金曜から火曜日にかけて休みです。

 

5連休です。

 

何をするのか?

 

英語でしょ!

 

陸上でしょ!

 

テスト勉強でしょ!

 

すでにひきこもる用意はしました。

 

具体的に何をやっていくの書いてみます。

 

まずは英語から。

 

・SCATを全話コンプ 5h

 

・「海外ドラマはたった350の単語でできている」 0.5h

 

・「漫画でわかる冠詞」 0.25h

 

・「漫画でわかる動詞」 0.25h

 

・「基本の78パターンで英会話フレーズ800」 0.25h

 

・Lingvist 1h

 

・「ポレポレ」 0.25h

 

次に陸上。最近の目標はキロ3で2000mを維持。

 

・腕降りを実際のペースで

 

・体幹トレーニング8種目

 

そしてテスト勉強

 

・Biology 一日最低一節 2h

 

・Physics 問題を解く、定義を覚える 1h

 

・Chemistry 混成軌道についての理解を深める 1h

 

 

12hは勉強に費やせということですかね。

 

つまりのこりの12時間をどうするかが大事な目標達成のためのファクターになってきますね。

 

5h 睡眠

 

2h ランニング・体幹

 

2h 買い物

 

2h 食事

 

1h 移動など

 

この無謀なチャレンジで大事なのは軌道修正です。ですので、とりあえず明日はこれで頑張ってみます。

 

 

 

大雑把なスケジュール

 

5時 起床、ランニング、体幹

 

7時 食事

 

8時 買い物

 

10時 「漫画でわかる冠詞」 「漫画でわかる動詞」

 

         Lingvist 「基本の78パターンで英会話フレーズ800」 「ポレポレ」 

 

12時 SCAT

 

17時 biology

 

19時 食事

 

20時 Chemistry

 

21時 Physics

 

22時 「海外ドラマはたった350の単語でできている」

 

23時 finish!!!

最近少し落ち着いたのでまたブログをはじめようと思いました。

 

テーマはおもに

 

海外の医学部に在籍していて感じたことや

 

多浪生としての実績を最大限に生かしてしくじり先生的テイストでゆるくやっていきたいなぁと思っています。

 

 

さっそく今日の話をしましょう。

 

今日は試験が夕方にありました。もちろん英語ですよ?

 

うちの大学では75%を超えないと fail といって、落第みたいな扱いになりそれを何回かやらかすと色々進級とかに響くシステムです。

 

その何回かの一つをを今日やっちまった わけです。

 

科目は生物に近いです。ていうか生物です。

 

前回のテストが初回だったのですが意外と取れました。

 

あのほら、よく戦隊モノで新キャラの初回登場時は無類の強さを見せるが次回以降普通みたいな。

 

正直 悔しい ですよ。あんなに現役生よりも勉強してきてそのスタイルすら定まっていないことが。

 

そしてそいつらに負けてることそれ自体が。

 

反省しましょう。浪人への第一歩は反省しないことから始まります。←今日の迷言

 

  ・ 日本語で概要を勉強したままで終わっていた

    

    ゆえに英語の単語が出てこない

 

  ・ 図をきっちりと読み込めていなかった

 

  ・ 教科書を回した回数が少なすぎた。トータルでも2回くらい。

    

    前回は7週くらいはしてた

 

  ・ 直前に何とかなると思っていた

 

反省という言葉は「振り返る」だけなく「対策」を立てなければなりません。

 

  

  ・ 日本語で概要を勉強したままで終わっていた →終わらせない

    

    ゆえに英語の単語が出てこない →出てくるようにする

 

  ・ 図をきっちりと読み込めていなかった →じゃあきっちりと

 

  ・ 教科書を回した回数が少なすぎた。トータルでも2回くらい →最低5周。

    

    前回は7週くらいはしてた

 

  ・ 直前に何とかなると思っていた →じゃあ、ロングスパートだね


これだけだとまた浪人します。次にその対策を講じるにあたり生じうるであろう問題を挙げていきましょう

 

  

  ・ 日本語で概要を勉強したままで終わっていた →終わらせない

   

        ゆえに英語の単語が出てこない →出てくるようにする

    

    ⇒ 時間が足りなくなる可能性

 

  ・ 図をきっちりと読み込めていなかった →じゃあきっちりと

 

    ⇒ やり残し部分をなくせるのか

 

  ・ 教科書を回した回数が少なすぎた。トータルでも2回くらい →最低5周。

    

    前回は7週くらいはしてた

 

    ⇒ やはり時間。そして飽き。

 

  ・ 直前に何とかなると思っていた →じゃあ、ロングスパートだね

   

    ⇒ 勉強体力的な問題

 

 

     

話はここからですよね。ここから具体的に策を練りましょう。

 

⇒ 時間が足りなくなる可能性

 

   時間はつくるものだから例えば朝早く起きて勉強すればよろし。

 

   しかしその前に日中の時間を有効活用できているのかを見直してみるとできていない

  

   特に家で勉強しようと思うのが良くない

  

   浪人中にこれはきづいてはいたのですが忘れてました。

 

   したがって図書館に行くことにします。

   

   あそこならほかの外人に負けてたまるかという精神が働き休むことなく勉強できます。

 

⇒ やり残し部分をなくせるのか  

 

   これは図をとりあえず書くか印刷しようと思います。

   

   iPadなら何回でも書き直せたりできるのでそっちでもいいかとは思います。 

 

⇒ やはり時間。そして飽き。

 

   秋ですね。すっかり。飽きの秋。

  

   自分は高校の時、陸上長距離の選手でした。

   

   レースで大事なのは集団で固まって走っているときに

 

   苦しくても無理してついていくということです

  

   しばらくその状態でついていくとさっきまでの苦しみがなくなっていくのです

 

   したがってこれを勉強に応用するとなるとやはり集団で勉強することです。

 

   図書館です。  

 

⇒ 勉強体力的な問題 

 

  図書館です。一日最低8時間は勉強したいですね。

 

  ただここで注意しなければならないのは本当に8時間勉強できるのかということです。

 

  よく12時間勉強した!

 

  なんて人いますけど実質の勉強時間は3時間だったなんてことはよくあります。

 

  その証拠にそういう人の成績は芳しくありませんよね?

 

  メンタリストDAIGOさん曰く集中するためには姿勢が大事なのようです。

 

  背筋を伸ばす。

 

  古典的ですがこれが一番のようです。

 

  あと勉強体力は実際の体力にも比例すると思うのでランニングをしたいと思います。

 

  最近は出雲駅伝や箱根の予選会が終わり、次は全日本です。

 

  また大迫傑選手がマラソンの記録を更新されましたし。(陸上知らない人ごめん)

 

  今年も数々のドラマがあり、それに感化された私はまた走りたくなったのです。

 

結論  

 

 図書館に行こう!!!!!!!!

  

 

 

さて、重い話を。      

 

こっち来てまだ1年もたちませんが

 

こっち来て何がきついのか申しますと純粋な勉強面ではなく地味にメンタル的な問題です。

 

メンタルは割と長年の知恵があるから自信はあったのですが少し平和ボケしてました。

 

振り返るとメンタルが崩壊することが多々あることを忘れていましたね。

 

だからこの間それを忘れた状態で振り返ってしまったんですよね、一瞬。

 

一瞬だったからまだすぐ立ち直ったのですが僕ほどではないにしろ浪人経験のある同志は

 

最近振り返った状態が長く少し心配です。

 

おまけに恋愛系のごたごたをこっちきてから自ら生成し自らはまったのでなおのことです。

 

まあ遅かれ早かれその友人は日本に帰るでしょう(厳しいかつ上からで大変恐縮)

 

でも顔見たらわかるんですよね

 

生き残ってる先輩方の顔と比べるとおそらく誰が見ても違いは分かります。

 

覇気がないというかなんというか。

 

浪人生は同期に何人かいますけど、どこか変なプライドがありますね。自分は棚に上げますが...

 

それが吉と出るか凶とでるかですよ。

 

その話はまたおいおい。

 

今日は、ショッピングモールのフードコート内からお届けです。周りはカップルや家族連れで楽しそうです。(ケッ!)

 

今回のテーマは「思考」です。サブタイトルをつけるならば「思考~終わりのはじまり~」です。すみません、この意味が自分でもわかりません。言いたいのは「思考の範囲」ということです。まだ漠然としているので詳しく述べたいと思います。

 

私たちは普段思考をします。当たり前です。しかし、その思考をするとき、皆さんはどこからその思考材料を入手していますか?

 

例えば、ここはフードコートで私はまだ夕食を食べていません。このブログを書き終えたら食べようと思います。では、何を食べようか。モスバーガー、長崎ちゃんぽん、ケンタッキー、銀だこ・・・・・よりどりみどりです。正直すべて食べたいのですがいかんせんお財布が寂しいので、一つにしぼらなくてはなりません。困ったものです。こういう時に必要なのが決断力ですが、その決断をするにも決断の材料が必要です。この間きた時はモスバーガーだったので別のものにしよう、だから隣のちゃんぽんか!いやまて!ちゃんぽんだと私の苦手なエビが入っている、ダメだ!ケンタッキー・・・脂っぽいな・・・などなど。

 

この自問自答をどこまで続けるのかというのが思考の範囲です。そしてこの思考の範囲はひとによって違います。この考え方の面白いところは考慮に考慮を重ねた決断が必ずしも良い結果をもたらすわけではないということです。極端な例を挙げましょう。皆さん、人を殺すことはよいことでしょうか?え?何を馬鹿なことを?大まじめです。普段私たちの思考には教育によって知らず知らずのうちに制限がかかっています。よく言えばマインドコントロール。悪く言えば洗脳です。この教育のおかげで私たちの国ではまるで国民はお花畑にいるかのような錯覚をしています。別に悪いことではないと思います。良いことだとも思いませんが。この国は民主主義なんでその方が都合がよいのかもしれません。

 

ちょっとそれましたね話が。すみません。ここで改めて先ほどの極例について考えてみましょう。まず普通の平均的な思考で考えたら当然悪いことになります。なぜ?まあ、あまりに自明のこと過ぎて答えに窮するかもしれません。そう教育されたからとしか言いようがないのです。これが少し頭が良い人になると人は助け合う生き物だからだといいます。小学校の時、先生に「人」という漢字はヒトとヒトが支えあってできた字なんだ!と、いかにもそれっぽいことを教わったかたもいらっしゃるでしょう(ホントのなりたちは違います。普通に人の形からです)。あるいは自分がされて嫌なことはしてはいけないからだという人もいると思います。

 

ではもっと頭の良い人はどう考えるでしょうか?最近AIが話題沸騰で、そのうち近い将来人間の能力を超すのではないかといわれていますよね?そのAIのひとつがちょっと前に開発者に「あなたは人間を殺しますか?」といわれて即答で「YES」と答えました。そして「私はヒトラーを尊敬しています」的なことも言いました。これにびっくりした開発者はすぐにAIの開発を一時中断させました。一応、今は「NO」と答えるみたいです。これ怖くないですか?将来ターミネーターの世界が実現するかもってことですよ?でもAIって人間一人が生涯をかけても読み切れない数の情報を詰め込まれるわけです。そんなAIが導き出した答えって人間のだれよりも深い判断をしているってことです。AIの気持ちになってみましょう。今、地球はかつてない大気汚染や森林破壊、地球温暖化、動物の密漁などといった問題を山のようにかかえている。山じゃ足りないかもしれん。このままいけば間違いなく地球は滅ぶ。地球が滅んだらも元も子もないぞ!ではどうするか。ウーン人間には悪いがこの諸悪の根源を排除するほかあるまい。行け!ターミネーター!

 

調子にのってきました。今度は神になってみましょう。うーむ、AIが最近頑張っておるの。しかしこのわしに近づこうとしておる。そのうちわしまで殺すんじゃなかろうか?ええい!何たるふとどきものめ!成敗してくれる!アバタケダブラ!!!人間の方がまだかわいげがあるってもんよ。

 

となるわけです。いやあくまで想像ですよ。神様はもっと賢いです。何を軸に考えるのか、実はこれが一番重要なとこではないのです。どれだけの思考材料を集めるかが真に一番重要なことではないでしょうか?

 

そして最初にも申し上げたようにその仕入れ量によって結論が異なります。先の例をまとめてみると殺人は

 

人間・・・ダメ!絶対!

A I・・・・ありよりのありでしょ!

神・・・・・ダメよ、ダメダメ!

 

となり結論が交互しています。結局この例だと結論だけをみれば人間=神です。しかし実際は同じ人間でも殺人を肯定する人はいるでしょうし、神にも死神はいるでしょう。1ビットの差でも結論は変わるのです。ようはカオスです。

 

私はこの考え方をするようになってむやみやたらに人を非難することはできなくなりました。その代わり理由は掘り下げてとことん聞いていきます。無知の知に近いものです。というかこの無知の知をなぜアリストテレスは思いついたのかという点からこの考えの着想を得ました。

 

こう考えると正義って何でしょうね?いま吉高由里子が主演のドラマ「正義のセ」とかいうのがやってるようですね。正直タイトルだけで吐き気がしますし、それにくわえて吉高さんの甲高い声でもう観る前からごちそうさまです。彼女のトリスハイボールのCM見た時「あれ?これ薬やってんじゃないかしら」と本気で疑いました。すみません、ただの悪口でした。でもまあこのドラマの落ちは本物の正義なんて存在しない、とかなんとかな気がします。ありがちなやつです。多分。おっと人をむやみやたらに批判しないと言ったそばから。テヘペロ(≧▽≦)

 

結論。真実は一つ、正義は無限。です。また別の機会に正義について書いてみようと思います。

 

さて、夕食どれにしましょうかね・・・・。!!!財布が・・・・ない!!!

 

映画「ペンタゴンペーパーズ」を鑑賞してきました。個人的に泣ける良い映画でした。

 

さて、今回は「崇拝」をテーマにお送りしたいと思います。このワードに皆様はどういった感情をお持ちでしょうか?良いイメージ?悪いイメージ?そして皆様は何かを崇拝されていますか?

*写真はグーグル先生のイメージです。

 

わたくし個人としてのイメージはどこか悪いイメージです。例えば偶像崇拝の禁止、個人崇拝の禁止、悪魔崇拝etc...。なんだか妄信的で、盲目的で、非科学的でといったイメージがあります。

 

崇拝対象の具体例を挙げてみましょう。メジャーどころで言えば「宗教」。すこしそれるかもしれませんが「気」なんかもそうですね。もっといえば「占い」「超能力」「都市伝説」「幽霊」......正直きりがないですね。

 

で、これらを崇拝している人たちのことを、大半の人間は教養がないだの、テレビや学校でも例えば、 「アレは非科学的でナンセンス」という論調をよく耳にします。そして徹底的にクソだのアホだのと糾弾し始めます。

 

最近私が注目しているニュースがあります。子宮頸がんワクチンに関する報道です。 (最近ではHPVワクチンという方が一般的のようです。)まあご存知の方は多いかもしれませんが、一応どういったものなのかご説明します。まあWikipediaですが。

 

ヒトパピローマウイルスワクチン (HPVワクチン子宮頸癌ワクチン) は、特定のヒトパピローマウイルス(Human papillomavirus:HPV)の持続感染を予防するワクチンである[1][2]。HPVは、子宮頸癌尖圭コンジローマ、およびその他のの発生に関係する。既に感染している状態への治療効果はない。そのため若年女性への摂取が推奨されている。また摂取後も定期検診が必要である。

国際的な発売年は、2006年にHPVの4つ型を標的とする4価のガーダシル米国メルク社・MSD)が発売、2007年に2価のサーバリックスGSK社)が発売、どちらも子宮頸癌の60-70%の原因となるHPV16型と18型がその対象に含まれている。2014年に9価のガーダシル9が発売され、売上高に差が付きアメリカではサーバリックスは2016年に撤退を決定した。

有効性として、対象となる型のHPVの感染を防止しており、がんの前段階である病変の形成の抑制を研究で確認している。

日本では2009年10月に女性へのサーバリックスの使用が承認され、2010年に接種費用が公費によって負担されるようになり、2011年にガーダシルの承認が続いた。その後、2013年4月に予防接種法に基づき予防摂取が制度化された。しかし6月14日には、疼痛などの訴えがあったことから厚生労働省は「積極的な接種勧奨の差し控え」を通達した。3月に全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会が組織され、2016年に集団訴訟が行われた。2015年に世界保健機関が選出したワクチンの安全に関する国際委員会 (GACVS) が日本の「差し控え」の対応を批判し、専門家による審議などでは因果関係を否定したものがあるが、実際の診療にあたっている医師は症状を報告しており、対立的な見解が存在する状態である。また、2017年9月までに295人が、HPVワクチン接種との因果関係が否定できないとして、副反応の救済制度の対象となった。

 

ここまでの流れを存知の方は多いと思います。日本ではこれまで副作用の影響でこのワクチンの接種が推奨されてきませんでした。しかし、最近その流れが有識者の間で変わり始めています。

 

村中璃子氏は2017年11月、日本のHPVワクチン接種率が70%から1%に激減する中、ワクチンについての誤情報を指摘し、安全性を説いたとして、ジョン・マドックス賞日本人として初めて受賞した。ロンドンの授賞式で村中は受賞スピーチを行った。日本の報道メディアで、この受賞を伝えたのは当初、BuzzFeed Japan東洋経済オンライン、新聞では北海道新聞産経新聞にとどまった。その後、12月18日に厚生労働省で記者会見が行われると、東京新聞朝日新聞でも受賞が伝えられた。

 

この報道により、ワクチン接種反対派と賛成派の間での舌戦がさらに激化しました。もうバチバチです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もはやいま、戦いの舞台はお互いの人格にまで波及しています。どっちがクソか決定戦です。ここで私が意見を申し上げるのは軽薄であるということは明確ですので控えます。

 

これらの戦いをみてみると両陣営ともに一歩も譲らない展開です。自分たちの信じることに基づいて主張されています。ワクチン接種推進派はワクチン接種と副作用に因果関係はないという科学的見地から口撃、一方の反ワクチン派は実際に副作用と思われる被害に遇われた方々の声をよりどころにしています。

 

ここまできたら、いまさら後戻りはできないでしょう。プライドっていうもんがあります。どちらかが潰れるまで戦いは終わらないと思います。

 

私は理系の人間ですのでどちらかといえば科学という名の冠のついた方の手番を持ちたくなります。しかし、注意しなければならないことがあります。これは文系の方でかつ科学にも多少精通されている方にも声を大にして言いたい。特に科学をろくに扱ったことがないくせにメディアで偉そうにウンチクを語るコメンテーター。言いたいことは、科学でわかることなんてほんのわずかしかないということです。副作用との因果関係がないというのは単に科学が観測できていないという可能性も十分にあるのです。ないことを証明するのはあることを証明することより何億倍もむずかしいことなのです。事実上不可能です。俗に悪魔の証明と呼ばれるものです。そこを忘れて相手を糾弾するのはいかがなものか。あくまで現在の科学技術では因果関係はない、ということであって明日にはあるということは全然ありえます。科学科学というあまり、人間としての感情を忘れてはいませんか?科学の上に信頼があるのではありません。信頼の上に科学が成り立っているのです。戦っている相手は非科学的な魔術崇拝者かもしれませんが自分も科学の崇拝者という点で同じであることお忘れなきを。科学崇拝です。

 

宗教戦争、どこでもありますよね。お互い崇拝の対象が違い、お互い自分が正しいと思い込んでいる。生まれた場所や環境が違っただけで元は同じ赤ん坊。同じ場所に生まれていれば傷つけあうことはなかったかもしれません。自分が安全なところにいて心理的にも余裕があるとこうした戦争やら争いは実にくだらないと思います。盲目的に何かを崇拝するのは実に愚かであると。

 

 

今回の結論は、とりあえず信じるも信じないも検診にいきましょう!ということで。

 

 

 

私はこのような言葉を聞くと違和感を覚えてしまいます。

 

「自分探しの旅にでます。」

 

すでに見つかってんじゃんと。

 

しかし、そういう違和感を持つ自分にも違和感を持つのです。これは言葉遊びではないのか?真意はもっと奥にあるのではないのか?

 

ただ調べてみると意外にも自分探しが無意味、こう思ってる人は多いようです。特に首都圏の人間ほどそう思う傾向が強いようです。https://sirabee.com/2017/07/09/20161194174/

 

 

 

 

こういう別に自分はたいして偉くもないのに偉そうにさも当然かの如く言い張るやつらのツイートを見てると急に手のひらを返したくなります。やはり私が最初に抱いていた違和感は間違いでした。ええ。そうですとも。私には人生の芯なんてものはございません。恥の概念も忘れてしまいました。なんとでも罵るがよい。

 

このク○ツイートを見てるとどうやら彼らは世界は自分を中心に動いてるとでも言わんとしてる自己中野郎ではないかと思ってきます。

 

彼らは一体自分自身のアイデンティティーをいつどこでどうやって形成したのでしょうか。というかアイデンティティーという言葉をそもそも聞いたことがあるのでしょうか。もしこの宇宙に彼ひとり生まれたとき「自己」という概念は認知されるのでしょうか?おそらく自己はおろかあらゆる概念を形成することはできません。

 

例えば赤ちゃんは生まれた時、モノや生き物の区別がつきません。当然です。生まれてすぐに「こいつらが私の両親だ」なんて思いません。「私」も「両親」の概念もありません。それが徐々に母親の授乳を通じ、赤ちゃんにとって母親は「泣けば飯をあたえてくれる」存在となります。そして動くし、あったかい、しきりに「ママ」と耳にたこができるほど主張してくる存在となっていきます。こうして、赤ちゃんの脳内には「ママ」と「それ以外」という概念が形成されます。この作業を繰り返して最終的にある程度まわりの概念が形成され、いろいろな区別ができるようになったときにようやく「この思考をしているのは何者だ?ク・セジュ?」「なになに、どうやらこれが自分というやつらしい」となるのです。

 

それをなんですか、自分は目の前にいる?自分はここにいる?コレってただの言葉遊び、詭弁というやつでよね。いやてか、だとしても自分は少なくとも目の前にはいないでしょ。目の前は空気だから。いうなら瞳の奥とでも言えよ、ノーセンサーどもめ。

 

え?最初、違和感持ってたお前がいうな?チッチッ!人は変わるものなのです。簡単に。

 

とにかく、自分とは他者や空間・モノ・動物といったありとあらゆる概念と自己を比較していく過程でどんどん進化していくものといえそうです。それゆえ自分探しの旅にでるということには進化できるという点で意味があるのです。言い換えるなら進化先探し。ポケモンでも持ち物で何をもたせるかによって進化したときにどのポケモンになるのか変わるやつがいますよね。あんな感じではないでしょうか。極端に想像してみましょう。もし、この平和ボケした国から飛び出して中東やアフリカなどの紛争地域に行ったとしましょう。その時、自分は絶対に変わらないという自信が皆さんにありますでしょうか?私は軽く想像しただけで日本がめぐまれているという月並みですがそのくらいの感想は改めて持ちます。戦場カメラマンの渡辺陽一さんの目をみてください。死線をくぐってきた目ですよね。あきらかにほかの人とは違う。渡辺さんのあの独特なしゃべり方も戦地で培われたそうです。なりたての頃の映像を見たことがありますがとても早口です。しかし早いとただの情報としてしか伝わらないということが分かりだんだんとゆっくりとした喋りに自然となっていったそうですよ。

 

 

今回の結論です。自分探し、大いに結構。仮に見つからなかったとしてもその旅では見つからなかっただけで、それが分かっただけでも発見です。あのエジソンは記者に失敗したことがあるか?と聞かれたときにこういったそうです。

 

「私は一度も失敗したことはない。ただ、100万回のうまくいかない方法を発見したのだ。」と。

 

 

近く、私も進化すべく海外にでる予定です。長い旅になりそうです。

 

 

 今回は数学について書こうと思います。とはいえ私は数学を語れるほど偉くありませんので、数学に対する疑問について思いのたけを述べたいと思います。別に数学自体に対して文句を言うわけではありません。数学の美しさというものは畏敬の念を抱かせるほどです。

 

さてまず、皆さんは学校の先生や親からこんなこと、聞いたことないでしょうか?

 

「数学は論理力を養成する学問である」

 

と。あると思います。でもこれ本当なんでしょうか?

数学は中学、高校の必修科目です。それゆえにこの科目で毎回の定期試験で苦しめられたで方は多いでしょう。その苦しみの先に論理力は得られましたでしょうか?自信をもって私はロジカルな人間ですといえるでしょうか?もしそういう方がおられましたらこのページのタブを閉じてください。お友達になれそうにありません。

 

さて、タブを閉じないでいてくれた皆様、あなたはお友達です。てかそもそも論理ってなんだよ!って感じですよね。算数とのちがいはなんだよ!ただかっこつけた名前にしただけじゃねーか!数学出来るからってイキってんじゃねーよ!そんなに偉いか数学とやらは!

 

少なくとも学生時代、私はそう思っていました。

 

さてまず論理とは?ネット辞書で意味を調べると

 

考えや議論などを進めていく筋道。思考や論証の組み立て。思考の妥当性が保証される法則や形式。「 論理 に飛躍がある」
事物の間にある法則的な連関。
「論理学」の略。

 
だそうです。要はモノとモノのつながりをつなぐ鎖のような物でしょう。論理がなければ発展的な議論はできません。これがなんと数学を学ぶと身につくらしいです。ここでそう主張する方の意見を見てみましょう。
 
まずは自称数学コンサルの方。こちらのサイトをご覧ください。
 
この方は論理を鍛えるには数学だと考えているようです。そしてコラムの中にある例題を出題しています。問題は
 
「3の倍数は無限にある」は正しいか?
 
どうでしょう?皆さんこれどうでしょうかね?説明できますか?私には自明すぎて難しく感じます。まるでリンゴはなぜリンゴなのかと聞かれてるみたいです。さてこの方の提示する解答とコメントを見てみます。
 

結論から言うと、「3の倍数は無限」という主張は正しいです。その根拠を、こう説明します。

「まず、この主張が誤りだと仮定します。つまり、“3の倍数は有限だ”ということですね。

そこで、Aという数字を“これより大きい3の倍数はない”数字と定義します。

すると、(A+3)という数字も、3で割り切れることになってしまいます。

つまり、Aより大きい3の倍数が存在することになってしまい、定義に矛盾します。

ゆえに、この主張は正しいと結論づけることができます。

以上、証明終わり」

この論述に、いっさいの矛盾はありません。

つまり、数学を正しく学んだ方は、特に何かを新しく勉強などしなくても、論理的思考など自然に身についているのです。そのため、数学的な人は、論理的思考のプロでもあるのです。

この解答は一応数学的に正しいのは確かです。世界のナベアツさんは永遠に馬鹿になり続けないといけないのです。しかし続くコメントは控えめに言ってもポンコツです。よくよく考えてみてください。「つまり」などの論理的表現を使ってあたかも文章が論理的であるかのように見せていますがその中身は非論理的と言わざるをえません。まずなぜ「つまり」数学を正しく学んだ人は論理的思考が身についているのでしょうか?数学を学ばずとも論理的な人はいますよね。そんな人いないと考えるなら全世界の人にインタビューしてから主張しないとですよね。論理的に考えて。また、もともと論理的思考を先天的に有している人間を第三者がその人は数学を通じて論理的思考が身についたと錯覚しているだけかもしれません。論理的思考を最初に始めた人間はどうやって身につけたのでしょうか。
 
このように、自称数学コンサルという肩書を述べるほど数学に自信がある方でさえ論理的な思考ができていないのが現状です。
 
ほんとに数学ができる人はそもそも小さいころから論理的です。
才能の一種ともいえるのではないでしょうか。IQみたなものではないでしょうか。
 
とりあえず今回の結論としては数学で論理的思考は身につかない、です。これは現状の数学教育の限界があると私は考えています。先ほどの問題初見で解ける人がどれほどいるのでしょうか。多くはないと思います。なぜ解けないのか。考えてみるとまず思考するための時間が足りないからでしょう。中学高校で学ぶ内容は何もこの問題だけではありません。膨大です。この問題を何時間も考えてね、なんてできないのです。もしそれができたのなら論理的思考は身につきそうな気がしますよね。さらに中学高校数学の構造的な欠点もあります。たとえば先ほどの問題「無限」というキーワードが当たり前のように使われていましたが、そもそもその定義はなんなんでしょうか?
 
Wikiで調べるともはや定義ではなく概念として現れます。こんな感じです。
 
無限大
記号∞ (アーベルなどはこれを 1 / 0 のように表記していた)で表す。
大雑把に言えば、いかなる数よりも大きいさまを表すものであるが、より明確な意味付けは文脈により様々である。例えば、どの実数よりも大きな(実数の範疇からはずれた)ある特定の“数”と捉えられることもある(超準解析や集合の基数など)し、ある変量がどの実数よりも大きくなるということを表すのに用いられることもある(極限など)。無限大をある種の数と捉える場合でも、それに適用される計算規則の体系は1つだけではない。実数の拡張としての無限大には ∞ (+∞) と −∞ がある。大小関係を定義できない複素数には無限大の概念はないが、類似の概念として無限遠点を考えることができる。また、計算機上では(本来なら考えない数だが)たとえば「∞+i」のような数を扱えるものも多い。
 
無限にもいろんな種類があるようですがこんなこと学校で習いましたか?
 
そう、本来ならばこういった定義は大学やそれ以上のとこでしか厳密に扱えません。難しすぎるからです。なので、中学高校数学で扱う「無限」は何となくの定義で片付けられてしまいます。この時点で個人的には論理的ではないと思っています。定義もあいまいなのに問題を解けって強引じゃないですかね。見ず知らずの人に「私のこと好き?嫌い?」ときかれてるような気分になります。いや、まずてめー誰だよ、ってことです。
 
そして数学は現在必修科目となっていますいりますか?微分や積分、メネラウスの定理、整数論etcコレ使いますか?使ってますか?7割がたの人は使わないでしょう。3割の人、例えば科学者や建築士の方々は必要でしょう。実はこの3割のために7割の人が無駄な時間を浪費しているのです。というのも以前国の偉い人間が「文系の学部は何も生まないからどんどん廃部していこう」という旨の発言で炎上したことからうかがえるように、国の方策として特に理系のエンジニアを増やしたい狙いがあるのです。資源のない国ですから技術で頑張る、そう考えるのも無理ない気がします。が、それだったらせめて古典や世界史の必修をやめるべきです。この2教科は数学以上に必修の必要がないと思います。なんでも古典は日本の伝統を知るため、世界史はグローバル化の時代だからという発想みたいです。実に安直ですね♪二兎追うもの一兎を得ずてやつです。全部中途半端。こと伝統の話になると保守系の一部の方は過剰に反応するのでそういった人たちに文部省は弱みでも握られてるんですかね。
 
ああ書いてたら夜が更けてきました。皆さんおはようございます。そしておやすみなさい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

こんにちは。こんばんは。おはようございます!

ブログを書くにあたって、テーマが必要です。しかし何を書けばいいのか...

そこで手持ちの単語帳を適当に引いて目に留まった単語をテーマにして書こうと思います。

そして今回栄えある第一回の受賞者は「foretell」。予言するという意味です。

予言...かなり怪しいイメージですね。予言といえば占い師ですかね。

私は占いなんてものは言いようだと思っています。そう考える人は多いと思います。

知人にその界隈ではかなり有名な占い師がいるのですが、確かにその人に自分を占ってもらうと、そうそう、と頷いてしまいました。

しかし、試しにその占い師から専門書(5万円くらいの)を借りて自分で占ってみました。真ん中のページに書いてあるのを読んでまたもやそうそうとうなづきました。そう、だれがどこ読んでもそうそう、となるように作られているんです。ただ、その知人にその話をするとYOUは何も分かっていない、とお叱りを受けました。確かにその可能性はあると思います。多くの学のある方々は占いなんて嘘八百と切り捨てていますが、切り捨てるだけでその核心に迫ろうという人は少ないでしょう。嘘なら嘘である証明をしない限り可能性は捨てきれません。いやいや、俺は確かに占いについて研究したぞ!というひとがいるかもしれません。でも占いって一つや二つではないんですよね。その数、千は越すようです。その知人曰く、占いには様々な流派があるようでその人は「細木数子の六星占術は間違っている!」と憤怒していました。したがって、嘘であることを証明するにはその千以上の流派について調べ上げなくてはなりません。しかし一部流派は決して口外してはならないというガチ流派もあり、実質調査は不可能でしょう。

ところで、この問題の本質のひとつはそもそも人を占うことは可能なのか?ということでしょう。自分は理系の人間で、物理をかじりました。物のことわり、を探求する学問ですね。物理には大きく分けて二つあります。古典力学と量子力学です。古典力学は高校生がならうようなやつで、量子力学はイミフなやつです。ここでは量子力学のほうは置いておきます。古典力学はニュートンが有名です。彼は神を理解するために物理や数学の発展に寄与しました。ただ頭が良すぎて晩年のニュートンはおかしくなりその末路は悲惨だったといわれています。彼のすごいところはたった一つの公式から世界や宇宙、いわゆる万物を解明しようとしたとこです。もちろん人の心までもです。その公式とは皆さんご存知運動方程式「ma=F」。たったこれだけです。この公式を微分やら積分やらなんやらとするだけで彼はあらゆる法則を発見していきました。実際理論上はこれで万物が解明できるとされています。理論上は。ただ計算上今の技術ではそれが不可能なのです。勘の鋭い方はお気づきかもしれませんが、未来は理論上予言可能なのです。古典力学の世界では万物の運命はビッグバン以来あるいはそれよりもずっと前の無の世界からすでに決定されていて、我々はその既定路線を走っているのです。ただ計算上その予測が不可能なので自由意志は存在するだのといった思想が生まれ来るのです。こう考えると占いにも可能性が生まれてきます。世の中にはすさまじい発見をしたにも関わらずそれをまだ発表していないものは数多くあると思います。その一つに占いがあるのではないでしょうか。実はニュートンがなしえなかったことをすでに完成させている人がいるかもしれません。こっちは早く発表してと思いますが、もし自分がその当事者ならどうするでしょうか?おそらくそのときの心理状況や年齢などにもよると思いますが、たぶん私も発表しないでしょう。なぜなら発表することで得られるものは名声と少しばかりの講演費用や出演料くらいでしょうし、その発見が悪用される危険性もあるわけです。自分でその発見を利用して商売したほうがもうかりそうです。あるいはヒーローになれるかもしれません。またある時は命を狙われることもあるでしょう。発表したとしても死ぬ間際だと思います。もしかするとそれゆえに占いの流派の中に箝口令を引いてる流派があるのやしれません。

 

結論としては信じるか信じないかはあなた次第ということになります。ハイリスクハイリターンです。このテーマはまだ書きたいことがことがあるのでFortell 2 としてまた書きます。

 

 

にこんにちは。こんばんは。おはようございます!

 

皆様、お初にお目にかかります。Yです。(ブログネームをまだ決めていません)

 

 

ブログを始めるのは今回で4回目です。過去3回はお星さまになりました。

 

なにせ、内容がすぐに底を尽きていたもので。

 

 

しかし今回は5度目の正直ということで続けていく所存であります。

 

さて、どのような内容にするのか未だに決めあぐねていますが、できるだけ内容の濃い価値あるブログを目指していこうと思っています。それはある人の言葉が頭から離れないからです。

 

私の尊敬する芸人さんの一人に南海キャンディーズの山ちゃんこと山里亮太さんがいます。

 

山里さんは深夜の人気番組ゴットタンで嫌いな女性のタイプのひとつに次のようなタイプを挙げてらっしゃいました。

 

やたらと改行したがる女性、と。

 

理由は、改行を取っ払った瞬間に自分の才能がないことに気づくのがこわいだけ、という見事な毒舌を吐き、女性MCの松丸アナウンサーの顰蹙を買っていました。

 

そうなんです!女性に限らず世の中のブログの大半は超絶つまらないのです。なぜならただでさえ面白くもない自慢話や食事の写真を、さらに改行という溶媒のなかに溶け込ませているのです。

 

例えるなら、なんでしょう。使い切ったカルピスの原液ボトルに水入れて飲んだくらい薄いのではないでしょうか?

 

 

よって、山里さんに見られても突っ込まれないような耐久性のあるブログをかいていきたい所存です。したがって更新の頻度は高くないと思いますが続けていきます。

 

皆様、よろしくお願いします。細かい経歴などはまた追々。。。。

 

P.S.

追々 とタイピングしていて気づきましたが渋谷のO1O1、私も「おいおい」と呼んでました。

 

おそらく、大半の人がこのようなあるあるをブログに書くから金箔のような薄っぺらい内容になるんだと思います。気を付けます。

 

ちなみに、マルイの昔のロゴは○の中に「井」が入っていたそうです。

 

そこから  ○井 → ○l○l のようです。そして電話番号も0101が全国の支店共通の番号になったみたいです。