縦に隔てられた世界では、そのアートはいとも分かりやすく、また宇宙の根元たる空間には到底及ぶものではない。4次元や5次元の中においては、目に見えるものの存在事態が目まぐるしく移動する。不確定な視覚でしかない。これを空間として表現するなどと言うものこそ、あまりにも全てを否定しながら、また肯定を行わないといけない非常に人知に及ぶものではない。感性に投げかけるしか、私にはそれをぬぐい払うことはできぬ。これは何なのか?この感情はまるで雲のように、なぜ私はこれをしているのかさえ分からずにいる。魂の叫びが私をまたあの場所へ導くつもりなのであろう。幼き時に感じたまま、そのまま逃げ出した難儀な世界へとよくも今さらずけずけと踏みいってしまった私を笑わずにはいられない。人生の果てにある全てのものを感じようなど、あの頃と変わらない。まるで赤子のようだ。
ドストエフスキーの影響受けすぎ(笑)
