最近若い方と会話をする機会が結構あるんですが、何だか少し不思議な感じがしますね。

ポリティカリーコレクトという言葉がありますが、最近の若い方(自分が関わった事のある人達の総計ではという意味です)は、何がコレクトで何がインコレクトなのかという事に非常に敏感で、ある意味強迫観念のように感じているんじゃないだろうかというような気がします。(KYなんて言葉が若者から流行るのも、その顕著な例かもしれませんね)

正しさとは何か、善悪といったものを一体自分はどう捉えるのか、(そういった矛盾を抱え込んで格闘していく中に成長するという事の一つの側面があると思うんですが)という事よりも、とりあえずコレクトな言動や振る舞いをしておけばいい、とりあえずここではこういう態度を取っておけばいい、というような事をあまりに気にし過ぎているような印象を受けます。

もちろんそういった考え方はある意味賢いと言えるし、また厳しい現実を生き抜く為の処世術であるという事も分からなくはないんですが、一つ心配だと思うのは、自分が感じる事や間違いだと思う事などをあまりにどこかへ押しやり、その場凌ぎ的にコレクトかインコレクトかを判断していると、その判断と自分の心の動きとの間に乖離や混乱が生じてしまって、時としてそういった抑圧された感情が、自分より社会的立場の弱い人に向かって放出されてしまうような事になってしまわないのかという事です。

しかしよくよく考えてみると、今も昔もそんなに変わらないのかもしれませんね、ただソフィスティケートされて社会の中に当然の仕組みとして組込まれてしまっているので、小さい頃から自然と学んでいかざるをえないのかもしれません。

ただ確実に言えるのは、今のようにコミュニケーションそのものが、商品化されてしまうようになった時代では、精神衛生の為の感情のフローとストックを行う事はより難しくなったという事です。

人の心にとって“暖のとれる場所”というのは絶対に必要なはずですよね。何とか若い人達にも、そういう暖の取れる“本当”の場所を一つでも多く見つけ出して欲しいと思うばかりです。

(続くかも)
今日は朝から晴れていたので、ここの所する事なくてふてくされた洗濯機を動かしてあげてます。

いつもより威勢よく回っております。


自分は結構テキパキと物事をこなすのが得意な方なんですが、それ故に要領の悪い人なんかと共同作業させられると割にストレスを感じてしまいます。

そんな時にストレス解消の為に使えるフレーズなのが、

“アイツは何てとろい奴なんだ!、きっと二時間ドラマを見るのに四時間かかるぞ!”

です(笑)。一応使う時は悪意を入れずに、なるべく冗談の通じる人に使って下さいね。

そしてそれとは関係なく、個人的にユーモアのあるフレーズとして気に入っているのが、

これは上手く使えば音楽や料理に変えても大丈夫です。

それは、

“絵画について何かを語るというのは、まるで建築について踊るようなものだ!。”

(笑)です。

愛すべきアイロニーとユーモアですね。
今日は何だか早めに目が覚めてしまいました。

ベランダの外はまだ薄暗いです。

こんな時は何となくオスカーワイルドさんの言葉を思い出します。


“私達は皆、溝の中に生きている、でもなかには星を見上げてる奴もいるんだ。”

美しい詩ですよね。