国民って誰のこと? | 「アジアの放浪者」のブログ

「アジアの放浪者」のブログ

東南アジア、南アジアを中心に、体験・見聞したことをレポートします。

新年早々ですが、今日はいささか重たい記事を書かせていただきます。

 

タイで将来を期待されている若手政治家がいます。

2018年に結党された、未来前進党党首のタナトーン・ジュアンルンルアンキット氏(41歳)です。

彼は自動車部品の中規模企業、Thai Summit 社経営者の子として生まれましたが、学生運動を通じてタイの抱く複雑な社会問題に目覚めたようです。一時、志をもって国連職員となりましたが、父親が癌で倒れたため、やむなく会社経営を引き継ぐことに。そして16年の間で会社の業績を6倍に伸ばし、Thai Summit 社を大企業入りさせます。

 

しかしどうやら、昨今の旧態依然としたタイ政治に我慢できなくなったようで…。

2018年に、タナトーン氏は学生運動時代の仲間らと一緒に結党した「未来前進党」の党首となって、政治の世界に殴り込み。そして昨年の下院選挙でいきなり500議席中81議席を獲得し、第3党に躍進しました。これ、おそらく有権者の多くが、タイ政治に新たな風が吹くことを期待したのでしょう。

 

しかし昨年11月、国会議員はメディア関連企業の株を所持してはいけないという憲法規定により、タナトーン氏は議員資格をはく奪されました。立候補届け出までに、彼は自身が所持していたメディア株(一般にはほとんど知られていない会社)の売却が間に合わなかったのです。

 

議員を失職したタナトーン氏ですが、未来前進党の党首として活動を続けています。そして昨年12月に、彼はタイ北部のターク県に住む少数民族、モン族の行事に招かれました。どうやら、未来前進党から立候補して当選した、モン族出身下院議員が招待したようです。

 

 

モン族のお祭りで、タナトーン氏は「未来前進党は、少数民族の土地所有権と法的保護を推進する」と挨拶。国民を主権者とする政治家として当たり前の発言ですが、この発言に軍高官らが強く反発しています。

 

匿名希望のある空軍将官は、「ターク県のモン族はもともとミャンマーからの不法移民だから、政治家としては本来、彼らをミャンマーに帰還させるように努めるべきではないか。タイの重荷になっているのだから」と語ったとか。

 

同時にこの将官は、モン族が近代的な教育を十分に受けていないことから、知性に欠けている人が多いとも指摘しています。このような差別的な発言を記事にしたのが、タイ有数の英字紙 Bangkok Post の有名な女性記者(但し、軍政とのつながりが深すぎることがいささか難点)だったことから、タイのネット民は、このような差別的な発言をした軍と、その発言を記事として掲載した Bangkok Post紙を強く批判しているところです。

 

さらに。

批判を受けたこの女性記者は、自身の Facebook にて、別の「匿名将軍」の発言として次のような記事をアップしています。「タイ人は、何十億人にもなるモン族やロヒンギャ、イスラム教徒、アラブ人、黒人などに支援の手を差し伸べる前に、自国民へのケアを優先して考えるべきだ」。

 

いったい、どの将軍がこういうことを漏らしたのかわかりませんが、この記事を読んで、深く考えさせられました。

 

たしかに、他国民よりも自国民のケアを優先するべきだ、という論理は一理あります。日本でも、ODAを縮小し、国内の貧困層への福祉を手厚くするべきだ、という議論がネットでされているのを見かけます。

 

しかし、「国民とは、誰を指すのか」という観点で考えれば、コトはさほど単純ではありません。

ミャンマーとの国境にあるターク県に、モン族やカレン族などが多数住んでいることは事実。中には、ミャンマーからタイに不法入国している人や、戦火を逃れて難民としてタイ領内に入ってきた人たちもいます。

 

一方で、タイが近代的な政府や行政制度を調えていくずっと以前から、現在のタイ領に住んできた少数民族もいるのです。考えてみれば、タイ民族が中心となって設立したタイ政府が、当初から現在のタイ領をしっかりと治めていたわけがありません。現在のミャンマーとタイの国境は、主にイギリスがミャンマーを植民地化していた時代に固定化していますが、それはイギリス政府がタイ政府のみを国境交渉の相手としたから。実際にはすでにその時点から、ターク県には多くのモン族、カレン族らが住んでいてなおかつ自治組織があったのですが、彼ら自身が知らぬ間にタイ領に組み込まれてしまったのです。

 

それでもまだ、昔はほとんど影響がなかった…。

ところが、国家が近代化していく過程で「国籍」が重視されるようになり、そうなると多数派民族が少数派民族をよそ者扱いし始めます。タイ内陸部に移住していた少数民族が比較的タイ国籍を得やすかったのと裏腹に、国境付近に住む少数民族は、近代国家としての「タイ」が成立する以前からタイ領内に住んでいても、「不法移住者」扱いされる傾向にあります。それもそのはず、彼らを追い出せば、彼らの居住地や耕作地がタイ民族のものになりますから。国防当局者の立場としては、タイ民族の土地所有が増えることは、間違いなく安心材料となりましょう。

 

後出しジャンケンのように、後から成立した他民族国家にいつの間にか取り込まれてしまった、というのが、少数民族の言い分でしょう。そしてこれは、様々な国で共通していることではないか、と。タナトーン党首が少数民族の土地所有権を認める発言をした背景には、こうした事情への理解があるのでしょう。学生運動時代に培ったセンスが生きているのだと思います。

 

国民って、誰のこと?

国家や政府が形成される前から、その土地に住んでいた他民族も、国民の定義に含まれるのですか?

それとも、特定の民族が国家として政府を形成していく過程で、自民族のみを国民と定義していくのでしょうか?

 

法的にどちらが正当なのかはわかりませんが、どちらが平和的な考えであるかを基準に置けば、なんとなく答えを見出せそうな気がします。タナトーン党首、そうですよね?

 

下図は、イギリスとフランスの植民地に挟まれたタイが、その領土を少しずつ削り取られてきた過程を示しています。