“僕は昔から大金持ちの変人になりたいと思っていたんだけど、そんな風に思い続けていたら実際そのどちらにもなれたよ”

ジョン・レノンさんの言葉ですが、彼のユーモアは本当に美しいですね。
映画“12モンキーズ”の中で、ブラッドピット紛する、サイコなマッドマンが自分の行いを正当化する為に、こんな事を言います。

“昔、空気中には目には見えない程の小さな虫がいて、俺達の身体の中にもいる、そういう虫どもが疫病を引き起こしてる原因なんだと説いて回った学者がいた。だが誰もそんな言葉には耳を貸そうとはせず彼を変人や狂人として扱い追放したのさ、そして村に疫病が流行ればその村は悪魔に呪われてるとして、村人共々焼き払ったんだ。その後に顕微鏡が発明されて初めてその学者が正しかった事が分かったのさ。”

といった内容です。

誤解をされると困るのですが(インチキ霊能力者を擁護する事になりかねない)、この話はある種のメタファーになりえると思います。

自分は基本的な考え方として、科学と宗教は両輪でなければならないと常々思っています。歴史的に見ても、科学は宗教の解毒剤になりえますし、宗教は科学の解毒剤として機能しうるからです。科学も宗教も本来の目的は真理を追求し続ける事ですが、時に相互のバランスを失い悲劇的な結果をもたらした歴史もあります。やはり危険なのは、どちらの側からにしても一面的なドグマに陥ってそれを盲目的に信じてしまう事だと思います(平和を妄信する人が平和の為に人を殺すというパラドックス)。

時として自分達は不安定で理解出来ない事を嫌い、世界とはこうでこうだからこうなんだという風に、単純化して理解しようとしたがります。

ですがやはり世界とは絶対に(と言い切ってもいい)閉じられないものですし、また閉じてはならないものだと強く思います。これは結局万物理論や永久機関が作れないのと同じではないでしょうか。

しかし私達は歴史から学ぶ事が出来るはずです、理解出来ないものを簡単に焼き払うような真似は出来れば自分もしたくありません、そして焼き払ってからではきっと取り返しのつかないものもあるはずでしょうから。
ディズニーシーに行こうと誘われましたが、丁重にお断りした筆者です。

今日ふと養老孟司さんがある本の中でこんな風におっしゃってたのを思い出しました(定かではないけど)。

“男というものはおおまかに二つのタイプに分類できる、権力を求めて世俗の王を目指すタイプと、悟りに至ろうと脱世間の偉大な宗教家を目指すタイプにだ”

うん、分かります。

この言葉に個人的に付け加えさせてもらいたいんですけど、

“女性というものもおおよそ二つのタイプに分類できます、権力を持つ世俗の王に魅力を感じるタイプと、悟りに至る脱世間の宗教家に魅力を感じるタイプにです。”

しかし世界は複雑ですね、前者のタイプはより権力を持つ男を見つけると、勝馬を乗り換えるように移動していく傾向がありますし、後者のタイプは異常な程の執着をみせてそこに留まろうと他には移動しようとしない傾向がありますね。

うん、難しいものです。

ちなみに男も女もどちらがいいという話がしたい訳ではありません、前者を突き詰めればヒットラーやスターリンに行き着きますし、後者を突き詰めればチャールズマンソンや麻原彰光に行き着いてしまいますからね。

重要だと思うのは前者と後者の人々が占めるモーメントバランスのパーセンテージだと思います。