なぜ信長・父は、軍師・太原雪斎にボコられたのか? | 超人脳

超人脳

自己超克ー。力を使わない身体操作術と武學思考法を土台に、
あなたの悩みを持ち味に昇華します。
できる人の感覚も活用して、現状の外へ。

理に叶った脳と体の使い方で、年齢に関係なく誰でもできます。
整体、遠隔、不食、幽体離脱、縁結び,先祖供養、風水…



 

※信長の父をボコした軍師•太原雪斎

 

戦国の世を

駆け抜けた

禅僧•太原雪斎(たいげん•せっさい)。

 

僧でありながら、

戦国時代の大大名、

今川義元の

 

教育係であり、

軍師であり、

外交官であり、

 

獅子奮迅の働きで

天下取りまで

あと一歩のところまで

 

愛弟子である

義元を押し上げました。

 

で。

 

”戦国最強の黒子”

太原雪斎の

「最大の武功」を語る際、

単なる

一合戦の勝利に

留まらず、

 

その後の歴史

(特に、

 徳川家康の天下獲り)を

 

決定づけたという意味で、

 

1549年の

「安祥城(あんじょうじょう)の戦い」と、

その後の「人質交換」こそが

 

彼の人類史上稀に見る

武功と称す

方々もいらっしゃいます。

1. 究極の「一石三鳥」

 安祥城の戦い(1549年)
 

当時、

三河(愛知県東部)の支配権を

巡って、

 

今川家と

織田家(信長の父・信秀)は

激しく争っていました。

 

で。

 

雪斎は自ら大軍を率いて、

織田方の拠点である安祥城を

攻め落とします。

ここで

雪斎が凄かったのは、

単に城を落としただけでなく、

 

「誰を捕らえ、

 どう使ったか」。

戦果: 織田信長の異母兄である

    織田信広を捕虜にする。
 

計略: 普通なら処刑するか、

    領地と交換するが、

    雪斎は

  

  「信広を返す代わりに、

    織田家が奪っていた

    松平竹千代(後の徳川家康)を

    今川家に引き渡せ」

 

   と要求。


結果: 織田家はこの条件を

    飲まざるを得ず、

    家康は今川家の手に

            渡った。

なぜこれが

   「最大の武功」?


この勝利によって、

今川家は

「三河の支配権」を

完全に掌握し、

 

さらに、

「将来の天下人(家康)」を

教育下に置くことに成功。

 

一回の合戦で、

領土・人材・未来の安全保障、

すべてを

手に入れたという事です。

2. 「虎」を退けたガチンコ勝負:

 第二次小豆坂の戦い(1548年)
 

「軍師」としての純粋な

指揮能力が光ったのが、

この戦い。

 

相手は「尾張の虎」と恐れられた

猛将・織田信秀(信長の父)

=本記事タイトルの回収^^;=。

戦況: 織田軍の猛攻に

   今川軍は一度崩れかけるが、

   雪斎は冷静に伏兵を配置し、

   タイミングを見計らって反撃。

   織田軍を

   完膚なきまでに撃破


意義:これにより、

   「織田家=強い、

            今川家=公家かぶれ」

   という当時の空気を一変させ、

   「雪斎率いる今川軍は

            手が付けられない」

   という恐怖を

   全国に植え付けました。

   

   ※肝は序盤に

    弱いふりで

    信秀を油断させ

    罠にハメた戦術眼
 

3. 血を流さない最大の勝利:

 甲相駿三国同盟(1554年)
 雪斎のキャリアの集大成。

 

戦略的勝利:武田信玄、北条氏康という

      当時の怪物たちを相手に、

      「戦わずして勝つ

      (あるいは戦わせない)」

      状況をデザインしました。

 

「配置の力」を国家規模で

実現した瞬間。

 

これにより今川家は、

戦国大名の中で唯一

 

「背後を完全にガードされた、

 無敵の進軍ルート」

 

を手に入れた訳です。

 

 

※太原雪斎
※太原雪斎

まとめ:雪斎の武功の特異性。
    雪斎の行動は、常に

    「その一勝で、

    今後10年のゲーム盤を

    どう書き換えるか」という

    大きな視点がありました。

1.  安祥城      :人材(家康)を

        配置するための勝利

 

2.  小豆坂     :織田を抑え込み、

        三河を安定させるための勝利

 

3.  三国同盟 :上洛(ゴール)への道を

         確定化するための勝利

雪斎にとっての

「武功」とは、

敵を倒すことではなく、

 

「自分の理想とする

 配置(システム)を

 完成させるための手段」

 

に過ぎませんでした。

「勝つこと」よりも

「勝った後の形」を

 

デザインする

雪斎のクールなスタイル、

 

歴史に「もしも」は

禁物ですが、

 

もしも、

太原雪斎があと5年、

生きていれば、

 

最悪でも義元は

信長に

討ち取られることもなく

 

悠々と

京都御所からの

盛大な歓迎パーティ(=天下獲り)を

受け取ることができたのに、

 

とm(_)m