「日本は民主主義だ」という。しかし、民意で政治家を選出するが、実際に日本を動かしているのは、官僚であったり、大手企業であったりする。
「企業は株主のものだ」という。法律的にはそのとおりだ。企業活動はリスクがあるので、リスクマネーである株式がなければ成長を維持することはできない。しかし、株主側からすれば大事な資金がリスクにさらされる以上の責任を負わされてはたまらない。そのために有限責任となって、投下した資金以上の責任は負わなくて良いこととなっている。また、残余利益(当期純利益)しか手に入らない最弱のポジションにいるため、議決権をもって役員を選定できるというのが建付けだ。
理論的にはそのとおり。しかし、今回の東電の事故について考えさせられる。
以前の日記にも書いたが、多くの機関投資家は街の一等地に陣取り、見晴らしの良いビルで働いている。仮に東電に投資し、株価が暴落しても、その株式を引き上げさえすれば、投資金額の範囲内の損失を被るだけだ。一方、福島原発の従業員や地域住民はどうなのか。自分のみならず家族の生命まで奪われるという状態だ。地域の住民の方々には全く責任はない。しかし、その被害は財産のみならず生命にまで及んでしまう。
法律的な建付けと現実の動きは異なる。企業は株主を中心に考えてよいのだろうか。
株主へのリターンを最大化するのであれば、保守費用を低減させ、更新を伸ばし、利益を最大化することが企業の使命だ。しかし、その企業の周辺には、何のつながりを持っていなくとも、大きな影響を受ける人々がいる。もし、このことを理解していていれば、福島原発への早期の対策や更新などもあり得たのではないか。
欧米流の「株主利益最大化」が日本では弱いと喧伝されるが、やはり企業は社会の構成員であることを忘れてはならない。このことを今回の東電事故は思い知らせたのだと思う。