何とも奇妙な夢を見たので、書き記してみようと思います。

 

昨晩見た夢は、夢の中で夢を見るという夢。

 

しかも、それが3回連続の、3回共同じ内容という念の入りっぷり。

 

★★★

 

1つ目の夢は、何故か自分は全裸で寝ていて、起きると同時、玄関の鍵をかけ忘れたのでは?と思っていました。

 

そして、家の中に誰かが侵入している気配。

 

凄まじい恐怖心を抑えつつ、明かりのない室内をそーっと歩き、玄関まで行くと、鍵がかかってない。

 

ヤバイ!と思って、貴重品や服を取りに室内に戻ると、風呂場からシャワーの音がして、男がいる気配。

 

私はできるだけ気配を消しながら、荷物と服を持って自室から脱出しました。

 

 

 

しかし、無事に脱出できたと思ったら、一瞬意識が遠のき、気がついたら先程とは別の家の中に私はいました。

 

★★★

 

2つ目の夢は、1つ目の夢とは違う部屋で目を覚ましました。

 

この時目覚めて気付いたのですが、1つ目の夢の中で自室と思っていた家は現実のものとは全く違い、夢であったことに安堵しました。

 

私は動作の1つ1つ、床を踏み締める感触を確かめて、今度は夢でないことを確認しつつ起き上がりました。

 

 

 

この時ふと、玄関の鍵をかけ忘れているのでは?と心配になりました。

 

慌てて見に行くと、掛かっておらず。

 

しかも、扉の向こうには武器を持った男が立っており、今まさに家の中に入ろうとしていました。

 

私は大急ぎで鍵をかけ、すぐそばにある障子や衝立で玄関にバリケードを作りました。

 

ところが、今度の家は日本家屋で何個も引き戸が並ぶ構造で、別の引き戸から侵入されてしまいます。

 

 

 

私は大急ぎで家の中にいる誰かに、警察に電話するよう伝えて、侵入者に応戦しました。

 

今思うと妙なのですが、その時は何の疑問もなく、室内にいた男を仲間だと思っていて、事実彼は私の戦いをサポートしてくれてました。

 

 

 

侵入者は手に銃を持ち、物陰に隠れている私達を挑発して来ます。

 

私は隙を見て相棒が持っていた銃を受け取り、しかし相棒は慌てて撃つなと言ってるにも関わらず、私は必死の思いで撃ってしまいました。

 

ところが、銃身は思っていたより重く、発射時の反動で、弾は思った方向に飛ばず。

 

外した次の瞬間、マシンガンで応戦されてしまいました。

 

私達はすぐに物陰に隠れ、弾数を確認するとゼロ。

 

手元に残った武器は刀のみ、相手はマシンガン+もう一丁小型の銃。

 

 

 

私達は二手に分かれて、侵入者の攻撃を交わしながら、仕留めるよう動いていました。

 

不意に銃の乱射が止まったので、マシンガンの弾が切れたのか?と思っていたら、侵入者は縁側の天井方向に向けて、短銃による一発を放ち、障子の上部に血飛沫が飛びました。

 

私は天井に張り付くように隠れていたのですが、気配を悟られ、頭に銃弾を受けてしまいました。

 

 

 

侵入者は私の遺体を確認しようと、縁側へ出てきました。

 

しかし、そこにあるはずの遺体はなく、私は侵入者の頭上を、弧を描くように飛んでいました。

 

そして、刀を振ると、侵入者の頭蓋が真っ二つに割れるのが見え、私は心が晴れ晴れとするのを感じました。

 

私に当たった銃弾は、こめかみ辺りを掠めただけで、大事には至らず、私達は無事侵入者を撃退することができました。

 

 

 

その次の瞬間、私は強い眠気に襲われました。

 

立っていられない程の眠気に抗えず、私の意識は即座に途切れたようです。

 

★★★

 

目が覚めると、別の家の中にいました。

 

激しい眠気にフラフラになりつつ、私はついさっきのバトルも夢だったとこの時初めて気づき、一体どうなっているんだと思いました。

 

今度こそ現実と確認すると同時、気になるのは玄関にちゃんと鍵がかかっているかどうか。

 

私は壁やら家具にしがみつきながら、眠気に耐えつつ、玄関に向かいました。

 

やはり鍵がかかってない…

 

しかも、ドアの向こうには、またも不審な男が立っていて、中に入ろうとドアノブをガチャガチャ捻っていました。

 

 

 

私は慌ててドアノブを押さえ、鍵をかけようとしますが、何故か鍵がかかりません。

 

よく見るとドアは今にも崩れそうな程ボロボロで、鍵なんかかけても体当たりで壊せそうで意味がなさそうです。

 

それでも私はドアノブを押さえ、板の反ったドアを体で押さえ、男の侵入を断固として拒みました。

 

男は意地にでもなったかのようにドアを破ろうとしていましたが、やがて諦めて、立ち去って行きました。

 

 

 

私は少し時間を置いてから、ドアの外に出て安全を確認しました。

 

ドアの外は、比較的通行量の多い道路のようで、道路の向かい側には動物園があることがわかりました。

 

何でこんなおかしな立地に私は住んでいるんだろう?と不思議に思いつつ、家に戻ると、そこは家ではなく温泉旅館でした。

 

温泉旅館内の安い部屋に私は宿泊していたようで、仲良くなったらしい中居さんが料理を運ぶ所にかちあい「どうしたの?」などと聞かれ、私はその呑気な様子に安心しながら、部屋に戻って行きました。

 

★★★

 

目が覚めてました。

 

しかし繰り返しにより、今が現実か夢かわからず、また酷い眠気により、私は数分ベッドの上で動けずにいました。

 

眠気に抗いつつ、いやに重い体を起こし、玄関へ行くと、今度はちゃんと鍵が掛かっていました。

 

そして、ドアの向こうに怪しい男の気配などはなく、少しずつ鮮明になっていく意識の中で、今見ている室内の光景こそが本物の自分の家だとわかってきました。

 

 

 

私が見た3つの夢は、現実と思う程にリアルで、事実私は2つ目以降の夢で、今いる状況が現実であると確認をしていました。

 

まあ、結局夢だったんですけど…

 

でも、現実だと信じ込む程に、これらの夢はとてもリアルでした。

 

 

 

しかし、思い返すと不思議なもので、何故3つ共玄関の鍵が掛かっておらず、その都度男に襲われているのか。

 

しかも、逃走、返り討ち、撃退と、結果が少しずつ改善しており、3つ目は部屋への侵入すら許しておらず、また妙な展開ですが、一応ハッピーエンドです。

 

 

 

夢占いで検索してみると、どうも人間関係に恐怖心があるとかそういう意味のようで、大雑把な解釈ですが、解決できるという意味のようです。

 

まあ撃退して気分がスッキリしたので、多分いい夢だと思います。

 

 

 

それにしても…

 

目覚めても、目覚めても、夢の中だったというのが、何ともw

 

つまり、夢の中で夢を見て、その夢の中で夢を見ていた?

 

3層?

 

夢の中で夢を見ることはたまにあるけど、ここまで念入りなのは初めてです。

 

しかも、同じ内容で、結末が変わって行くの、面白いなー。

前回の更新後、一瞬視た水道の設備?みたいなものについて考えていました。

 

ビジョンはその設備だけだったのですが、その映像が象徴であることを瞬時に理解していたり、またその時に感じたノスタルジックな切なさは、昔、原爆特集のTV番組を観ている時に感じたのと同じ空気を感じました。

 

私はその番組をながら見しつつ、何故だか心がとても落ち着くのを感じていました。

 

特に印象に残っているのが、川に流れてきた首のない女の子のご遺体に鎮魂の祈りを込めて、流れて行くのを見送る人の話で、私はその時に何とも言えない癒しを感じ、その時に感じた空気を鮮明に覚えています。

 

私が水道設備を視た時に感じた空気は、その時に感じたものと全く同じでした。

 

 

 

ですから、その出来事により、被爆は私の魂の経験なのだと、一層感じることとなりました。

 

正直言うと、

 

「まさか、自分が?」

 

という気持ちも拭いきれないのですが、昨晩、追加情報を得たことでより確信に近づいてしまったので、その内容を自分用メモとして、残しておきたいと思います。

 

★★★

 

昨晩、寝る前、私は過去生の信憑性について考えていました。

 

私の友人は、他人の語る過去生を、記録として残る当時の資料と比較して論破していたことがあり、私はそれを見て

 

「何て酷いことをするのだろう」

 

と思っていました。

 

友人は、文献にない調理方法で料理がされてたことを挙げて否定していたのですが、私としては、だいぶ昔の調理法が全て文章として残ってる訳ないだろうと思っていたので、鬼の首でも取ったかのように語る友人を見て、辟易してしまいました。

 

また、主観による物事の見え方と感じ方は人それぞれ違うので、過去生の成否だけを突き詰めても意味のないことだと思っていました。

 

 

 

実は、退行催眠等で視る過去生の映像は、当時そのままのリアルな映像とは限りません。

 

私も、退行催眠で視た映像は、まんが日本むかしばなし調の絵だったので、催眠をかけていた先生に

 

「コレ、本当に私の過去生なんですか…?」

 

と何度も確認をした程です。

 

映像が当時のリアルな光景でない理由は、今世の自分の精神に影響を残す恐れがあるとか、視てる本人に理解しやすい、親しみやすい映像だから、等。

 

ですから、私としては、視えた光景そのものの成否を測ることには、何の意味もないと感じています。

 

例えるなら、交通事故の現場を複数人が目撃していたとして、ある人はぶつかる瞬間を目撃しただろうし、別の角度から見ていた人は車体に隠れてぶつかる瞬間が見えてない場合もあります。

 

また、その現場を見た時、心に走る感情は、人それぞれ違うものであり、また時の経過によって、見た光景の印象が変わったり、忘れたり、別のものと入れ替わって勘違いしたりするのが、人間の記憶のシステムです。

 

だから、人が視るビジョンの成否というものは、突き詰めるだけ無意味というのが私の自論です。

 

感覚で感じた映像に、正しいも間違いもないんです。

 

ある冴えない少年に恋した少女が感じている格好良さが、他人には全く理解できないのと同じように。

 

感情が伴う記憶の中の映像とは、それぐらい不鮮明で、曖昧で、だからこそ時が経過すると美化したり、単純化して脳内処理されて行くのだろうと思います。

 

 

 

私が視た水道設備の映像も、そういった類の、感情を伴う魂の記憶、象徴の欠片です。

 

だから、胸を締め付けられるような切なさ、懐かしさが込み上げたのだと思います。

 

そして、こういった感情の真偽は、感じた本人にしかわからないものです。

 

腰痛の辛さが腰痛になった人にしかわからないように、経験した本人以外には、どしても理解できないことなんですね、こういうことって。

 

と言うか、経験した本人ですら、時間の経過と共に、気のせいとか、夢だったのだと処理してしまいがちです。

 

でも、理解しづらいそのことを、ちゃんと真剣に向き合ってみたことはあるのか、ちゃんと検証したり、自分の内に問いてみたことがあるのか。

 

それをやらずに、気のせいとか、疲れているからという曖昧な結論に至るのは、少々乱暴に感じるし、面白くないと思いませんか?

 

自分が経験したり、視たりした不思議を、気のせいとか、科学的に証明できないと投げ出すことは、それこそ突き詰めることを放棄した、論理の破綻した結論ではないでしょうか。

 

★★★

 

スピリチュアル的には、自分のことは、自分の内側に問うのが、1番確かで近道です。

 

自分の魂の記憶は、自分が1番知っているということです。

 

何しろ、感情や体感として感じるものですから、どこそこの霊能者が視るビジョンより、肉体的な感覚を伴う分、真実味が強まることと思います。

 

私的には、霊能者が視るビジョンとは、先程の事故で例えると、別の角度から見た目撃証言みたいなもので、ぶつかった本人(自分)と違う所を視てるので、自分の視たことと違うことを言うこともあるのだと思っています。

 

ですから、それらはあくまでも参考にしたり、比較対象の検証材料として見るのが、最もしっくり来るなあと思っています。

 

★★★

 

ともあれ、過去生の信憑性について考えていた所、視えたビジョンについての性質について、上記のような説明が入りました。

 

そして、

 

「見るに耐えない光景は、別のものに変換されたり、隠されたりする」

 

と教わりました。

 

 

 

その直後。

 

私の脳裏に、信じられない光景が次々と飛び込んで来ました。

 

文章にするのもはばかられるような、壮絶で、悲惨で、人の形を成さない人だったものが大量に地に伏す、塊となって川を流れる、そういった類のとんでもない光景が、息もつかぬ勢いで視え始めてしまいました。

 

私は余りの壮絶さに、

 

「もういい!わかったから、もう視せないでくれ!」

 

と何度も懇願しました。

 

しかし、一度こういう映像に繋がるとなかなか断ち切れないのか、その後もしばらく残酷なビジョンが、途切れ途切れに視えていました。

 

正直、辛かったです…

 

 

 

しかし、そんな中、

 

「人は忘れるようにできている」

 

という声を聴きました。

 

そして、実際に寝て醒めてみると、昨晩視た残酷なシーンを、映画や漫画でそういうシーンを見たかのように、どこか遠い所に記憶が押しやられていました。

 

★★★

 

それから、どうしてこんな経験を魂がしたのかと言うと、

 

「今に至る為」

 

と教えられました。

 

この過去生だけではなく、ありとあらゆる生の営みは、今の自分に至る為だと。

 

勿論、今世も。

 

 

 

何故、あらゆる生を経験したのか、学びを求めたのかと言うと、自分という存在を理解する為だと。

 

自分の命を知り、自分という存在を知る為の道程だと、そんな感じのことを受け取りました。

 

 

 

まあそうなのだろうな、と思いました。

 

言葉では何とも説明できませんが、私は元々、自己の存在を突き詰めようとする傾向が子供の時から強くて、

 

「自分という存在を知る為に、あらゆる生を経験することを選んだ」

 

という自分の内から込み上げたそれは、とても腑に落ちるものでした。

 

原爆の被害者も、どこぞの領主も、理由なくならず者に殺された生も、障害者の介護で終えた人生も、全て。

 

全ては、自分を知る為に通った道なのだと。

 

★★★

 

もう、ずーーーーっと、言葉は来ていたんですよね。

 

「幸せな人生にしなさい」

 

「やりたいことをやりなさい、そうできるように整えられているから」

 

「自分で、そうすると決めなさい」

 

誰かの言う通りにしなくていい、今世は本当にやりたいことに向き合える人生になっているのだと。

 

だから、自分で決めて、動けと。

 

 

 

私、やりたいことは描くことなんですが、ここ最近トラウマとかまた引きずり出して、やろうと思いつつ、実行して来なかったんですね。

 

怖いからとか、面倒くさいからとか言って。

 

自分の画力のなさを認めることが怖かったり、描けない苦手に向き合いたくないのを面倒と感じたり。

 

あと、やろうを実行しなかったことが罪悪感になって、ドンドン精神的に追い詰められちゃったり。

 

 

 

そんな日々になっていたから、ここの所、不思議なものを視たり聴いたりが増えたのかな?と思います。

 

もうめっちゃ背中押されてるのわかってるんだけど、体動かなくて、コレ何なーん!?みたいな…

 

その理由をiPadで書き綴ってみたら、だいたいどういう状況かわかりました。

 

うん、恐怖、まだまだ強いね!(涙)

 

もう乗り越えたつもりだったけど、まだまだ全然、玉ねぎの皮のように、下にはまだ何層も分厚いのがありました。

 

そっか…そうなんだ…まだまだか…

 

 

 

でも、お陰でこの先どうするか、だいぶ的が定まって来たような感じがします。

 

後は実行を…

 

ううーん、実行!

 

クゥーッ!!(涙)

 

 

 

実行するか否かの部分においては、宇宙は手出しも口出しもして来ないんすよね。

 

「これで本当にいいの?」

 

と訊いても、ほっとかれてます。

 

自分でちゃんと決めなさいってことなんだよなあ。

 

あと、誰かに言われて行動したことは、その対象のせいにしてしまうのが人間だから。

 

良いことが起これば、その対象のお陰と言って拝み、悪いことが起これば、その対象のせいだと言って憎む。

 

それもあって、だから本当に、ちゃんと自分で決めて動くことが大切なようです。

 

 

 

んで、こういう在り方こそが地に足つける云々、グラウディングって奴なのかなー?と思います。

 

高次元の存在に頼り切るんではなく、彼等はあくまでもサポートで、生きるのは自分自身。

 

親に言われたから、上司に言われたから動く時代は終わっているし、高次元の存在に依存する時代も終わってます。

 

つまり、何を自分の世界の中心に据えて生きるかっつーと、そんなものは火を見るよりも明らか。

 

自分が自分として生きる時が来たから、そのように生きてみてごらん、と上は言い続けている訳です。

 

もう何年も前から!

 

 

 

ここん所、過去生がよく浮上するのは、自分を知る為。

 

自分という存在の意味を、自分で認めて、再構築する為。

 

そして、何故ああも辛い思いをした生を経由して来たのか、その答えを自分で見出すこともまた、今世の宿題なのかな?と思います。

 

自分を知る旅の仕上げに、

 

「自分で決めて動く」

 

は必修なのでしょうね。

最近、何かをしている最中に、意識が数秒飛んですぐ戻る、と言うことがほぼ毎日起きています。

 

元々、変性意識に入りやすい方ではあるのですが、その状態とはまた違う、一瞬だけ意識が飛ぶ感じです。

 

 

 

そして、この一瞬で、色んなビジョンを視ます。

 

例えば、ガイドと繋がる瞑想の動画の視聴中、一瞬意識が飛んだ時に、中学生の頃の担任にそっくりな女性の顔がかなりハッキリ視えたり。

 

でも、女性は恩師より若く、とても綺麗な笑顔なので、恐らく別人。

 

また、女性のイメージの背後には、どこかの被災地のようなコンクリートの瓦礫が視えました。

 

どうやら、今、私をガイドしてくださってる方のイメージのようです。

 

 

 

他には、今さっき視えたもので、恐らくは原爆投下前の街並み。

 

色付きで、多分町中にある水を汲み上げる設備のようなものが視えて、私はそれを懐かしいと同時、ノスタルジックな切なさを感じていました。

 

これが視えた時、進撃の巨人のアニメ最新話を視聴中で、町中を走って逃げるガビとウドを抱えたコルトのシーンで、一瞬意識が飛んで、コレを視ました。

 

恐らくこのシーンの状況が、過去生で視た景色を一瞬過らせたのかもしれません。

 

ちなみに、私も被爆した過去生があるようで、恐らく今日視たものもその時の光景ではないかと思います。

 

 

 

そして、ちょっと興味深いのが、これを視た次の瞬間、海外の街中の光景が視え、こちらは未来のようでした。

 

不思議なもので、こういうビジョンが視える時、過去か未来かわかることもあるようです。

 

私の場合、いつもわかる訳ではないのですが。

 

でも、自分の人生には、こう言うタイムラインもあり得るという感じで視えたのだとわかりました。

 

また、これが視えた時、胸の辺りから「アメリカ」という言葉が出てきたので、視たそこはアメリカなのだろうと思います。

 

★★★

 

何でこういうことが起こるようになったのかは、よくわかりません。

 

ですが、一瞬意識が飛んでいる間に視るもの、得られる情報量は意外と多く、何か良くわからないけど凄いなあと感じています。

 

もしやコレ、半トランスとかいう奴なのかしら?

 

 

 

他には、誰かと会っていたような余韻を感じるけど、何も思い出せないとか。

 

ある時は「幽体離脱」と聴こえたことがあったので、もしかしたら意識が飛ぶ瞬間、幽体離脱しているのかも?

 

 

 

またある時は、怖い程心の中が静寂に満ちて、スンッ…と澄んだような、早朝の境内に居るような雰囲気に包まれることもありました。

 

静寂が怖いと思ってるのに、心の声が全くないという謎現象。

 

感情を感じているからといって、心の声を発するとは限らないものなのかもしれません。

 

 

 

今、ハイヤーセルフに疑問を投げた感じでは、覚醒と眠りの狭間は、こういう感じの情報を受け取りやすいようです。

 

うん、それは知ってるんだけど、何で一瞬だけ意識が飛ぶのかが謎過ぎる。

 

「気に入った?」

 

って今訊かれたけど、まあ、うんw

 

興味深い内容が多いからね。

 

★★★

 

名前忘れたけど、有名な画家さんが夢からアイデアを貰う為、手に鉄球を持って寝て、鉄球が落ちた音で目を覚ますようにしていたという話を思い出します。

 

私の一瞬飛びも、一瞬寝落ちすることで、あちらの世界で情報を得ているのかもしれません。

 

 

 

一瞬飛びの興味深い点は、視えるビジョンが体外離脱並に鮮明なのが良いなあと。

 

私は瞑想でも視えることはありますが、曖昧なビジョンが多いので、一瞬飛びで視えるのはそれより鮮明なのが良いかも。

 

 

 

ただ、本当に一瞬なので、視た直後、ビジョンの余韻(残像?)で

 

「これ何だ?」「ああ、アレか」

 

と少しずつ理解する感じで、しかも理解する時に思考という工程が加わるので、2拍程遅れてから

 

「ああ、なるほど」

 

と理解をするような体感です。

 

不思議な体感だけど、面白いなあと思います。