シリーズ最後になります。
3番目のご紹介は「施しについて」です。
実は、①~③でご紹介する3編の詩は、順不同ですがこの詩集の最初の3編なんです。
一応、最後まで読みましたよ?笑 でも、私が理解・共感できたのは、冒頭に偏っていたということ。
この詩集は、人生についてを預言者が語る形で書かれているので、冒頭にしか共感できていないということが何を意味するかと言うと、私の人生には、まだまだ、理解できてないことが沢山ある、人生の序の口の悩みしか理解できていないということなのだと思います。未熟な自分を思い知ります。だから、携帯版の小さな本で、何度も折に触れて読みたくなる・・・・・そんな読者のリクエストは納得がいきます。昨日読んだPKみたいに、2度目読むとわかることが増えるかもしれないし、考察サイトを読むと理解が深まるかもしれない‥‥そんな気になります。
これ、定価850円って背表紙に書いてあるけど、今はもっと高いんだろうなぁ・・・。💦
そもそも、この出版社、まだあるのかな?と思って調べたら、なんと娘に読んでいた絵本が沢山ヒット! 「あおくんときいろちゃん」とか、いもとようこさんの絵本とか、たくさんお世話になってた~~!! 懐かしい~!
と、思い出に浸ったところで、もう1節ご紹介。
先に書いておくと、この詩は①、②でご紹介したのと違って、完全に理解しきれてないです。ただ、私の心に触れたところをご紹介します。詳しくは本編を読んでください。27ページです。
自分の持ち物を施したところで、施せるのは結局わずかです。
自分自身を施してこそ、真実施したことになります。
あなた方の持ち物、それは明日への慮りで蓄え込んだもの。
明日? 賢すぎる犬に明日が何かを与えますか。今日、跡も残らぬ土のなかに骨を咥え込んでも、明日は聖なる町を目指す巡礼たちについて行くことになるのに。
窮乏を恐れるというそのことが、つまり窮乏なのではありませんか。
水の流れている井戸がありながら、なお渇くことを恐れているなら、その渇きは結局癒されることはないのです。
沢山持っていながら、少しだけ施すひとがいます。それも、ひとの評価をを求めて。その贈り物は腐ります。そこに隠れている欲望で。
少ししか持たず、しかもすべてを施すひとがいます。
生命とその恵みを信じているので、彼の財布が空になることはありません。
喜びをもって施すひとがいます。その喜びがかれの報いです。
苦しんで施すひとがいます。その苦しみがかれの洗礼(きよめ)。
施しても苦しむことなく、喜びも求めず、徳の何かをさえ思わない人がいます。
そういうひとは、かなたの谷の香木ギンバイカがその香りをあたりに撒き散らすように施す。
こういうひとの手を通してこそ、神は語りかけ、こういうひとの目を通してこそ、神は大地に微笑みかけるのです。
(以下略)
私はマダマダこの境地には達することができません。水の流れている井戸が、いつ枯渇するかと、恐れてしまうのです。それでいて、苦しんで施して洗礼を得ることもできません。
それでも、いつか「香木ギンバイカがその香りをあたりに撒き散らすように施す」ことができるようになるといいな、と思います。見返りを求めるのではなく、香りだけを残すって、素敵な表現だな、と思います。草花の美しさや香りは、生きているただそれだけで、私たちに癒しと施しを与えてくれているんですよね。
やっぱり、何度も読んでみたい詩集です。
今回、こうやって本を見ながらタイプアウトするだけでも、普通にサラッと読むよりも染み入るものがありました。
写経をするように、ノートに書き写すのも良いのかもしれません。