もう 3ヶ月前に なってしまったので
自分の中で 時系列が ぐちゃぐちゃに
なってきて ちょっと どの日付か
漠然と してるんですが
思い出すままに。
意識と現実創造のワークショップ一週目
テーマは 『緩む』
そして 「今の自分を まるごと愛する」
身体を抱き締めたり なでなでしたり
声かけしたり
とにかく 自分を愛で
自分が自分に溺愛する、認める
内側に意識を向ける
色々なワークを してました
そんな中出てきた話で
目から鱗だったのは
『感情は マトリックス』
感情に名前をつけて しまうことで
感情の放つエネルギーから
分断されてしまった
本来 感情はエネルギーの周波数
悲しみや寂しさと言われている
感情の振動は 瞑想や
ワンネスを感じてる時と同じ振動
色で例えるなら 青や紫
怒りは、情熱や勇気と同じ振動
色は 赤
本来、悲しみや寂しさは 言葉付け
されなければ
怒りも言葉付けされなければ
存在しなかった
ただ ただ 自分の中で起こる 振動
だから、瞑想やワンネスを感じれば
悲しみや寂しさは消えるし
何かに 情熱を燃やせば
怒りを起こしてる振動は 昇華される
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話しは 少しずれるかも知れませんが
富士山🗻を見て
『富士山だ』って 思うのは
そこに その名前をつけたからだし
その名前を知ってるから
知らなければ(その概念がなければ)
ただの山か、地面が盛り上がってる
地面のひとつの在り方
もっとズームを引けば
地球の一部
人は言葉を持つことで
分離の世界に
入るように なり
自分とそれ以外を
認識するように なった
でも 最初から 分離は
実は なかった
ただ 言葉で
そのイリュージョンを
見ている![]()
別のところで 聞いた話ですが
感情を辛いとか 嬉しいとか
強く感じてしまうのは
肉体でそれを その振動を 感じてしまうから
だそうで
私 アシュタンガヨガを してるんですが
我が師匠が 良く言うのは
「痛みは やって来て さって行く」
痛みは 変遷していく
ヨガは ただ それを観る
良いも悪いもない
もしくは 師匠の師匠曰く
「痛みはオープニング」
この先に気付きがある
だから、痛みは恐れるものではない
喜ばしこと
深いんです
ものを観る視点が
どこにあるか で
見える世界が 変わる
痛みに注目すれば 何とかしなければ と
エゴが騒ぐ
痛みがもたらすものに 注目すれば
自分との対話が始まる
同じ現象だけど
そこで 何に意識を向けるかで
観ている世界が
まるっきり 変わるんですよ ね
それが この世界を 生きる
面白み 醍醐味なんですよね![]()
