田中が担任した四年生のクラスには毎日あくびばかりしている少年がいた。
クラスの仲間はおもしろがってその少年の事を「あくび」と読んでいたが、「あくび」は決して内向的な児童ではなく、むしろクラスの人気者だった。

「こら!またあくびばかりして!俺の授業がそんなにつまらないのか?」

田中がそう注意すると、決まってあくびは「ははは」とごまかすように笑いながら目にたまった涙を拭く。それを見たクラスメイトがドッと笑うのが日課だった。
みんなあくびが好きだった。

はじめのうちは夜更かしでもしているのだろうと思っていた田中だったが、こう毎日続くとさすがに心配になり、ある時「どうしてあくびばかりしているのか」と尋ねた。
しかし、あくびはただ「眠いだけだよ」と明るく答えた。
田中は少し気になったが、育ち盛りの少年はどんなに寝てもまだ眠いんだろうな、と考えた、と言うのは後付の言い訳で、田中はあくびとのこの日常が大好きだったのだ。

その年の冬、あくびは家庭の事情で転校する事になった。
田中はコッソリとクラスメイトから寄せ書きを集めると、それを持ってあくびの家に向かった。
住所を頼りにあくびの家を探しながら、
あくびの家には家庭訪問したこともなかったし、母親と話したのもつい最近転校の旨を電話で聞いた、ただ一度きりだったなと田中は思った。

あくびの家は驚くほどのボロだった。
今にも吹き飛んでいきそう。田中は瞬間的にそう思った。
ドアをノックするとすぐにあくびの母親らしき女が出てきた。
とても感じのいい、しかし苦労がにじみ出たような女性だった。
事情を話すと

「うちの子は今お使いにやってしまってるんです。なかでお待ちください」

と田中を中に勧めた。
腰をおろすとさっそく田中はあくびの母親に寄せ書きを見せた。
母親はうれしそうにクラスメイト達からのお別れの言葉を読んだ。
間もなくしてあくびが帰ってきた。

「あ、先生!」

あくびはそういうとにっこり笑ってお辞儀すると、買ってきた物が入ったスーパーのフクロを持って台所のほうに持って行った。
すると、玄関のドアが大きな音を立てて勢いよく開いた。

「おい、こら!今日も来てやったぞ!!金はできたか!?」

大きな怒鳴り声がしたと思うと、大柄の男が二人、土足のままで上がってきて台所にいるあくびと鉢合わせになった。
あくびは臆する事もなく男達をにらめつけると前にいた男に飛び掛り、ぽかぽかと足を叩いた。

「こら、坊主。この前痛めつけてやったのにまだ足りないのか?」

そう言うと男はあくびを壁に突き飛ばした。

「やめろ!!何をする!!」

田中が立ち上がって大声でそういうと田中の存在に気づいた男達は、

「おや、お客さんですか。じゃあ、出直すか。」

そう言うと、近くにあったイスを蹴飛ばし

「また来るからな。」

と言い残し帰っていった。
田中と母親があくびの元に駆け寄ると、捲れたあくびのシャツからはあざだらけの体が覗いていた。
母親はあくびを抱きしめた。



しばらくして、母親は「大事な話があるから外で遊んでて」とあくびに言い、あくびは素直にしたがった。
母親は「どうぞ」といって元の位置に田中を座らせると、

「今日みたいな取立ては珍しく無いんですよ。」

と話し出した。

「あの子は父親を早くに亡くして、借金のなかで育ってきました。
いままでがんばってきたんですけどね…もう疲れてしまって、あの子と一緒に今夜逃げる事にしたんです。」

そう言うと、母親は涙をぬぐってから笑ながら言った。

「あの子は父親に似て強くて、私に泣いてるところを見せたことは無いんですよ。」

それを聞いて田中はハッと思った。
あくび。
あくびは母親に涙を見せないためにあくびをするふりをして学校で泣いていたのではないか・・・?

母親は立ち上がるとあくびを呼びに行った。
田中は照れくさそうにもどってきたあくびにクラスメイトからの寄せ書きを渡した。あくびはうれしそうにクラスメイトからのメッセージを一つずつ読んでいった。そこには「さびしい」「行かないで」「また会いたい」の言葉が並んでいる。
あくびの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

「先生ありがとう!みんなによろしくね!」

あくびはそういうと、涙が零れ落ちる前に大きなあくびをした。