民主化運動に、新たな波紋 | 「アジアの放浪者」のブログ

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タイで続いている民主化運動に、新たな波紋が広がっています。

それは、若手僧侶の参加。11月8日に行われた集会に、一団となっている若い僧侶の姿が見られ、そのうち一人が、「僧侶にも選挙権を与えて欲しい」と訴えていたのです。

 

僧侶は、選挙で投票できない…。

日本では考えられないことですが、それは上座仏教の伝統です。

 

上座仏教僧侶の基本は、「世俗と離れて修行に専念し、悟りを目指す」というもの。それゆえに、妻帯が認められない、飲酒ができない、正午過ぎの食事が許されないなど、227もの厳しい戒律が存在しています。選挙権がないというのも、こうした背景があるのです。

 

世俗の側も、相応の配慮があります。

その最たるものは、不逮捕特権。僧侶はたとえ殺人を犯しても、そのままでは逮捕されません。まず戒律を破ったということで強制的に還俗となり、世俗の人間に戻ったところで警察に逮捕されます。また食事などが寄進されるのも、働かずに修行に専念する僧侶を支えることで、人々が歴史ある仏教を次世代に伝承させていくことを願っているからです。

 

一部の若手僧侶の動きに対し、僧侶たちの自治組織である「サンガ最高評議会」は、民主化運動に僧侶を参加させないように要請する通達を、全国の寺院に出しました。一部の僧侶が、何らかのかたちで政治活動に加わること自体はこれまでも見受けられ、同評議会もその都度自粛を求めてきましたが、選挙権を求める僧侶の出現は初耳。そのため今回は、これまでよりも強い措置をとることにしたようです。

 

同評議会の事務局である政府機関、国家仏教局のトップは、「自分で選んで僧侶になっているのだから、選挙権が欲しいのであれば、還俗して投票に臨めばよい」と話しています。おそらくそれが、多くのタイ人の声でしょう。少なくとも今のところは。

 

しかし同じ上座仏教でも、スリランカには僧侶が中心となって結成した政党があり、国会議員となっている僧侶もいます。もちろん、投票もできます。スリランカにも釈尊当時の伝統は存在しますが、それを一部変えたところで仏教が崩壊するわけではありません。なぜなら、参政権が与えられても、それを行使せずに修行に専念している僧侶の方が多数派だからです。要は、自覚の問題。

 

タイの僧侶もそのうち、スリランカのようになっていくのでしょうか。私が感じているところでは、仏教には他者からの規制よりも、自分の意思による自制のほうが望ましいかと思います。