②池袋水天宮の神様が泣いていた。
池袋東口から
何でわたしに白羽の矢が立ったのか
池袋水天宮の神様
池袋水天宮の御祭神とは?
☑天御中主大神
(あめのみなかぬしさま)
※[同義]妙見菩薩(みょうけんぼさつ)
※[同義]北極星
もう、皆さまもご存じでしょうけど
古事記で、天地開闢(かいびゃく)の時に
最初に生まれたとされる三柱のうち
中心的役割を果す至高・根元の神が
天之御中主神(アメノミナカヌシ)
他の2柱は
高御産巣日神(タカミムスビ):統治の神
産巣日神(カミムスビ):生産の神
天の世界を統べる最高神ってされてる。
で、一緒に祀られているのが…
安徳天皇 (あんとくてんのう)
第81代天皇(高倉天皇と建礼門院の第一皇子)
歴代最年少の8歳で崩御、悲運の天皇
(壇ノ浦にて入水)
建礼門院(けんれいもんいん)
※[別名]平徳子(たいらのとくこ)
建礼門院
(高倉天皇の中宮/安徳天皇のお母さん)
二位の尼(にいのあま)
※[別名]平時子(たいらのときこ)
(平清盛の妻/安徳天皇のおばあちゃん/建礼門院の母)
解りやすくいうと
8歳の息子(天皇)・その母
そしておばあちゃん
家族3代ってイメ―ジ。
え?誰??
って人のために…
歴史をわかりやすく解説してみます。
時は1185年のことでした。
時は源氏と平家の争いの真っただ中。
歴史的な決戦である壇ノ浦の戦で
敗れた平家の女官であった
按察使(あぜち)の局 が
源氏から逃げて
九州の久留米付近に落ちのびます。
そこで彼女は
一門と共に入水された
安徳天皇、建礼門院、二位の尼の御霊を
ささやかな祠をたてお祀りしたのです。
これが始まり。
さらに、天御中主大神を祀り
やがて平家の三方と
この神の四柱を祀るこの祠を
水天宮
と呼ぶようになりました。
1600年、徳川家康の時代に
久留米藩主である有馬豊氏という人が
このあたりの村人たちが
水天宮をめっちゃ信仰しているのを知って
立派な新社殿を建て寄進しました。
この水天宮は、
阿蘇山を水源とする
筑後川のほとりにあったことから
水を司る神様として
水天竜王
と呼んだそうな。
そこから文政元年(1818)
久留米藩主が有馬頼徳の時代
参勤交代で江戸へ参上している間
彼は、地元の天候が心配だったので
江戸の藩邸内(港区赤羽)に
水天宮を分霊して
地元の五穀豊穣を願うようになりました。
その後、明治維新を経て
水天宮は赤羽から青山へ移動。
青山から現在の日本橋に鎮座されたそうな。
昭和3年(1928年)
池袋の有志の方々が
池袋の繁栄を願い
日本橋の水天宮のお札を頂いて
お祀りをしたのが
現在の池袋水天宮の始まり。
元々は、現在の位置ではなかったそうだけど
周践祚に、現在の社殿が創られたそうです。
イマの社殿は2000年に創られたものだそう。
源氏と平家まで
歴史がさかのぼりました。
こりゃー過去世の
因果が関わってそうだねぇ。
過去に関わっていないかぎり
この手の御用仕事は
回ってこないからなぁ。
ちなみに
このblogをたまたま見た
と思っているあなた!!
たまたまなんてないのです。
あなたは当時
源氏だったかもしれないし
平家だったかもしれない。
もしかしたら
平家を追いかけまくって
殺してしまった因果があるかもしれない。
もしくは、平家で
逃げ伸びた人かもしれない。
どのような因果で関わっていても
イマは調和の仲直りのために
全てが起こっている。
是非とも
ピンときた方は
記事をうっかり見た方は
一回でもいい
こちらでの奉仕をお願いします。
この場所が隅々まで綺麗になるまで
ミラクルズで見届けたいと思います。
よろしくお願いします‼️
愛と奉仕のミラクルズ代表
UKYOU
即、行きます‼️と声をあげた
原あやこ神 ありがとうございます。
神に代わり御礼申し上げます。