この記事は、2011年10月10日に書かれたものです。
2013年まで定期開催を続けております
新橋にある鹽竈神社の定期清掃ボランティアですが
どうして始めたのか必ず聴かれますので、詳細を書きました。
下は2013年10月10日の記事です。
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私の三連休は、非常に、密度の濃い時間を過ごしておりました。
まず、金曜の朝4時にあらゆる偶然が繋がり
わたしは、ある知人を迎えに、初めて訪れた
新橋の鹽竈神社(しおがま神社)というところに居りました。
まだ、夜明け前ですから
境内は、非常に暗く、本殿の前に灯りが灯っているだけで
何だか寂しい雰囲気の、小さな神社であることが、解るくらいでした。
わたしは、その場所に、ある知人を探しに行ったのですが
神社に着くと、境内の入り口にある椅子に、
そこで、静かに岩の上で、ひとり、瞑想をしている知人がいました。
この知人は・・・幼いころより、親に捨てられて、そこから人生を転がり落ちるように
極道への道へと入り、波乱万丈なヤクザな人生を歩んだ人でした。
しかし、アセンション(次元上昇)に伴うかのように、あらゆることで、短期間のうちに、
本当に、劇的な破壊と再生を体験。
自分本来の生き方を模索していたのです。
その中で、私や、私のまわりのヒーラー達と出逢い、
今までとあまりに違う 人間たちに囲まれ
この方は、非常に、戸惑い、
過去の人間関係の清算もできずに、トラブルの渦中におりました。
そんななかで、その方は真夜中の神社の敷地で
一人、瞑想をしていました。
互いに余計なことは、話さず、しばらく黙って座っていました。
外は、風は無風でしたが、真冬のような寒さでした
しばらく黙って座ってから・・・ふと、その方にヒーリングをしようと、思い立ちました。
知人は、何も言わず、目を閉じ、私に身体をゆだねました。
そして、境内で、本殿に向けて座っている知人の背中で、シンボルをきり、マントラを唱え、ヒーリングを開始した途端
いままで無風だった真夜中の境内に・・・
竜巻が起こり、突如、ふいたのです。
神風!!
2人同時に、叫んでいました・・・。
神風は、境内を嵐のように、一巡し、本殿にブワ~~~っとものすごい音をたて
鳥居をくぐり、流れ込んでいきました。
あまりの出来事に鳥肌が立ちました。
しばらく、神風は、続きました。
私たちは、何か、説明のつかない・・・大きな力による、この神社への引き寄せと、
神の導きを確信をもって感じました。
何とも言いようのない、目には見えない偉大なる力・・・
それを、神と呼ぶのか・・・宇宙の叡智と呼ぶのかは解りませんが
あたりは、まだ暗いですが、朝の5時を回っておりました。
夜が明けはじめてきておりました。
神風の向かった先の本殿
2人で、本殿への鳥居をくぐり、ご挨拶をすることにしました。
ひっそりとした、神社の氣は、まるで、山奥の人目をはばんで存在する
隠れ家のようなたたずまいで・・・
ここが、新橋の真ん中であることを
微塵も感じさせませんでした。
何故、ここに導かれ、このように辿りついたのか?
その知人に、なぜ、ここに辿りついたのか聞いたところ・・・
知人『考えながらさまよっていたら、気がついたら、ここに辿りついていた・・・』
私が、先達をさせて頂き、神拝をさせて頂きました。
いてつくような寒さのなか、私が挙げる祝詞が、空中を突き抜け・・・天に届くのを感じました。
神拝が全て終わったころには、時刻は、すでに、6時を回っておりました・・・。
明るくなった神社の境内を、改めて見渡すと・・・
本当に山奥のように、樹木が生い茂り・・・
稲荷社の看板は、お社から落っこちていたり・・・
とにかく・・・荒れ放題に荒れておりました・・・。
あまりの荒れように、氏子さんはいないんだろうかと思うほどでした。
神社を流れる氣は、本当に厳かなものですが、神社じたいは
人の手から離れて、かなり長いようでした・・。
鳥居をくぐり、外に出ると、目の前は、写真のような広場になっているのですが↓
この広場を、改めて眺めると
あちらこちらに、煙草の吸殻・・空き缶、ビールの缶など
ゴミがそこいらじゅうに落ちておりました。
いてもたってもいられなくなり、私は、煙草の吸殻を広いはじめました。
それから、上に掲載の写真を撮影しました。
この神社のことを、その後、調べてみました。
すると、驚くことが解りました・・。↓
新橋の鹽竈神社(しおがま神社)
調べてみると・・・どうやら、私とも縁がありそうでした。
◆御祭神
鹽土老翁〔しおつちのおきな)武甕槌命〔たけみかづちのみこと〕経津主命〔ふつぬしのみこと〕
なのですが・・・
なんと、この御祭神、私の故郷でもある仙台の神様だったんです。
元禄8年(1695)仙台藩4代藩主・伊達綱村が、陸奥国一宮・鹽竈神社 の御分霊を、
汐留にあった、仙台藩上屋敷に勧請したことを創祀とするそうです。
安政3年(1856)13代藩主・慶邦が中屋敷に遷座したのが、現在の社地だそうです。
慶邦は一般にも開放したため、安産の神として参詣者を集めるようになったそうです。
明治維新以降はさらに信仰を集め、毎月10日の縁日には多くの女性が参拝していたのですが
昭和20年(1945)5月、米軍の空襲により焼失してしまいました。
最近では、氏子のいない・・・崇敬神社になってしまったようで
元旦以外に、神社に人はいない無人神社とのことでした・・。
なるほど・・・。
荒れているのにも納得しました・・・。
何とかできないものだろうか・・。
なぜ、ここに導かれたのか?
私は、考えました・・・。
そして、土曜日の足立の花火大会の時に、私のヒーラー仲間、ボランティア仲間たちが
総勢集まった際に、みなに、この時の話をしました。(写真は、この時撮影した花火です。)
この時・・・それは放ってはおけない
みんなで、鹽竈神社の掃除ボランティアをしよう
との話に繋がりました。
このような志を持つ、優しさと慈愛にあふれている素晴らしい仲間たちに、心から
感謝をしました。[↓の写真は、その時の写真です。)