ゴヴィンダWS 2019年5月3日 | にぼしブログ

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心とまる出来事を ブログに
書き留めてます^ ^;
あなたの心にも 響けば
うれしいです

いい 一日を‼︎

2017年冬 開催された ヨガ講師養成講座で
一緒に学んだキラキラ仲間キラキラ

同講座の名物講師 
アシュタンガ ヨガの certified teacher
GOVINDA KAI 先生ラブラブの 

5月3日のWSに参加し
講義内容を シェアしてくれました




《超ー くそまじめな コトを 書きます
    閲覧注意
    読むも 読まないも 
    貴方の ご判断に委ねます》




その内容が 頭から 離れません

師曰く
私たちが 生きることを 理解していない

   その理解していない大人が
    不安感、恐れを使って子供を育てている。

    自分のダメな所は直さなくてはいけない
    というマントラを使って。』

ゴヴィンダ は よく
5歳児に学べ と 言います

年齢が重要なのでは無く

社会的通念 常識 思い込み
それらから 自由な 
まだ 何も 制約されてない
そういう魂の在り方をしている
存在に 学べと

ゴヴィンダだけで無く 
ヨガの世界では 
子供のあり方は お手本

彼らは 世界を 色付きメガネで見ず
何のジャッジもない目で 
観察する存在だから

子供たちは 幼いのではない
穢れていないだけ

社会の渦に 巻き込まれていない存在
本来の人間のあるべき姿 表現をする存在

この消費社会は 
人の持つ恐れに訴えかける 商売が
ごまんとある




保険 消毒スプレー 芳香剤 
化粧品 デオドラント ダイエット商品 
早期教育 塾 予防接種 病院 薬💊etc

本当に 我々のことを 心配してくれているのか
それとも 不安にさせて お金儲けをしているのか

もし 本当に 心配してくれているのであれば
保険や 備えは 要らなくて

その時 持てる人が 持たざる人に
手を差し伸べる
それで 済む

本来 未来は 予測不可

それに 備えるより 

だからこそ 助け合いの社会が 出来てれば
それで うまく 行くのでは ないだろうか?

手を差し伸べてもらえない
なんて 誰が 決めたんだろう?

助けてもらう事が 迷惑
なんて 本当なのだろうか?

師いわく
『なぜ 出来ないに気を取られている 
なぜ 出来る
意識を向けないのか?』

(子供の頃 親が 子供の出来ることを増やしたくて
ついつい 出来てないコトを 探し 指摘しがち

その思考が無垢な子供に 植えつけられる)

人は 何のために 
この世に 生を受けたのだろうか

なぜ不安になるのだろう
なぜ恐れてしまうのだろう

なぜ お金に 踊らされるのだろう

制約と思っているものは
実は 制約では無くて

(ジュース屋さん↑  マニラに自販機はほぼ皆無)

自分で 制約だと思い込んでいるだけ

それは 幼い頃から
親が良かれと思って
教え込んだから

社会が 統制ある 
管理しやすいものになりたくて
刷り込まされただけ

(ビリヤード🎱も ゲームのルール通りしない 
  彼らにとって面白いが ルール 面白いが全て!)

結果的に 気づかずに
自分で自分を 縛っている

それに気づき それを外すのは 自分

赤ちゃんの頃 何もできないのに
安心感に包んでもらい 育ててもらった
そういう世界があることを
肌身に感じ生きてきた

多くの 誰しもが 一度は 経験している

いつから 世界は 不安で
闘う対象に なったのだろう


この世は 見たいものしか 見えない
無意識であれ 信じているものの 答え合わせ

一寸先は闇 であれば 
闇な出来事を 探して
「ほら ね」

人生塞翁が馬 であれば
ドンデン返しを 探して
「ほら ね」

強く 信じているコトの方が 勝つ
無意識 意識的に 区別なく
自分の信じた世界を 生きていけば
世界は 変わる

今すぐにでは無くても 必ず 変わる