休日の夜、手作りの甘酒をすすりながら、ふと思いました。

 

「私個人の、魂の目的と、人間の命としての目的は違うのではないだろうか?」

 

 

 

私の魂の目的は、自分が宇宙そのものであり、愛であり光であったことを、完全に思い出すこと。

 

体感として、また魂レベルで、自分=宇宙であることが腑に落ちる、それを明らかに思い出すことです。

 

 

 

一方で、私の人間としての目的は、

 

「自分が幸せに生きる」

 

スピリチュアルに目醒めた時、これ以上の目的なんてないと思いました。

 

 

 

「自分が幸せになる」

 

当然過ぎて、当たり前過ぎて、でも日々の生活の中でつい見失ってしまうこと。

 

スピリチュアルを学ぶ中ですら、自分の使命に捉われて、自分の幸せからフォーカスが外れる時があります。

 

だからこそ、人間として当然の幸せを、今世の私は何より大切にして行くのが良いと感じています。

 

 

 

スピ生活してると、スターシードだの、使命だの何だのに目が向いて、それはそれで私にとって大切な通過点ではあるのですが。

 

しかし、今は1人の地球人であり、まごうことなき人間です。

 

その人間としての、幸せ。

 

これを得ることは、本当の本当に当然であり、当たり前であり、しかしつい見失ってしまうことのように感じます。

 

★★★

 

恐らく、過去生の私は、自分の幸せを追求することを余りして来なかったのだろうと思います。

 

多分、修行僧のような生き方が多かったのではないかなーと。

 

だから、幸せ下手なんですよね。

 

幸せになることに抵抗があったり、幸せというものがよくわからなかったり。

 

 

 

そして、それはきっと私だけではなく、多くの人が幸せ下手なのではないかと思います。

 

自分にとっての本当の幸せを知らず、世間一般で言われる幸せを追い求めている人を、自分の周囲ですら多く見かけます。

 

結婚だとか、恋人だとか、いつも誰かがそばにいることが幸せだという一般論を、

 

「自分もそうだ」

 

とよく吟味もしないまま、受け入れている人が多いような…

 

 

 

しかし、私は、その一般論に納得したことは、生まれてこの方1度もありません。

 

いつも心の奥のどこかで、

 

「そんなものが、私の幸せなんだろうか?」

 

と疑問に思っていました…子供の頃から。

 

 

 

私は大人達の語る幸せより、自分の魂の奥底から込み上げる情熱に、自分の幸せのヒントがあるように感じていました。

 

感じてはいたけど、それが具体的にどういうものかまで突き止めることはできていませんでした。

 

 

 

ただ、どんな時でも、誰かの語る幸せを聞く度、

 

「私の幸せはソレではない」

 

と、感じていました。

 

★★★

 

人間の幸せは、十人十色だと思っています。

 

人類の人口の数だけ、幸せの定義があると思っています。

 

そして、私には私にしかない、私バージョンの幸せがあります。

 

 

 

そして。

 

人間が幸せになることは、当然であり、当たり前のことです。

 

この原点を見失っていては、いくら尊い言葉を並べようと説得力がありません。

 

 

 

もうね、本当に当たり前のことなんです。

 

『自分が幸せであること』

 

コレを当たり前にしないと、いくらアセンションだとかこいても、何の意味もない。

 

というか、自分が幸せであることが当然である先に、覚醒がある訳ですから。

 

いや、幸せと覚醒は同時進行の状態だと、私達の魂は知っています。

 

 

 

だから、自分が幸せであること。

 

今まさに幸せであること。

 

コレ、当たり前にして行こうと、甘酒飲みながら、しみじみ思いました。

 

★★★

 

…自分の幸せが何処にあるか?

 

それは、自分の魂しか答えられない問いだと思います。

 

だから、皆、ワクワクに従うんじゃないでしょうか。

 

安心やリラックスに身を委ねるのではないでしょうか。

 

魂の情熱に従うと、自然とそういう行動になって行くように思います。