こんちくしょう、と思うような
自分ではどうもできない
世界のルールがあるよね、と思います。
例えば
「自分が生まれた地域によって、自分の常識が決まってくる」とか、
「顔の造形がよいと、みんなからちやほやされる」とか、
「仕事のできより、人当たりのほうが出世に影響する」とか、
ね。
で、例えば、
自分が家庭環境のせいでやりたいことをあきらめた時
周囲の仲間が家庭環境に恵まれて
やりたいことをやりたいようにやらせてもらっているとき
「生まれた場所によって、できることに差ができるなんで
不平等だ。
本当なら、あいつ以上に
俺は結果を出せたのに」と
「あいつ」の足を引っ張ってやりたいと
思うことが、あります。
むしろ、
それは自分の正当な権利なのじゃないか、と
思い込んでしまうことすら、あります。
しかしそれは危険な発想なのだ、と
逆の立場になると、わかるわけです。
今ここで、戦火の中で生まれた人が、
いきなりどこでもドアでやってきて
「生まれた場所によって、できることに差ができるなんて
不平等だ。
本当なら、お前以上に
俺は結果を出せたのに」と、
言いながら棍棒を握りしめていたら
恐怖でしょう。
そして、その状況で
私ならこう言うと思うんです。
「そんなことを私に言われたって困る。
貴方の境遇は確かに悲惨だと思うし
改善されるべきだと思うし、
貴方が救われてほしいと思うけれど、
だからといって、私の幸せが
貴方によって害される必要はないはずだ」
と。
ええ、
「あいつ」の足を引っ張ったときの感想は
多分これと大差ない。
そんなもの。
私だって、
「生まれた場所によって、できることに
差がある」というルールによって
得をしている。
ぶっちゃけ、世界全体のひとたちからみたら
そうとう得をしているはず、です。
「こんなルールは不平等だ」と言いつつ、
そのルールが撤廃されたら、
自分が一番最初に脱落する、
そんなルールに喧嘩を売ってしまっている。
自分が得てしまっている、大きなアドバンテージは見えず
誰かが得ている、自分より少し多めなアドバンテージに
怒りを感じる。
誰かに
「お前はずるい」と言ったとき
自分の中に、
「自分以上に得をしている人間には
ずるいといってよい」というルールを
取り込む、ということになります。
それはすなわち、
自分の後ろに
「お前はずるい」と言ってよい
数億の人間を取り込むことと同義です。
誰かの足を引っ張ったとき
自分の足は引っ張られてよいものになります。
と、考えると
自分が心の中で喧嘩を売ったルールというのに
守られているんじゃないか
そのルールがないと、自分は
多分いまここで生きていられないな、と
思ったりするのです