時間の中で、私は静かに、心の底から安心した気持ちになっていました。

 

★★★

 

自分バージョンの天国は、

 

発想の転換

 

思考(常識)の逆転

 

意識の裏返し

 

そんなささやかなキッカケで「最初から自分のものだ」と憶い出せるものだとわかりました。

 

 

 

ただ、腑に落ちるまでの経緯がどんなに大変か、私も散々そこで躓いて来たので、両方わかります。

 

でも、一度自転車に乗れてしまうと、もう乗れない感覚には戻れないのと同じ。

 

乗れない時の感情や体感は理解しつつ、でももう乗れない自分には戻れない、乗れないフリをすることはできるけど、

 

という感覚と同じことが、自分バージョンの天国を憶い出した時に起きるのかもしれません。

 

 

 

とは言うものの、私はただ1人の人間でして、それを憶い出した所で、私という人間が劇的に変わる訳でもなく。

 

ただこれまで体験して来た気付き同様、「ああ、そうなのね」と。

 

自分バージョンの天国が、私にとっての当たり前になる、ただそれだけの過程を今通ったのだと思います。

 

★★★

 

全く予期しなかったタイミングで、しかも全く関係ないことを考えていた一瞬の合間に起きた気付き。

 

この気付きに気付いた瞬間から、私の思考は何食べようレベルのことから自分バージョンの天国へと切り変わっていました。

 

しかし、顕在意識でいくら思考しても、より具体的な答えに辿り着けたことはないので、すぐギブアップして、別のことを考え始めました。

 

 

 

その別のことを考えていた合間に、私は

 

「気に入った?」

 

という言葉をキャッチしました。

 

その短い言葉は、自分バージョンの天国について、私に感想を訊いていました。

 

 

 

私は答えを言おうとしつつ、今このやり取りは、頭の中心よりやや上の所を使って行われていることを感じました。

 

これまで経験して来た、思考の間に間に挟まれる、圧縮されたような情報のダウンロード達も、ここを使っているのかもしれません。

 

多分、松果体を使って。

 

位置的にここだろうな、と。

 

 

 

結局、私はその言葉に返事をしませんでした。

 

だって、相手はその答えを知っていますから。

 

そして、訊いて来た相手は、高次元とやらの私自身であることもわかっていました。

 

だって、私が私のハイヤーセルフなら、同じ質問を自分の子供(分霊)にニヤニヤしながら訊くに決まってますから。

 

そういう奴なんですよ、ええ、ええ、よくご存知でございますの。

 

★★★

 

どうしてこんな気付き…というより、憶い出しの方がしっくり来るのかな?

 

が起きたのかと言うと、

 

「自分のワクワクに没頭して楽しんでたら」

 

「いつの間にか」

 

「当たり前のこととして」

 

「ソレを憶い出す」

 

のだとわかりました。

 

 

 

うん、バシャールや色んなスピ先生の言葉って、真実だったんすよ。

 

 

 

ビックリしたけど、意外と呆気なく、とても簡単に憶い出せるようです。

 

何しろ、自分の意識に蓋してたモノを、サザエの蓋を外すのと同じ感覚で外せるものだから。

 

え、嘘やん!?って思われる方もいると思うし、私もずっとそう思ってたんですけど…

 

 

 

ハイヤーセルフ曰く、今回の気付きは

 

「そうせずにはいられない情熱」=「ワクワク」

 

をやっていたから、自然に起きた、自然とそうなった、とのこと。

 

てか、そうなるの、当たり前なんですって。

 

それは人間に最初から備わっている機能で、でもそれを知っている人が少ないから、習慣化されてないだけで。

 

 

 

自分バージョンの天国って、人間の意識がニュートラルという自然体にリセットされる状態みたいなもので。

 

そして、ニュートラルに立って、そこからどこへでも行ける。

 

むしろ、ここはスタートライン。

 

真実の自分の人生を生きる通行手形を、私達は最初から持っていて、それはとうに自分の手中にあると憶い出すだけ。

 

 

 

目醒めって、人生の目標とかゴールみたいに錯覚しちゃうけど、むしろここから始まるんでしょ?

 

ここから、うんと愉しむんだよね?

 

ここからが本番だよね?

 

っていう感覚が、モリモリ来てますw

 

そっかそっか、そうだよなあ。

 

★★★

 

ようは、意識をどう置くかなんすね。

 

ああしなきゃいけない、こうしなきゃいけないという古い習慣を手放して。

 

どこかの誰かが言った言葉を鵜呑みにするのではなく、トコトン自分と向き合い、語り合って。

 

自分の感情をよく見つめ、観察し、どう流れて行くのかを見届ける。

 

そして、自分の教科書は、自分の中にのみある。

 

 

 

そういった色々と、ワクワクのルーチンをこなす中で、ソレはいつの間にか、自然に「知っている」という確信で、自分の中に蘇る宇宙の当たり前。

 

思考で理解するのではなく、とうの昔に腑に落ちているから、無理なく自然に意識が移り変わる、とても自然なシフトになるんです。

 

ただ、自分に向き合うだけで、そうせずにはいられない情熱に打ち込む中で、緩やかで自然な意識の変化は、こんなにも簡単に起きちゃうんですね。

 

 

 

嘘だと思うなら、やってみたらいいんすよ。

 

自分の全てに向き合い、鼓動高鳴る情熱に心身を預けるあの時間を愛しく思えるまで、トコトン。

 

 

 

 

ありがとう。

ようになってしまった私です。

 

うわー!どうした私ー!?

 

 

 

今さっき、とある人の動画を観ていたんですが、その人が動く度、首を動かす度、顔を上げ下げする度、それが全部美しくて、美しくて、感動して泣きました。

 

その人、別段イケメンでも何でもないんですけど。

 

むしろ自分の容姿にコンプレックスを抱えていた方なんですけども。

 

でも私には、全ての形や動きが美しく見えてしまって、

 

「はああああ!人間尊いわ!

 

何でこんな形してんの!?

 

どうして細部までこんな丁寧に創り込まれているのー!?」

 

って、鼻水グスグス言わせながら泣いてしまいました。

 

 

 

アレに似てる。

 

孫や動物が可愛過ぎるとか、推しに萌え過ぎて泣く感覚w

 

 

 

何でこうなったのかと言うと、やはりワクワク、好きなことに挑戦するようになったからだと思います。

 

何度も言ってますが、今私は、本気で描きたい漫画に挑戦中でして、制限時間も制限ページも設定せず、トコトン気の済むまで打ち込んでいます。

 

 

 

その中で、私どうしても人体を描くのが下手くそで、

 

「本当はこう描きたいんだー!」

 

って、色んな絵を見たり、アニメのスクショ撮りまくったり、骨格や解剖図と睨めっこしたり、自分の体を使って骨や筋肉の位置を確認するということを、夏移行繰り返していたんですね。

 

それは「上手くならなければ!」という焦りではなく、

 

「どうして人間は、こんな面白い構造をしているんだ?」

 

「どうしてこの角度から見るとカッコ良く見えるんだ?」

 

という好奇心から行った、つまりはワクワクの探究だった訳です。

 

 

 

そしたら、ある日から、人間の美しさに感極まって泣くようになってしまいました。

 

いやーん、もー、私変態なの?w

 

まごうことなき変態ですけど。

 

 

 

ついさっきも、動画で人間を見て、もう滅茶苦茶ドキドキして、ワクワクして、あと萌えててw

 

「はああああん!!!!人間綺麗ー!!しゅきー!!!」

 

って、人間嫌いの私がのたうちまわることになりました。

 

 

 

まさか動画の主に恋をしたのか?と思いましたが、それは全くありませんでした。

 

私がキュンキュンしてるのは、ひたすらに人という形の美に対して。

 

気でも狂ったか?ってぐらい、誰を見ても、腹の出たオッサンも、わがままバディのオバチャンも、

 

「もう全部凄い!人間って凄い!ウヒョー!」

 

ってなっちゃって、私本人が1番自分の反応に動揺しています。

 

いやもうホント、私に何が起きてるんだよ?

 

★★★

 

ハイヤーセルフに、私に何が起きてるのか訊いてみた所、

 

「愛を学んでる」

 

のだそうです。

 

あれか?人類愛か?無条件の愛か?

 

「今起きているのは、過程」

 

とのこと。

 

ああ、うん、壮大なビジョンが視えるなあ。

 

お得意の宇宙ビジョンですね、私の人間萌えは宇宙の計画ですか?

 

「萌えで覚醒するって言ったでしょ?」

 

言いましたねええええ!!!!

 

確かに言ったわ!

 

そしたら、こうなったわ!

 

人間美し過ぎて、萌えて、泣いたわ!w

 

 

 

という訳で、今私に起きてること、「ソコ」に至るまでの過程なんだそうです。

 

ウヘェ…まあ確かにある意味、覚醒したよな?

 

変態としての覚醒が。

 

★★★

 

今回のことで思ったのは、宇宙自由すぎだな!という。

 

萌えで覚醒するって宇宙に宣言したら、本当に萌えで覚醒するルート始まりました。

 

スゴイネ!

 

 

 

ああ、でも、芸術家とか哲学者とか、何かしらで道を極めた人って、ある種のマスターだよね?

 

だから、そういう美とかに感銘受けて突き詰めるのもまた、覚醒の道たり得るのかもしれません。

 

 

 

多分、私の覚醒プログラムの総仕上げは、愛を学ぶことだと思います。

 

何しろ、全然そう思ってないのに、

 

「この世の全ての愛を知りたい!」

 

と自分の内側から何かが込み上げて、スピリチュアルアウェイクニングが始まりましたから。

 

そう思ってないのに勝手に込み上げたって点が、明らかにハイヤーセルフの意図ですもんね。

 

 

 

で、今回の人間萌えは、その道程の1つである、と。

 

コレの何が凄いって、ワクワクを追求してたら、自然とこうなったこと。

 

本当に、ワクワクに、自分のそうせずにはいられない情熱に飛び込むと、本来の自分へのプロセスに繋がるんすね。

 

宇宙の采配、どんだけ素敵なん!?

 

★★★

 

好きなことして、こんなに幸せなの、しゅごいよおおおお!!!!

 

全ての人にありがとうって言いたい!

 

あなた達、どんだけ美しいのよおおお!!!!ンモォォォーーーー!!!!

 

 

 

あなたに言ってるのよ!

 

ここを見ているあなたに言ってるのよ!

 

自分がどれだけ美しいか自覚ないのでしょう!?

 

ンモーッ!何て勿体ないのかしら!!!

 

あなたが自分の美しさを受け入れたら、世界は本当に美しいって腑に落ちるんでございますのよ!!!

 

 

 

はああああ!!!

 

全人類、私の萌えの対象かよくっそぉぉおーーーーー!!!!!

 

宇宙め、何てことに気付かせてくれやがる!!!

 

何やこれ、あー幸せ。

「私、萌えで覚醒するわw」

 

ってハイヤーセルフやガイド、宇宙さん達に宣言したら、

 

「面白い、やろう」

 

って声が返って来たのが、今月の初め頃。

 

 

 

何故、そう思ったのかというと、私は子供の時から何かの物語を自動再生する癖があって、もしやこの癖は宇宙からのギフトではないか?と閃いたもので。

 

私は、キャラやシチュエーションが設定されると、脳内でキャラ達が勝手に動いたり会話するタイプで、これまで描いてきた漫画のほとんどは、脳内の自動再生を切り抜いたものを描いていました。

 

何故、ストーリーが自動再生されるようになったのか、その経緯はよくわからないのですが、ままごとや人形遊びをするような幼児期から、勝手にストーリーが頭の中でできて、セリフや状況がリアルタイムに進行するのが、私の子供の頃からの当たり前でした。

 

 

 

毎日、自然に、勝手に、気がついたら脳内でストーリーができて、キャラが会話し合ってるって、もうそれギフトやんけ!

 

それに気づいたのは、極最近、やっとですが。

 

 

 

よくワクワクの探し方みたいなのがあって、子供の頃から自然とやってることって話を何度か聞いたことがありますが、私にとって脳内自動再生がソレでした。

 

本当に気がついたらやってる。

 

物心ついた時から、今現在も、毎日!毎日!

 

つまり、私は生まれながらのオタクであり、クリエイターだった訳です。

 

 

 

でも、つい最近まで、この自動再生をいけないこと、やましいことと思っていました。

 

悪く言えば妄想に耽る訳ですから、そういう状態に長時間浸ることに、罪悪感をかなり強く持っていたのです。

 

もっと現実を見なきゃ。

 

地に足ついた生き方をしなくては、と。

 

でも、キャラは勝手に会話を交わし合うし、私の中で設定がドンドン増えて、世界が丸ごと構築される一方で。

 

今思うと、こういう状態って、ある種のチャネリングなのかも知れません。

 

何しろ、ほっといてもストーリーがドンドン進んで行きますから。

 

★★★

 

今、自分とトコトン話し合いながら漫画創作に挑戦中ですが。

 

多分、数ヶ月かかりそうですが。

 

でも、本当にトコトン、気の済むまでセリフを見直し、構図を見直し、話の流れ全体を見直し。

 

直して没にしたページ数だけで、100ページ超えるんじゃないかと思います。

 

とにかくそれぐらい真剣に、創作に打ち込む毎日を送っています。

 

自分のワクワクに、トコトン真剣に向き合っている訳です。

 

 

 

途中、何度も諦めようとしました。

 

絶望感に打ちひしがれて、敗者になったつもりになって、また筆を折ろうと何度もしました。

 

でも、私が眠りに落ちる寸前、諦めないでとか、それ見たい、描こうという声を何度も聴いて、励まされて。

 

その声を聴いてて、

 

「宇宙のサポートが入ってるってことは、私のやりたいことは恥ずかしいことじゃないんだ!」

 

と思えるようになって。

 

 

 

でも、その気づきはいっぺんに振り切れたものではなく、徐々に心の針が、ポジティブとネガティブを行ったり来たりしながら、少しずつポジティブに移って行ったもので。

 

心の傷が少しずつ癒ながら、変わって行った心境で。

 

 

 

何だか上手く言えないのですが、そういう毎日を送っていたら、いつの間にか色んなことが、良い意味でどうでも良くなりました。

 

変な話、スピリチュアルや覚醒とか、波動とかですら、どうでもいいなって。

 

しかも、とても良い意味で!

 

そういうことに拘らなくてももういいんだとわかりまして。

 

そういうことを追いかけなくても、私の中はいつの間にやら安心に満ちていたものですから。

 

 

 

とは言うものの、常に安心の中にいる訳ではなく、心が乱れる時はトコトン乱れます。

 

落ちますし、凹みます。

 

でも、落ちていい、凹んでいい、また上がれば良いだけだからと決めたことで、余り動じなくなりました。

 

落ちて良いと決めたことで、落ちにくくなった感じでしょうか。

 

不思議な話ですが。

 

 

 

スピリチュアルは、私の生活において大切な智慧ですが、もうそれを追いかけなくて良いというインスピレーションは、私を安心させました。

 

私は既に色々知っていて、だから大丈夫という、何の根拠もないこの気持ちを、信頼できるようになったものだから。

 

 

 

なるほどなあ、人はワクワクに従うと、こういう安心を得られるんだなあ、

 

と思いました。

 

それは、私の希望していた豊かさとは違う形のものでしたが、想定より大きくて暖かい豊かさだと思いました。

 

何しろ、私はコンプレックスだった自分の肉体を、初めて美しいと愛しく思える瞬間があったり、

 

いつぞや思った「この世の全ての愛を知りたい」という経験を、創作を通して得ることができたものだから。

 

 

 

人体を描くのが苦手で、でもこう描きたいを追求してたある日、骨や肉や血が自分の肉体の中にもあって、人の体はとても美しくて、だから自分の肉体も当然美しいのだと、気づく瞬間がありました。

 

私だけではなく、ありとあらゆる人の肉体が全て美しくて、感極まって泣きました。

 

あの感動、創作に真剣に向き合わなければ、経験出来なかったと思います。

 

 

 

また、私はずっと自分の身で経験しないと、この世の全ての愛を知ることはできないと思っていました。

 

ところが、漫画やアニメ、ゲーム等を通して、色んな表現を見て、それを観た人の反応もたくさん見ている内に、

 

この世には実に様々な愛の表現があって、私達は作品を通して色んな愛を疑似体験していることに気づきました。

 

つまり、わざわざこの身を使って愛を体験せずとも、エンタメで世界中のありとあらゆる愛を知ることができる訳です。

 

これ、簡単じゃないですか!

 

そして、生身で体験する愛も、過去生から現在まで、十分に体験して来ていると思いますから、私のハイヤーセルフなら私にそうさせてるに決まってますから、安心してこの道を極めてみようと思えるようになりました。

 

 

 

つまり、萌えて覚醒!

 

2次元キャラに萌えながら、私の意識は5次元へ移行する!

 

これ、マジグッドアイデアじゃね?w

 

 

 

私もそれを口走った時は、自分で何言ってんのって思いましたが、

 

「やろう」と上からお返事来たので、

 

ちょっとアテクシ、こういうことで遊んでみようと思うんでございますのよ。

 

★★★

 

オタクな方達って、これまで散々自分を否定したり、好きなものを否定して来たと思うんです。

 

親に、現実を見ろとか、いつまでそんなことやってるんだとか、年を考えろとか。

 

そうやって、自分の好きややりたいを、萎縮させて来たじゃないですか。

 

 

 

でも、もうそんなものに縛られる必要はなくて、それは自分で

 

「もう縛られない」

 

と決めた瞬間、解放される概念だと思うんですね。

 

縛られるのは、そこに居続けるから、そこに居ることを自分が決めてるから、何も変わらなかった訳で。

 

でも、変えると決めたら、ちゃんと変わるように、この世の中出来てましたわ!

 

凄いね!

 

 

 

私も萌えに興じることに、ずっと罪悪感を抱いていました。

 

推しを愛することに何の意味があるんだ、このままではいけない、いい年なんだからと、何度も自分の好きなものを否定して来ました。

 

その結果、自分を見失って、心病んでしまって。

 

「誰かにとって都合の良い私になる」

 

という選択ばかりしていたから、私本人がだんだん苦しくなってしまったんです。

 

 

 

今、そういうしがらみを全部取っ払って、自分が好きなもの、萌えと、全身全霊で向き合うようになって。

 

何度も否定、出て来ました。

 

何度も罪悪感に苛んで、自分を恥だと思い、ダメ出ししました。

 

 

 

特に性表現に関する罪悪感は、しつこく私を責めて来て、何か滅茶苦茶辛かったです。(語彙力)

 

多分、性って、人間の罪悪感の炙り出しに凄く良いツールだと思う。

 

だって、確実に人類の集合意識の根底に根深く沈んでる罪悪感の塊じゃないですか、宗教的な歴史も加えて。

 

でも、それでも人は人の裸を描くし、像を作るし、それは芸術になって来た歴史もある訳で。

 

人間って、罪悪感と創作意欲の狭間の矛盾の中で、何度ももがき苦しんだ歴史、あると思うんです。

 

 

 

でも、人の性って何だろう?

 

どうしてこんなに、強く罪悪感を感じるんだろう?

 

でも、それなら何故、それでも人は人を愛するし、その体は人を愛そうと求めるんだろう?って。

 

何度も何度も、ハイヤーセルフやガイド、宇宙さんに訊いたんですよ、私。

 

そしたら、色んな愛の形を受け入れることに、抵抗なくなって行って。

 

私にも好みはあるし、苦手な表現も多いけど、目くじら立てる必要もないなって、ただそれだけになって、気持ちが軽くなって。

 

そして、そんな風に表現を愛と感じることも、また愛の別の形だなと思えて。

 

 

 

オタク界隈も、色んな対立の多い世界でありますが。

 

でも、こういう世界もまた間違いなく、私達が送る日常な訳ですよ。

 

日常とは、魂を磨くのに適した教室みたいなものですから、オタク界隈も十分、覚醒や目醒め、気づきの宝庫な訳です。

 

だって、自分の目の前の現実全てが、自分の意識状態の反映なんですから、ここがただの辛い毎日の訳、ないじゃないですか。

 

 

 

だから、「萌えで覚醒」

 

コレ、マジ、オタクさんにはいいんじゃないでしょうか?

 

萌えにまつわるあらゆる罪悪感や自己否定を手放すチャンスがてんこ盛りですよ!

 

薄い本とか、ほら、

 

「こんなことしてちゃいけないのに、楽しいのォー!」

 

って出て来るじゃないですかw

 

テキメンな炙り出しができるよ!

 

 

 

そして、炙り出された罪悪感は、ただ手放すだけ。

 

何のジャッジもせず、必要であればその罪悪感を感じる自分の心をよく観察して、いつでも自分のタイミングで、好きな時に手放せばOK。

 

手放さなくてもOK。

 

正解なんて宇宙のどこにもないから、ただ自分で決めるだけだから。

 

 

 

スピリチュアル学んでると、ああしなきゃ、こうしなきゃって出て来ると思うんですけど、実はそれって、今までの古い習慣を、スピを使って繰り返してるだけなんすね。

 

だから、

 

「何を選んでも良い」

 

って状態にまずは安心して、そこから自分が心地良い選択をすればいいだけのことなんす。

 

スピリチュアルって、トドのつまり、自分の選択があなたの毎日を創っているよっていうことを言ってるだけだから。

 

★★★

 

胸の内のこのワクワクを文章にするのが、これ程難しいとは…

 

うーん、読んでる人には不親切でわかりにくい話をしていますが。

 

でも、躍動みたいなものが伝われば、それでいいかなw

 

何となく、言いたいこと伝わってれば幸いです。