人としてどう生きるか。いまの時代やからこそ改めて考えてみたい内容でした。

 

「奈良公園の外国人観光客の鹿蹴り事件」て、ショート動画やったかな、それで見てすげ何とも言えない気分になったことある。しかも、奈良公園の観光客の数がめちゃえぐい。いまだに鹿に暴力をふるう観光客が断たないみたいやけど、その背景に何があるか考える必要はあるっすよね。

 

紹介されてた二本目の動画は、さっきサクッと見たけど 俺は安定に胡坐をかかず新しい方向にチャレンジしていく人は好きっすね。好きていうか、それは憧れでもあるっすよ。できるようでできない。いや、大抵はできないんすよ。たくさんの人の生活を背景に責任が重すぎるっすからね。自分だけが満足できるレベルであれば何も考えずに突き進めるけど、守るべき人がいると自分だけの思いでは進めんのやろうなと思ったっす。

 

 

 

 

[嚔]・・タイトルのこの漢字が読めず・草。ぐぐったら、なるほど。季節柄っすね。

 

啄木みたいな導入から始まった記事は、ゴッホを経て 映画へ・・毎度のことながらパリスさんの格言は、俺には刺さるっすね。

誰かに対する劣等感、優れたものを知った時の劣等感てあんまよくないように言われるけど、それをどう受け止めて活用するかっすよね。悪いほうに悪いほうに流れるアホが多すぎるけど、うまく活かせばこれほど有益な感情はないっすよね。

 

余談やけど、俺の祖母は「昔の人は学はなくても知恵があった。けど、今の人は学もなければ知恵もない」て。かなり辛口のばあちゃんだけど、一理あるっすよね。

 

読めばわかるっす。読まないから、ここで完結する。そういうもんすね。

 

モノクロに色を付けていく美女と、線で描いた男の顔がいいっすね。

 

 

薫りたつような絵っすね・・

 

「無いモノを・・・・・・」からの後のパリスさんの言葉が、リアに刺さる俺でした。