昨年大ブレイクした

「天気の子」の挿入歌

「大丈夫」の歌詞の一部から

タイトルをいただきました。

 

映画の中では、かわいい女の子が

本当に

「世界」をその肩にのっけている

お話でした。

 

が、多分、

この曲に救われているのは

もっと小さな、けれど確かにこの世の中にある

「世界」を背負っている

たくさんの人なんだろうな、と

この曲を聴きながら、感じるのです。

 

みんな、自分が背負っている

「世界」のことを、

誰かにわかってほしいと思っている。

 

自分が一生懸命に守っている

「世界」がとても尊くて

大事で

失いたくないから、

全力で頑張っていることを

きっと

誰かにわかってほしいのだと思う。

 

この曲の中で

「君」はきっと女性だから、

女性という前提で話すけれど、

女性が守っている「世界」というものは

とても、もろく、壊れやすいことが多いと思う。

 

「家庭」というものが

「家」という建物の中に

「家具」「キッチン」「トイレ」「ベッド」といった

生活に必要なものと

「パソコン」「ふかふかのそふぁ」「テレビ」といった

生活に潤いを与えるものと

その場所に暮らす人間、とで

構成されているとするならば

それを、揃えることは、きっと難しくは、ないのだ。

 

けれど、「家庭を守る」ということは

トイレットペーパーを切らさないこと

床に落ちた髪の毛を除去すること

おいしいご飯を作る事

温かいお風呂を沸かすこと

それだけにとどまらないことが多いのだ。

 

言わずもがな、

上記の事だって、めちゃくちゃ大変なのである。

トイレットペーパーを切らさないことは

経費発注だし

床に落ちた髪の毛の除去は

清掃作業だし

おいしいご飯を作る事は

調理業務である。

立派な仕事なのだ。

 

だが、それだけが家庭では、ない。

 

それに加えて、

温かい雰囲気の暮らしがしたいじゃないか。

 

そう、思う人たちは、

「構成員のみんなが、ちゃんと笑顔でいるか」

「疲れていないか」

「どこかを怪我していないか」

「何か悩みごとがあるのではないか」

と、いうことに、気を配る。

 

「温かい家庭」というものを、守りたい世界とするならば

人間の努力というのは、とてもとても微力だ。

 

天災なんて、大きな力がなくっても、

仕事でいきちがいがあっただけで

誰かの機嫌が悪くなって

それが家庭の中に黒い染みを作るかもしれない。

 

最大限の努力をしても

病気はどこかからやってきて、

いや、年月というものだって、

構成員の健康や、そして命を

容赦なく奪っていく。

 

壊れるときは一瞬で崩壊するのに、

それを作り上げるまでに、恐ろしいまでの

時間と手間と意志とがかかっている。

 

家、というものだけでは、もちろんない。

「働きやすい職場」というものを

維持しよう、と思って尽力するときだって

同じだ。

 

上手い事、みんなが動けるようにと

それこそ

経費発注・清掃・プリンターのインクの交換

その他もろもろをやって、それでも

「普通の職場」ができている、だけに

見える。

 

「世界」を肩にのっけている女性、

というフレーズで

いろんな職場の、

「もろもろの雑務」を

笑いながらこなしている女性を

思い出す。

こういう作業は、実際

まだまだ女性がやっていることが多いものだ。

 

この曲は

「『大丈夫?』ってさ、君が気づいてさ、」と続く。

「崩れそうなのは、君なのに」と。

 

崩れそうな状態で、それでも

笑いながら他人を気遣っているひと、というのが

いろんな小さな世界を、肩にのっけて

生きている。

 

そして、それは

女性だけでも、ないよね、というのも

もちろんわかっているつもりである。

 

「どうしてオレがここまでせなあかんねん」と

言いたいだろう状態で

(ぶっちゃけ実際に言っているのを聞いたこともある)

ちいさな世界を肩にのっけた人たちを

何人もオレは背負っている、と

知りながら仕事をしている

中間管理職さんがいることも

わかっている。

 

さて、

この映画のテーマソングといって過言ではない

「愛にできることはまだあるかい」

は、

たぶん、そんな、崩れそうになっているひとを

助けたい、無力な誰か、からの

メッセージじゃないかと、思っている。

 

「愛にできることは、まだある」

 

はずなのだ。

 

今、崩れそうなだれかに

手を、差し伸べたいと思っている

「愛」が

ある。

 

と、私は、思っている。