厳しさと真摯さの違い | 神様達と共に

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僕らの心に愛と智慧を持って・・・アプローチしてくれています・・・
このブログではそんな神様達のメッセージを・・・
チャネリングでお届けさせて頂きます




スイ~スイ~と泳ぐカモちん・・・。


見るといつも思うのですが・・・、楽しそうです(^^)


水の上を滑る様に進めるって、いいですよね~。


見ててこっちも楽しくなります。



さて・・・。


タイトルに厳しさと真摯さの違いって書きましたけど・・・。


あんまり言葉に意味はないです。


例えば「よい厳しさ」と「過ぎた厳しさ」なんて表現もできるかな。


まぁ、なんとなく「よい厳しさ」を「真摯さ」として、「過ぎた厳しさ」を「厳しさ」という言葉にしています。



ということで・・・。


何をするにしても、あまり厳しくなるといろいろ上手くいかなくなるものですね。


自分にも他人にも厳しいって・・・、昔はそれでOKな時代だったけど、だんだん上手くいかなくなる時代になってきたなぁと思います。


今までは他人に厳しくしてても、周囲がそれを当たり前のこととして受け入れてたけど、だんだん反発や抵抗にあう様になったりね。


あと、今まではストイックに自分に厳しくしてても、それで現実が上手く廻っていたけど、だんだんと自分が立ち行かなくなってきたりね。



たぶん、今ってそういう時期なんだよなぁと思うのです(*´Д`)=з


僕も割と自分に厳しい方で、そして人様には優しくしようと頑張っている方です。


でもぉ、もうそれはちょっと違うんだべなぁと感じています。


自分の中で、より心のままに・・・。


僕の場合、溢れるままに生きるってことは、もっと力が抜けていて、楽に生きているってことなんでしょう(^^)


まぁ、力が入っていたタイプなので(笑)


その点、ちゃんと真摯に見て、荷物を降ろしていこうって思っています。



うん・・・、ここで真摯という言葉が出てきました。


あ~・・・、厳しさを手放すために、自分と真摯に向き合う(笑)


何か変な感じもしますね(笑)



もちろん、ずっと真摯である必要はないと思うんです。


でも、自分に無意識で厳しくしているってことは、なにか自分には見えてないものがあるんですよね。



それはたぶん、自分の中の『こんな自分はアカン』という部分なのでしょう。


それを乗り越えるために、自分に厳しくして、変えようとしてきた・・・。



でも、それは自分を責めて変えようとしていることで、心の法則を見ると、それじゃあ根っ子の方は変わらんのです。


うーん、イメージとしては傷口に薬を塗らずに、硬い殻をかぶせる感じかなぁ。


そうやって自分を守っていても、やっぱり傷は癒されない。



ちゃんと傷を傷として認める・・・、よく認識するのが癒しの第一歩なのでしょう(^^)


その次は、その傷にふさわしい薬を塗る・・・。



たぶん、その薬とは厳しさではなくて、あたたかさや、ねぎらいや、励まし・・・。


愛のこもったエネルギーなのですよね(^^)



つまり・・・自分の心の傷を認めて、よく見つめることが真摯さ・・・。


それを覆う様に、表面的に強く生きるのが厳しさ・・・なのかな。



あくまでも、この場合ですけどね(^^)


言葉っていろいろ違った意味でも使えますから、まぁ今回はそんな感じで使っています。



それでも、真摯に見るって、しんどいですけどね。


たぶん、しんどい時はそんなに無理することもないのでしょう。



何か現実でいろいろあって、「あ~・・・、やっぱり自分のこの部分は真摯に見た方がいいなぁ」と思ったりね。


そういうきっかけや、モチベーションが大事なのかなと思います。



内面を見つめて癒すって、僕はよく『外科の手術』の様だなぁと思うことがあります。


手術では、メスなどを使って、あえて体を傷つけて、問題となる部分に治療を施していきますね。


メスは刃物で、人を傷つけることもできますが、それでも治療に欠かせないものです。


そして、手術が終わったら、薬や点滴、栄養のある食べ物などで回復に向かうわけですね。



内面を見つめるのもそれに似てて、一時的にやっぱり痛いんですよね~(*´Д`)=з


自分をちゃんと見る・・・、深い部分の心の傷を認めるって、傷ついた当時の感情を追体験しますから・・・。



大切なのは、その時に厳しさのメスで、関係ないところを傷つけないことですね。


「やっぱり自分はダメだった」とか「どうせ上手くいかない」とかね・・・。


そういう感情で、もうこれ以上自分を刺さない様に・・・。


あくまでも真摯な治療・・・心の傷を癒すため・・・ということが大切ですよね・・・。



患部(傷ついていた過去の自分の感情)が見つかったら、あたたかく愛を持って接してあげることが大事ですね。


『大丈夫だよ』『あなたにも愛はあるよ』『辛かったね・・・』『あなたならできるよ』


感情によって必要な薬は違って、絶望には優しさだったり、憂いは共感だったり、劣等感には励ましだったり、嫉妬には信じる様な愛だったり・・・。


これはあくまでも一例で、必ずしもそれで癒されるとは限らなくて、いろんな言葉を投げかけてみる必要もあって・・・。


きっと、当時求めていて、得られなかった言葉とエネルギーがあるんですよね(*TωT*)


それを、自分で満たしてあげる・・・。


他者から得られないからって、あきらめることはなくて、実は人はみんな自分で満たして自分で幸せになっていけるものなのです(^^)



これはね、案外繊細な作業なんですよね。


慌てずに、じっくり見ていく慎重さも大事だと思います。



一方で、逃げずにちゃんと見るぞ~という真摯さも大事なんすね。


なにせ現代社会においては、テレビやネットなどで逃避しやすい環境がありますから。


いろいろな心地よい刺激に触れて、自分を見ない様にしていると楽は楽なんですが・・・、やっぱり現実は内面の反映なので、後々いろいろ出てきちゃいますよね。



今の変化の時期に、そういうことがいろいろ出て来てて、この辺の情報が必要な方ももしかしたらいるかなぁ~と思ってシェアしてみました。



自分に厳しくなるこたぁないのです・・・(*´Д`)=з


でも、自分や周りの人のためにも、ちゃんと真摯に見つめて、問題となっていた感情に愛という薬を届けてあげる・・・ドキドキ


こういうことも大事だよなぁって思います(^^)



あ、手術の例えは、なんとな~くな比喩なので、あなた様なりの感覚でなんとなく捉えて頂ければありがたいです。



内面を扱っているのでヘビーな感じですが・・・、気持ちとしては気楽なつぶやきです(^^)



ご覧くださりまして、ありがとうございました。