10年近く前に,ドラマをきっかけに韓国語にハマり,以降,時にはガチに,
時には緩ーく,韓国語の学習をしてきました。
本業とは全く関係ないので,本当に「趣味」です。
当初の目標は「韓国ドラマを字幕なしで見ること。」。
今の最終目標は「自分の日本語と同じレベルで聞いたり,話したりできること。」。
今年に入って,それまで1年ほど続けていた韓国語の会話サークルがメンバーの
都合が合わなくなって,解散になってしまってからは,月に2回,個人レッスンを受けているだけで,
今までにない「ユルユル」状態。今もその状態が続いています。
さすがにそろそろヤバいかもです。特に,読んだり,書いたり,は。
検定試験(TOPIKの方です。)も最上級まで何とか取れているので,それは維持したいし,
まだ,最終目標はもちろん,当初の目標にも達してはいないので,一歩ずつでもマスターへの道を歩みたいと思っています。
勉強のスタイルとしては,いろいろあるのですが,私の場合は,教科書的なものをそれなりに
きっちりやって,検定試験で確認というスタイルを取ってきており,それが結局のところ,
私には合っていたなと思います。(いわゆる,学校でのお勉強スタイルです。)。
「学校的お勉強モード」にして,理屈から入り,自らを「やった気にさせる」ことが合っていたのだと思います。
中には「耳コピ」でないとムリとか,ドラマのセリフとかから表現を学ぶことが中心という方もいらっしゃると思い
ます。私の場合は,「耳コピ」はムリ,ドラマのセリフだと,「なぜ,そのように言うのか。」が気になって頭に入らない,というタイプだったたけ。
そもそも,本来,勉強は,その方法という点で,「目的に則して効率的,効果的か。」という問題はあるものの,「善悪」や「望ましい,けしからん」はないのです。学校でする勉強,学校で学んだ勉強の方法というのは,方法の一つに過ぎません。
ましてや,オトナの勉強で,かつ特に外から成果を求められるモノでないなら,好きにやったらいいと思うのです。
しかし,自分で「ペラペラになりたい。」,「検定試験に合格したい。」,「あの人よりうまくなりたい。」等のヤボーがあるのなら,
それはそれで,腹をくくって,苦い薬も飲む,気が進まないトレーニングもするということも必要になってくるかもです。
そうしたら,もう「やる」ことを前提に,成果を上げるためにどのように工夫するかというふうになりますね。これは仕方がない。
(受験勉強も同じですわ。)
もっとも,中には「勉強」が「食事」みたいなもので,それを取り上げられたら,死んでしまいそうな人というのも
おるにはおるのです。しかし,そういう人がいつもときめいていたかというと,全然そうではなくて,焚書坑儒という事件が示すとおり,世が世なら,こういう類の人は大変な苦難を味わったことでしょう。
だから,勉強なんて,実は「たかが」なんですよ。英語を「敵国語」だといって,排除していたのはいつのことでしたっけ???
さて,話を戻しますと。私の場合・・・,韓国語の現状は次のとおりです。
そうやっているうちに,聞き取れなくても,下手に焦らなくなったり,
言いたいことも何とか伝えられるようにはなりつつあります。
今もドラマは字幕がないと楽しむことはできませんが,字幕とセリフのズレはだいたいわかるようになっていて,
そういう点で,「韓国語らしさ」を味わえるようになってきたかなというとこです。
結局,馴れたというか,心臓に毛が生えたというか,「やっぱ,そんな簡単じゃないよね」と開き直れているというか(爆)。
あと,人生が5回くらい訪れたら,最終目標に達することができるかも,なんて思っております。