また変なことを前回は長々と語ったぜ(笑)。
前回は「私が本を読むのは、いろんな人がいろんな考え方してるよね」ってことを
自分の中に落とし込むためだ、ってことを書いたけれど、
ほんとはこっちのほうが本来の目的だ、っていう読み方が、ある。
……というか「キャラクターが好きだ」というのは、こっちの読み方だと思ってる。
「キャラクターの中に、自分を見る」というやつ。
何かを好きになる、というのは「自分の欠片」がそこにあるから、なんだよね。
優しい人は、優しい人の優しさが美しいと感じるし、
潔い人は、潔い人の潔さを素敵だと感じるものなんだ。
「ワンピースの、ウソップが好きなんだけど、周りの人が誰も賛同してくれない」
っていう投稿が昔アニメ雑誌にあったけれど、
ウソップの中に、優しさを見つけたその人は、
「自分を直視して、一歩進む」っていう
強さを持っている人なんだ、と思った。
うん、そして、
「なぜか知らないけれどものすごく惹かれる人」が出てくるマンガやアニメや
まあ物語全般を……
否定されるのってすごくつらいんだ。
それは、きっと
自分自身とふかく結びついた部分を否定されるような、
そんな気がするからだろう。
「え、そんな好きなんだ?」とか、たったそれだけの言葉で、
勝手に心の奥深くが傷つくような気さえ、してしまう。
もしも、自分の好きなキャラクターを、思い切り話せる場があるなら、
そこでどの瞬間が、どの言葉が、何がどのように好きなのか、
話しておくのはとても大事だ、と思っている。
自分の強みを知るとか、そういうことに利用できることも確かなんだけれど
それ以前に、それをするだけで、ただ、
自分が好きになれる。
自分の好きなものを語るとき、その一部は、
自分に向けられているのだと、頭が解釈するのだろう。
「この人の細やかな優しさが好きだ」
「この人の潔さが好きだ」
「この人の決断力が好きだ」
「この人の笑顔が好きだ」
何でもいい。
ぶっちゃけ
「何かわからないけれどものすごく好きだ」
でもいいとさえ思っている。
だから「物語を読む」のはなぜか、
に対する答えは
「好きなものを見つけるため」
そして、
「自分を好きになるため」となる。
正直、自分が好きなものが、一般からずれていることは昔から知っていたが、
それが受け入れられた瞬間、ああ、生きていてよかったのだ、と
それに似た感動があったことを覚えている。
だから、私は、
「好きなものは好きでいようぜ」と
言いたいのだと思う。
受け入れられない人はいると思うし、それが自分に近い人だと
結構傷つくが、
受け入れてくれる人はきっといると、
思いたいのだろうな、と
長々と書きながら、思うのだ。