※前回の記事、[感謝のお食事いただきます。]の追記と、頂きましたコメントの返事コメントです。
[追記]
2007年10月01日10:19
昨夜は、胃に急激な負担がかからない実に質素な食事にしました。少し頂いただけですぐに満腹感と安らぎの眠気を覚えました。
あと数日我慢していたら、拒食の一歩手前だったかもしれない。
食の有り難味、身を持って体感しました。御免なさい。
ご馳走様。
[返事コメント]
2007年10月01日10:26
○さん こんにちは。
全ての生命に宿る共通の言語と思います。『感謝』。
○さん ありがとう。
2007年10月01日11:28
○ こんにちは。
有名な方を挙げると、マザー・テレサさん、オードリー・ヘプバーンさん、黒柳徹子さん、藤原紀香さん、他にも数多くの方々が、世界の飢餓から救うべくご活動をされている事をコメントをみながら思い浮かべました。
小学生の頃、みんなで頂く同じ給食を、病気が原因でみんなと平等に食べられないクラスメイトもいた。
大人になってから、飲食店等で平然と残す大人達も沢山見てきた。
僕らが当たり前のように過ごす日常生活、お金で手に入れる贅沢、常に願う平等・自由等、それらを考えるゆとりもない国々がある。生まれて以来常に戦渦の中にいる子どもたちがいる。
先進国が掲げる世界平和という言葉は、本当に切実に困窮している国々にとって、他国の事まで考えられない状況なので響いていないと感じる。愛や平和を信じられない、そして、憎む。
それが大きくなって、醜い血の戦い・争いが絶えなくなる地球になった。
一つの同じ地球上のボーダーラインにより、地球人口の半数以上の人々が世代を越えて苦しみ続けている。
今、何か切実に困っているひとも、自分の事で精一杯になってしまう。他人の事を考えられなくなる。
困っていても他を思いやる事ができるひともいる。
僕がよく考える事。今、満腹以上に食する事ができるひとは、一粒も食にありつけないひとの事を見て、どう感じるのだろう。今、一粒も食にありつけないひとは、満腹以上に食する事ができるひとの事を見て、どう感じるのだろう。
○ ありがとう。