これは、ヘビーな社会派小説。

でも、他者理解という点で、十分、小中学生が読める話。

 

テロを起こす側、起こされる側、中流家庭、その専業主婦、ワーキングプア、シングルマザー・・・・様々な視点から書かれているので、ある意味、バランスが良い。おそらく、筆者も、そのあたりで政治的な「色」がつかないように苦慮したのではないかと思われる。

 

 

2014年に出版された本なので、今から10年前に書かれた本。

秋葉原通り魔事件が2008年だったので、そのあたりから、構想があったのかもしれない。

でも、2024年現在読んでも、2022年安倍元首相狙撃事件を思い起こさせる。

つまり、残念ながら、テロは出版から10年たっても無くなることがない。

 

付和雷同する日本人、義憤から人を不必要なまでに攻撃する日本人、知り合いには優しくても他人に冷たい日本人。

「保育園落ちた日本死ね」は2016年のこと。あれから日本は頑張って保育所を増やしたけれど、今は自分の育児休業給付金を得るためにわざと落選目的で「保育園落ちた」として、育休を延長、自宅で子どもを(喜んで)育てる人がが多くいるらしく、政府も本腰を上げるとか。会社としても、戻ってくると思って人員計画を立てているのに、がっかりですよね。隔世の感です。

 

本書がバランスが良いと感じたのは、ワーキングプア側からしばしば上る北欧型高福祉政策について、「政府による税金の使い道への信頼があってこそ」と切り捨てるシーンや、ブータン型の幸福追求については、「情報が入れば人はより豊かな生活を求め、競争社会となる」と糾弾し、「みんなが等しく貧乏な社会」への追求を揶揄するシーンが盛り込まれていること。

 

オチとしては、憎しみは憎しみしか生まないから、どこかでその連鎖を止めなければならないという、至って崇高かつ理想的なところで終わるわけですが、日本人が毎年年末に忠臣蔵を見て義憤に燃えた赤穂浪士に肩入れするのをみると、なかなかどうして・・・・。

 

人をそそのかし、テロリストの黒幕に育て、自分と同じハンドルネームを名乗らせ、ねずみ講的に増やすというそのやり方は、巧妙であり、それに引っかかるのが高学歴で普通の生活を営むエリートサラリーマンという構図が、なかなか興味深い。そして、そいつらにそそのかされたワーキングプアがテロを起こす。実行犯と黒幕が別というのは、今の高齢者詐欺のスタイルともよく似ている。

 

バブル期に短大を卒業して大企業に一般職で採用され、今は専業主婦をしているという女の話が、一番読んでいて腹正しく感じたけれど、果たして、彼女が息子に対して思う「社会が二極化されているのなら、恵まれている方に入らないとね」というセリフを誰が否定することをできようか?

 

読む人の社会的立場や、受けてきた教育、経験値、年齢によって、感想はまちまちかもしれない。

この国を、どうやったら住みやすく、未来に希望の持てる国にしていけるのか。

私は20代で社会に出てからずっと「失われた30年」を生きてきたわけだけど、この30年はなんだったのか。正規雇用が減り、派遣社員や契約社員だらけの今の日本を作ったのは誰? 人口動態なんて予測がつくのに少子化対策を真面目に考えなかったのは誰? 頑張って働いても、その半分を持って行かれる税金の使途は?? その責任の一端は、すでに私の世代にあるのかと思うと、一体我々は何をしてきたのだろう?と思う。何か変える努力をしてきたのか、できたのか? もちろん、それがテロなんかであってはならないけれど・・・・。