第二次世界大戦が始まる前、日本人の辰雄は、陸軍軍人である祖父がいる朝鮮に引っこして来た。そこには朝鮮人の使用人がいて、ジュンシクはその息子だった。二人はマラソン大会で一位、二位を争うライバルだった。

しかし、辰雄の祖父が爆殺されると、それを辰雄はジュンシクの父がしたことだと思いこんでしまった。また二人が陸軍に入り、上司と部下の関係になったことで、二人の間にきれつができてしまう。


その後、日本軍はノモンハンでソ連軍のきしゅうを受け、二人は捕りょになってソ連で強制労働をさせられるが、そこにはジュンシクの昔の友達ジョンデがいた。

彼は作業長を任されていて、自分の立場を守るために、嫌いな日本人だけでなく、ソ連兵に処罰される朝鮮人の友達でさえ見殺しにしてしまう。また、ジョンデは日本人が事故で死んだのを笑っていた。その時ジュンシクは怒ったが、ジョンデは「自分はもう昔のジョンデではない。」と言った。戦争によってジョンデは変わってしまったのである。


ドイツがソ連に侵攻すると、彼らはソ連兵として前線に送られる。ソ連の将校は、日本軍を率いていた昔の辰雄のように、「後退する者は殺す」と言った。辰雄はその時に、部下の朝鮮人や日本人にひどいことをしていたことに気づいたのだと思う。

そこで二人はソ連から逃げ、日本と朝鮮にもどるため、ドイツ側に向かった。ソ連からドイツに行く途中、ジュンシクは辰雄のことを絶対に見殺しにしなかった。ジュンシクはいくら嫌いな相手であっても、人として命は助けなければいけない、と考えていたのだと思う。


ドイツで二人はノルマンディー海岸の要さい造りに参加させられた。やがて連合国がノルマンディーに上陸し、二人はいっしょに逃げるが、ジュンシクは撃たれて亡くなってしまう。亡くなる時に彼は、自分の名札を辰雄にわたして、「キム・ジュンシクとして生きろ。」と言った。日本人だとわかったら、連合国軍に殺されてしまうからである。

そして戦争の後、辰雄は「キム・ジュンシク選手」として、またマラソンに出場するようになった。


全体を通して僕が感じたことは、国や立場よりも、人の命を一番大切にしなければいけない、ということである。また人間は弱いので、強いものにすがりたくなるのはしかたないが、それによって戦争を正当化したり、人の命をうばってはならないということも感じた。