前から読みたかったが、やっと日本から届く。
介護する家族から見た物語は多いが、患者本人の一人称で貫く小説はこれが
初めてではないか。病状が進行するにつれ周囲は当然動揺するが、本人だって
つらいのだ。その心の中がよくわかる内容で、一気に読んでしまった。
職場でボロを出すまい、迷惑をかけまいと、片っ端からメモをとるようになる
主人公。その箇所を読んで、思わず「あ!」と思った。数年前、実家に帰省
したときの様子が目に浮かんだ。
壁のカレンダーからなにから、筆ペンで書いたメモだらけなのだ。
便箋を小さく切った紙に、「燃えるゴミは火曜」「町内会費は誰それへ」など
日常のことから、「桜が開花」「大相撲始まる」とか様々な覚書。それが所
狭しとテープで貼ってある。かつては自慢の一つだった床の間の、特注の
ナントカいう木の柱まで、鱗のようにメモが貼られ、それが決して最近のこと
でない証拠に、紙は黄ばみ端がめくれている。親はおそらく、異変に自分で
気づき、なんとか失われる記憶をとどめようと必死だったに違いない。
台所の食品棚の中には、賞味期限の切れた天ぷら粉がいくつも入っていた。
買ったことさえ忘れて、同じものを続けて買ってしまったのだろう。
本人も、つらくて怖くて悲しかったのだ。
小説に戻るが、私にはやはり主人公の妻の献身ぶりが印象に残った。
やはり妻にするなら日本女性である。これが舞台がカナダとかアメリカで、
英語の小説であったら、中盤までには彼女は新しい男を見つけて家を出ていく
だろう。「私が結婚したのはバリバリ仕事をするかつての彼なのよ。それが
まだ五十なのにボケちゃって、セックスどころか仕事もダメ。私はまだ若い
んだし、人生やり直すなら今だから。それにこの人、私のことだって忘れる
でしょうし」と、サバサバと見切りをつけるワイフ。周りを見てもそういう
シナリオの方が断然多いし、読者だってその展開のほうが納得するだろう。
冷たいのではなく、弱肉強食が骨まで浸透している風土なのだ。
弱いものへの労わりが、必ずしも美徳とされないお国柄。
私は何年住んでも、そこまでドライにはなりきれないでいる。