そこで私は、会社の同僚に教えてもらったオカルトにハマることになる。



滋賀県の端っこ、比叡山の麓から車で15分、護送車みたいに外が見えない仕様の車から降りると、立派な寺が建っていた。



中に入ると、受付で代金を支払うが、これが安くて40000円で、祈祷師らしき人の言葉を聞くには五万は超えてくると。



そんな祈祷師が言ったのは、人間は死なないこともできるとか。



それは選ばれた者達だけだが、それが自分かもしれないと、私は定番に悪い憑き物があるという。じゃあ祈祷で落とせるかと言えば、落とせないって。



その憑き物は実の父親から移ってきたもので、その父親が亡くならないと消えないとか。



めちゃくちゃな話をされて、それで五万だったが、当時の私にも、現在の私にも、それは、必要なことやと思うし、とにかく話を聞いてくれる。



もう詐欺でもいいし、一応は親身になってくれてるもん。



ホンマに、そんな半ば詐欺師に17万だ。



それくらい私は追い込まれ、悩んでいる。



何度も何度も考えて、でも、殺人なんて模倣犯もない。



結局は何も出来ず、何も変わらず、やらねばならない。



もう父親は死んだのだ。



私の中で父親は死んだ。



私が手にかけたでもいいし、もうなんでも、父親は死んだのだ。



全く、ガンになったのに身体は生きているし、何度も何度も何度も死ねばいいと願っているのに。



実際には死んでないのが、これまた困った。



死ねよ!



何回も願う。



でも無理。何度も願うのに、生きている。



わたしがこうなったのは両親の責任だから、二人揃って飛び込んでほしいけど、結局は生きているし、どないしたらええねんて、毎度そう思う。



もうみんな死んだらええねん。