1980年代、地方での教職経験を持つ教育省高官、カムマーン・コンカイ氏によって書かれた「田舎の教師(せんせい)」という本がベストセラーになりました。この本はタイ研究の権威、富田竹二郎先生が和訳し、日本国内でも販売されています。
夢をもってタイ農村部に赴任した小学校教師が、生徒や村人たちとのつながりを深め信頼を得ていく一方で、その正義感の強さから不法伐採業者に睨まれ、暗殺されてしまう…。悲劇的な最後が、当時の(現在も?)不条理なタイ社会を象徴していると感じています。
バンコクだけをみていると勘違いしてしまうのですが、タイの地方部は、まだまだ社会基盤が整備されていません。国家の柱となるべき「教育」ですら、不備が目立ちます。6月4日、バンコク・ポスト電子版にその一例が記事にされていました。ここにその要旨を記載いたします。2023年におけるタイ社会の一面として、記録しておきたいと思っています。
Teacher left to run school alone finally gets some help (bangkokpost.com)
タイ中部チャチューンサオ県パノムサラカム郡。
ここに、児童数20人という小規模小学校があります。配属されている教師は34歳になるクリット先生1人のみ。
用務員もいないため、クリット先生は給食も調理します。掃除もします。もちろん、書類仕事もしなければなりません。
かつてこの学校には、校長ともう1人の教師、それにクリット先生の3人が配置されていました。
しかし、校長先生が定年のため昨年退職。本来後任が配置されるところなのですが、教育省が「校長の配置は児童数60人以上の学校のみ」という基準を新設していたことから、この学校は校長不在となりました。
残った2人の教員で子どもたちを教えていましたが、そのもう1人の先生も、「故郷であるブリラム県に異動したい」と希望を提出し、その希望がかなって同県に行ってしまいました。結局、今年5月の新学期から、クリット先生1人になってしまったのです。
所轄の地方教育局は、補助教員を採用する手続きを進めているのですが、採用には試験などが必要で時間がかかっています。
クリット先生は、小学校1年生から6年生までを担当せざるを得ない状況ですから、ひとつの学年を教えている時は、他の学年の児童は自習とせざるを得ない状況です。ただ、タイ王室がスポンサーになっている遠隔教育(オンライン授業)を活用するなど、工夫もしています。クリット先生は大学でコンピューター・サイエンスを専攻していましたから、オンライン授業の活用はお手のもの。でも学校にはPCが1台しかないので、クリット先生の工夫にも、物理的制約があります。
児童にとっても適切な教育を受けられないという、厳しい制約があるものの。
昨年、この学校で学んでいた児童の1人が、アユタヤ県にある有名な中学校の入学試験に合格したそうです。しかも、合格者200人中22番という好成績で。厳しい条件下であっても、それを乗り越えて学業を修める子もいるんですね。
今回、教員1人が奮闘していることが全国的に知られたのは、クリット先生が投稿したSNSによって。
この投稿を受け、児童の保護者たちも、学校給食の調理や清掃を申し出たり、学校備品を寄付する動きも出てきているようです。SNSの威力、大きいですね。情報拡散のす早さは、「田舎の教師」が書かれた時代と異なります。
サポートの申し出がたくさんきているようですが、それでもクリット先生の超多忙さは、もうしばらく続くことでしょう。
クリット先生の奮闘に敬意を表します。そして、クリット先生の奮闘が、それを直接みている児童に好影響を与えることを願っています。さらにタイ政府には。経済的に力をつけてきているのですから、地方教育にももっと力を入れて欲しいと思います。