スピリチュアルを現実逃避だとか、妄想だと非難する声を聞きます。
その通りです。
昔から仏教やキリスト教イスラム教などの宗教が流布されたように、
スピリチュアルは、現実に対応する事が困難な人達の救いです。
救いと言えば御幣があるかも知れませんが、平たく言えば逃げ道です。
困難な状況を乗り越える為に、現実問題を自分が受け入れやすいように工夫している方法の一つです。
私自身もある年齢の頃から、何かに引っ張られるかのようにスピリチュアルを考えさせられるようになりました。
それは私の人生の第一章が幕を閉じる事を予想していたかのようでした。
長い長い第一章でした。
私はそこで予定して来たこの世的な経験や勤めを果たしたのだろうと思っています。
しかし私は随分無理をして来たのでしょう。
人生を楽しむ事を忘れていたのです。
そしてそれらを取り戻すかのようにスピリチュアルを実践し時間が流れ、
ふと立ち止まる私に沸き起こったのは
『全てはただ起こっているだけではないのか』
『カルマも輪廻転生も嘘っぱちじゃないのか』
『神などいないのではないか』
という思い。
現実を生きていると詰まらないし、納得がいかない事件や事故を見聞きするとぶつけようも無い怒りや哀しみに包まれる。
自分の弱い心が潰されてしまわないように、輪廻転生やカルマや寿命や運命を用い折り合いをつけているだけではないか。
そう、始まりはそうだった。
怒りや哀しみを何かで紛らわせ緩和させるには、スピリチュアルが便利だった。
過去の点と点を結び付け、意味付けをし納得したような気になっていた。
あれから10年、スピリチュアルを一周して
『全てはただ起こっているだけで意味はないのではないか』と思い始めた頃、
神の生まれ変わりや宇宙由来の魂の子供達の誕生が、表舞台に出て来た。
とても子供の言葉や知識とは思えない彼らの発言に、私はまたスピリチュアルに軽く引き戻される。
YouTubeでの不思議話も後押しとなり
『どうも、神も精霊も天使も悪魔も魑魅魍魎もいるらしい』
『目には見えないが、この世で共存しているらしい』
『輪廻転生もカルマも嘘ではないらしい』
という結論に至った。
そうなると後は、摩訶不思議なもの達を見るか・聞くか・感じるかです。
いるなら是非見て・聞いて・感じたいですよね。
皆さんもそう思いますよね
一緒に彼らの存在を認識出来るようになりましょう
応援しています